役は生きてる

私にとって、頂いた役は生きた人間だ。

配役が決まってから、まずはその子と色んな話をする。その子がどれだけ自分について教えてくれるかで、結構性格が分かる。めちゃくちゃ気難しい子もいるし、手が掛かる子もいるし、素直な子もいる。

稽古から公演が終わるまでの間は、その子の人生を借りる。公演が終われば、ちゃんとその子に返す。いつ何時でもその子の人生を借りられるように、私といえば常に体を整えておく。これが私なりの役への礼儀だ。

人生はその子に返すので、私の中に残るものはあまり多くない。ただ、偶に全て残していく子がいる。台本の変更でそもそも存在を消されてしまった子もいたし、公演の中止が決まって返すに返せなくなってしまった子もいる。

2年前、私は人生で初めて公演中止という経験をした。本番の1週間前の出来事だった。その時いただいた役は、ポニーテールの似合う女の子だった。そして、なかなか気難しい子だった。まず、全く自分のことを話してくれない。こちらが歩み寄ろうとしてもすぐに逃げられた。困ったと思った。実を言うと、本番直前までそんな追いかけっこの状態だった。へとへとになった私を見兼ねたのだろう、いよいよ2週間前という時に、急にその子が歩み寄ってきてくれた。稽古場で、ある台詞を読んだ瞬間、パチリと嵌った。あ、捕まえた。そう思った。まあ、捕まえたというより、捕まってくれたと言う方が正しい気がするが。

捕まえたのは良かったが、結局その子と一緒にお客様の前に出ることはなかった。その子の人生を、私は返せなかった。

つい数日前のことだが、その作品が再演を果たした。幕が上がって、そして無事に下ろされたことが、涙が出るほど嬉しかった。訳あって私は出演が叶わなかったが、それでもとてもとても嬉しかった。

再演が始まるまで、私は「この公演が無事に終わったら私の気持ちも整理がつくはずだ」と思っていた。ようやくあの子に返せると思っていた。しかし、終わってみればどうだろう、全くそんなことなかった。スッキリするはずと信じていたら、寧ろ色んな気持ちが溢れて収集が付かなくなってしまった。それでも当初の思いの通り、その子の人生を返そうとした。その時、気づいた。

私、あなたの手を離せない。

あの子が離さないんじゃない。私が、あの子を返すことができなかった。これ以上奪わないでくれと思った。公演を奪われ、一緒に終わることを奪われた。あの子さえ奪われてしまうのは、どうしても許せなかった。奪わないでくれ、奪わないでくれ、これ以上は。他の子のように終わった後に眠らせることもできない、人生を返すこともできない。彼女はまだ、私の中に生きている。私の肩に、あの子の手がずっと添えられている。今もずっと。ずっと。

しまったと思った。それでも、観るんじゃなかったとも、出会うんじゃなかったとも思わなかった。そして、私があの子に人生を返せないと分かった時、あの子はそれを許してくれた。多分、ため息でもつきながら、返せと私に向かって突き出した手を何も言わずに下ろしてくれた。あの子は最後まで、私を許してくれた。初演時に捕まえられなかったことも、一緒に死んであげられなかったことも(劇中で彼女は死んでしまうのだ)、再び歩けなかったことも。その上、これから先二度とお客様の前に立つことは叶わないと分かっている筈なのに、一緒にいてくれると言う。どんな顔をしたら良いんだろう。私は、とても幸せだ。

終わりが見えなくなってきた(毎回か。)。彼女はまだ私の隣にいる。ずっと少し前を歩いてくれていたあの子は、私に歩調を合わせるように、時に、少し背中に隠れるようになった。これでも可愛げのある女の子なのだ。少し気が強いだけで。きっとこれから先、この子を手放せない。それでも、役の人生を背負い続けることが役者の仕事だと言うのなら、私はいくらでも背負おう。潰れ切るまで。あの子ではなく、私が死ぬまで。その瞬間まで、あの子と一緒に。

ああーー。やっと、気持ちがスッキリした。

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