舞台の神様

「舞台には魔物がいる」という類の話は割と有名だと思う。私の知る限りだけれど、舞台裏に神棚がある劇場も少なくない。恥ずかしながら、そこに鎮座しておられる神様お一人お一人のお名前までは存じ上げない。そもそも芸能の神様はいたとて、お芝居の神様というものが居るのかすら私は知らない。だからこれは、私の中にある信仰に限りなく近い妄想の話として読んで欲しい。

芝居を初めて教えてくれた先生は、「舞台には神様がいる」と言っていた。礼を尽くさなければ怪我をする、ふざけたり浮かれたりしたら事故が起こるといった具合に。実際、舞台には危険が付き纏う。照明や音響の機材も多いし、舞台美術や小道具も大きかったり鋭かったりする。結構際どい演出があったりもする。大掛かりな舞台であるほど繊細な注意力が問われる。「神様に失礼があったらダメだからね」というのは、脅しのような響きがあったものの、確かに幼かった私を守る為の魔法だったんだと思う。

そして、幸か不幸か、私はとんでもなく単純だった。

舞台には、役者を守り、作品を守ってくれる神様がいるのだと都合よく解釈した。真摯に向き合えば、逆にその神様は私たちを守ってくれると思った。そのプラシーボ効果があってか、奇跡的に音と台詞のテンポが合ったり、奇跡的に本番中だけ腹痛が治ったりすることが多々あった。本当に都合の良い体である。そして、その奇跡を毎回の稽古中に起こせないのはまだまだ私が未熟な証拠である。精進、精進。

話が逸れた。そんな訳で、私は舞台の神様を20を超えた今でも本気で信じている。信じているからこそ、今こうして役者になった私を、舞台の神様は許してくれるだろうかと、時々不安になる。

芸術はプライスレスなものだと思っている。人によって感じ方が違い、それによって決定する価値も違うのだから、芸術の価値を簡単に決めることはできないと思っている。誰かにとっての100円の芸術は、誰かにとっての1億円の価値がある芸術かも知れない。そんなことを考えると、そもそも芸術とお金を結び付けるのは無理があるように思う。

そんな中、私たち役者というものは、少なくとも職業役者(今勝手に作った造語)は、舞台で金を稼ぐ。もう少し噛み砕いた言い方をするなら、自身で磨いた技術に対して、お客さんが認めた価値の分だけのお金を受け取って、それを元手に生活している(価値の分だけお金を貰えない役者が沢山いることは前回も触れた。悲しいことだけど今回は話が膨らみ過ぎるのでここはスルーして欲しい)。

弁解しておくと、金を稼ぐことは決して卑しくも汚くもない。寧ろ大事。超大事。経済の勉強せずして役者が務まるものかと思う。が、それをあろうことかプライスレスであるはずの芸術、こと芝居に付けた。何をするにしても、お金とのバランスを欠かないように綱渡りをしなくてはいけない。それが職業役者だと思っている。

どこかでお金を意識しながら舞台に立つ職業役者を、シンプルにその作品の深さだけを求められない私達を、果たして舞台の神様は許してくれるだろうか。

私の妄想する舞台の神様は、芸術を守る神様だ。ふわっとしてる。その神様に嫌われたからなんだと言われればそれまでの話だ。けれど私は、このお金と芝居の綱渡りをすることは、職業役者の罪だと思っている。

何かあった時、長く信じてきたその舞台の神様は、私を守ってはくれないだろうな。そんなことを思いながら、今日も舞台を愛している。

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