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2021年度の総括

突然の告白だが、私はGoogleカレンダーに管理されて生きている。
予定を覚えることを外注しているから、おそらくカレンダーを書き換えられても、ちょっとやそっとじゃ気づかない。バイトには確実に出勤してしまうだろうし、葛尾村くらいなら行ってしまうのではないかと思う。

私のカレンダーには予定の他にタスクも書き込まれている。例えば「Web開発」「レジュメ作成」「ジム (上半身)」などのように。これらに必要な時間を見積もって、予定として入れておくようにしてから、キャパオーバーになることがほとんどなくなった。我ながら名案である。何か大事なものを引き換えにしているような気もするが背に腹は代えられない。

先日、いつものようにカレンダーを眺めていると、26-27日が同じ予定で抑えられていた。そこには「2021年度の総括」とだけ書いてあった。すぐには何のことか思い出せず、しばらく考えてみると、1つ思い当たることがあった。それは昨年度の同じ時期に島根県津和野町に滞在しながら「2020年度の総括」と題したnoteを書いたことである。そうすると「2021年度の総括」という予定は、きっと昨年度の自分からの振り返りを書けというお達しだろう。Googleカレンダーには逆らえないので、私は今年度の振り返りを始めることにした。


昨年度からの引き継ぎ

翌年度の自分のスケジュールを2日間も勝手に抑えるような不届き者が書く振り返りはどんなもんじゃい!と思い、まずは昨年度の振り返りを読むことにした。

読み返して、最初に感じたのは「自分はこういう悩み方をしていたのか」という驚きだった。よくもまあこんな文章を書けるなあと思うくらいに、村で暮らすことや働くことについての葛藤が生々しく書かれていた。他人にどう読まれるかは分からないが、少なくとも今の自分には過剰に直接的に自分の問題を書こうとしているように思える。裏を返せば、そう思えるのも今年度何らかの折り合いをつけたからだろう。折り合いをつけると言えば、昨年度の文章の最後に次のような記述があった。

ここまではある意味後ろ向きで内省的な振り返りをしてきましたが、今冬の滞在の中では少し前向きな想いも生まれました。それはやはり「特定の土地に対する人間の想い」に対する関心の先にあるものです。今滞在中、僕たちは葛尾村の中でも外れの帰宅困難区域の真横の家に住んでいました。そこはお世話になっている方のご実家で、東日本大震災で避難したために今は誰も住んではいません。それでもご家族の方々は家を大事に思って、定期的に訪れています。また、あまりに寒すぎたので僕たちはその家を「シベリア」と呼んでいました。一見ネガティブな言葉のようですが、そこには僕たちのその家に対する特別な感情が込められていると思っています。何かがなくなりそうになるとき、そのような想いは顕在化するように思います。そして、苦しめられる人もいると思います。僕は今までそういう想いが理解できませんでした。そして最近ようやく実感を持って理解できるようになってきました。だからこそ、そこで当事者として過ごしていきたいし、そこにあるものを示していきたいと考えています。まだ漠然としていますが、来年度はそんなことを考えながら暮らす1年間にしていくつもりです。

余田大輝「2020年度の総括+α」

とても漠然とした内容であるが、これは昨年度に立てた2021年度の指針として読める。2021年度も終わりに近づいている現在、こんな文を書いたことは忘れていたのだが、実際にこの通りに過ごしてきた1年間だったように思う。もっと言えば「当事者として過ごしていきたいし、そこにあるものを示していきたい」という抽象的な指針を具体的な実践に落とし込むことができた1年間だった。したがって、それらの実践について考えることから、今年度の振り返りを始めていきたい。

3つの実践

本題に入る前に、考えたいことが1つある。それは実践とは何かということだ。特に今年度に入ってから、私はよく実践という言葉を使っているように思う。しかし、その意味を問われると答えるのは意外と難しい。ただ、意味を考える中で、いつも頭に浮かぶのが次の一節だ。

哲学者たちは、世界を様々に解釈してきただけである。肝心なのは、それを変革することである。

カール・マルクス「フォイエルバッハに関するテーゼ」

自分自身を哲学者だと思ったことはないが、私も解釈あるいは認識に対するものとして変革あるいは実践を捉えているように思う。例えば、「当事者として過ごしていきたい」という認識に対応するものとして、それを実現するための私自身の過ごし方があるといったように。したがって、あえて言葉にするならば、解釈という言葉の問題を身体を持った私自身の問題として行動に移していくことが実践と言えるだろう。それを踏まえて、今年度における実践を3つに分けてみた。

表現:第1回松本家展-現在地-

はじめに挙げられるのは「松本家計画」という取り組みを始めたことだ。昨年度末に漠然と示した方向性をそのままかたちにしたのがこの取り組みである。松本家というのは、福島県双葉郡葛尾村の北端に位置する一軒家だ。 第二次世界大戦中に一家が移住して以来、代々松本家の人々が暮らしてきた。 2011年の福島第一原発事故により葛尾村全域が帰宅困難地域に指定されたことに伴い、松本家一家も村外移住を余儀なくされた。 2021年現在、松本家の避難指示は解除されたが、葛尾村を離れた一家の人々はその家にはもう住んではいない。

松本家に訪れるようになったきっかけは、この家が昨年度に葛尾村で一緒に働いていたお兄さんのご実家であったことにある。昨冬、一緒に村を訪れていた友人たちと松本家に泊めさせていただいた。あまりの寒さに「シベリア」という愛称がどこからともなく使われるようになったのは思い出深い。

昨年度末に仕事を辞めて、村に行く大義名分を失ってしまったが、松本家を訪れることが村に行く理由になっていた。コロナが落ち着いた時期を見計らって、松本家の庭でBBQをしたりするなど、私たちにとって松本家は遊び場になっていた。余談であるが、この写真の背後に映り込んでいるフレコンバックを最近まで気にもとめなかった自分自身が衝撃だった。つい先日、このフレコンバックは中間貯蔵施設に運び出されている。

いつからか松本家を題材にした展示会をしようという話をするようになった。詳細な説明は展示解説に譲るが、私の視点から見れば、そこには2つの意図がある。1つは、忘れられゆく小さなものたちに向き合うことだ。ある村の外れに位置する人に住まれなくなった家のようなものは、そのままにしておけば、ただ忘れ去られていくだろう。しかし、そこには積み重ねてきた時間の分だけ、そこにいた人たちのそれぞれの想いが宿っている。そして、松本家のようなものは私たちが意識しないだけでそこら中にあるはずだ。だからこそ、せめて目の前の私たちももはや他人事ではない松本家には何かしらの方法で向き合いたいと考えている。

2つめは、松本家の使い方を考えていくことだ。松本家のカタチは時代によって変わってきた。太平洋戦争中の疎開から生活の場として生まれ、原発事故の避難中は一時帰宅の休憩所となり、避難指示解除後はご家族や学生たちがBBQをするような場所になっている。この先、かつてのように人が住むことはおそらくないだろう。もしかしたら、いずれ人が訪れることはなくなるのかもしれない。それでもきっとカタチを変え続けるであろう松本家のこれからを考えていく過程が松本家展である。その一歩目として昨年8月に開催したのが「第1回松本家展 -現在地-」だ。復興交流館あぜりあ(葛尾村)とオンライン展示会場(Webサイト内)にて作品の展示を行った。

正直、第1回の準備段階では今ほど自分たち自身の意図を言葉にできていなかったし、それもあって少人数で無理に回してしまった部分もある。ただ、準備をする過程、あるいは振り返りをする過程で、松本家計画に関する考えが深まり、関わる人たちが一緒に取り組むかたちが見えてきたのは大きな収穫だった。これから「現在地」を起点に「歴史」を読み解き「未来」を描くことを目指して松本家展は進んでいく。9月に開催予定の「第2回松本家展 -歴史-」はより外に開いたお祭りのようなイベントにしていきたい。今まさに第2回に向けて準備が本格的に動き始めている。

技術:Webアプリ開発

ある意味で、松本家計画の副産物として生まれたのがWebアプリ開発だ。松本家展のあり方に関する議論や松本家での滞在を通じて、いくつかの文章や録画が生まれていた。この先も増え続けるであろうこれらの記録が流れていってしまうのはもったいないと思い、記事や動画のアーカイブのために制作したWebサイトが「松本家通信」である。これは初めて私が制作したWebサイトであった。HTML/CSSだけで見よう見まねで作ったものだが、今まで使うだけであったWebを自分で作る体験が非常に楽しかったことを覚えている。(※現在サーバートラブルの復旧中)

今年度の上半期にWebサイトを制作しながら考えていたことは「進路をどうするか」ということである。学部卒業後も葛尾村に居続けられるような進路を選ぶことだけは自分の中で決まっていた。しかし、奨学金をもらってまで大学院で研究を続ける覚悟も、葛尾村に既にある仕事を選ぶ意志も当時の自分にはなかった。これまでの自分自身の経験を鑑みると、いわゆる「地域づくり」と呼ばれるような仕事に就くのが自然な流れに思える。ただ、あくまで「村で暮らす人としてここにいたい」という理由から、少なくとも「地域づくり」を本職にする人にはなりたくなかった。それを仕事にしてしまったら、器用にスケールの往復ができなくなってしまうような気がしていたのだ。そんなこんなでうだうだと考えているうちに「今しているプログラミングを仕事にできるのでは?」という発想が生まれてきた。とはいえ、当時の私には知識も経験もあまりに足りなかった。そこで、ハーバード大学が無料公開しているCS50xという教材を利用して、Webアプリ開発の勉強を始めることにした。

CS50xの学習と並行して、第1回松本家展の準備を進めている中で大きな問題が発生した。それは思いのほか新型コロナ感染者数が増加してきたことである。元々、葛尾村の会場のみで展示を実施する予定であったが、このような状況では村内に在住している方にしかご覧いただけないことが予測された。そこで、制作を始めたのが第1回松本家展のオンライン展示会場である。遠方に住んでいる方にも読んでもらえるようにと制作した冊子「松本家通信2021年夏季号」の中に、オンライン展示のQRコードの埋め込むなどして、村外の方にもご覧いただけるよう試みた。このように、松本家計画きっかけで始めたWeb開発は、松本家展によってさらに広がりを見せていった。

その後も、Webアプリ内に議事録やアイデアメモをアーカイブする機能を実装したり、Googleカレンダーに登録した予定をLINE botが通知してくれる機能を実装したりと、松本家計画の要請をもとに学習を進めていった。その甲斐もあり、エンジニア職で内定をいただき、学部卒業後の葛尾村生活を見通すことができるようになった。また、今のアルバイトもプログラミング関連の仕事に就いているなど、自分の中に新たな軸を持つことができたのは大きな収穫である。それは単なる収入源としてのみならず、表現手段の拡張という重要な意味を持っている。これまでせいぜい「棚田!葛尾村!」と言うことしかできなかったが、Webアプリ開発という具体的な行為から何かに取り組めるようになったのは非常によい変化であった。

学問:研究会/輪読会

もう1つの大きな変化は研究会に所属したことである。私が所属しているゼミでは、3年生が何名かでグループになり、自分たちが決めたテーマで1年近くかけて論文執筆を行う。ほぼ毎週報告を行い、ディスカッションをしたことで、以前より議論の強度が高まったように思う。また、私たちの班は「日本版CCRC構想」を題材にしていた。次の写真は、秋田にあるCCRCを訪れて、施設内で勉強していた高校生に話を聞いたときのものである。日本版CCRC構想は地方創生政策の中で生まれた構想であるため、同政策に関する先行研究などを時間をかけて読み込むことになった。その中で得られた視点は、今まで私たち自身の視点から話していた葛尾村や松本家を客観的に捉える上で非常に役立ったように感じている。

今年度は研究会以外にも学問に触れる機会が多い1年間であった。その1つがCommunity輪読会である。Communityというのは、R.M. Maciver (1917) "Community, a Sociological Study"というコミュニティ研究の古典と言われる本だ。昨年度の夏に「地域社会あるいは個人に対して地域団体はどこまで干渉してもよいのか?」というような質問を尊敬する哲学者である内山節先生にした際に「マッキーヴァーのコミュニティーを読むといい」とお答えいただいたこともあって、読む機会をうかがっていた。そして、昨年度末の葛尾村滞在中に有志で企画し、今年度頭から始めたのがCommunity輪読会である。内容については割愛するが、なんと言っても1年間継続し、計25回の輪読会を実施した自分たちを褒めてあげたい。輪読会では内容から派生して様々な議論ができたように思う。ただ、まだ折り返してすらおらず、計33回分が残っているため、来年度も輪読会は継続していきたい。

『コミュニティ』などの古典を読むと同時に、個人的に勉強していたのが地域社会学だ。まずは地域社会学の入門書を複数冊通読してみて、そこで取り上げられている本を借りてきて、というかたちで勉強を始めてみた。付け焼き刃であるが、なんとなくの概観は掴めたように思っている。秋学期に入ってからは、他学部の地域社会学に関連する授業をいくつか履修してみたり、最近の論文を読んでみたりして、さらに勉強を進めていった。その中で感じたのは、これまで感想として話してきた村での体験が学問の中で捉えられるようになってきたことだ。例えば「関係人口」という言葉がわかりやすい。昨年度の自分は「関係人口」という言葉を行政や地域団体の現場で用いられている言葉として学習し、自分自身でも用いていた。一方で、今年度は「地域社会において外部アクターをどのように評価するか」というような議論を意識しながら用いるようになっていった。その往復ができるようになったことは非常に大きな進歩であり、A&ANSにお声掛けいただき今月19日に開催したイベントにおいて、往復の仕方をようやく言葉にできたように感じている。

改めて振り返ると、曲がりなりにも学問をちゃんとやろうとした1年間だった。それは葛尾村での体験の話がどこまでも自分自身を離れていかないことへのもどかしさと、それに対して「ただの感想じゃん」と言われてしまうことへの応答でもある。何も感想文が一概に悪いわけではないと今でも思っているが、やはり人に伝える上では客観的に捉えることは重要だろう。また、そうすることで他地域と比較して議論することができる。そう考えると、やはり今年度は勉強を頑張ってよかったなと思う。ただ、それができたのは昨年度よりも格段に葛尾村を離れて東京にいたことが大きい。そのことをどう捉えるかは来年度の暮らし方を決める上でも考えていきたい。

重要なテーマ

さて、ここまで3つの実践という観点から今年度を振り返ってきた。ここからは実践を踏まえて今年度そして来年度における重要なテーマをいくつか考えていきたい。今年度の振り返りは今年度中に投稿したいのだが、現時点で31日21時になってしまっているので、駆け足で文章を書いていく。

当事者/支援者/観察者

「2020年度の総括」にも書いていたように、「何者」として村にいるかというのが私にとって重要な問題だった。結論から言えば、誰もかもが「何者」でもあるのだと思う。それは「村」というものは多層的であり、自分というものも多層的であるということだ。「村」と一口に言っても様々な社会が存在するし、自分自身にも様々な側面が存在している。そう考えると、「当事者としてここにいるんだ!」というのは悲痛な叫びにしか聞こえない。しかし、今そう言えるのは、松本家計画などを通じて自分のあり方を掴み直したからだろう。当事者や支援者や観察者という分類は構造的に考える上で有用であることに変わりないが、それだけで私たち自身のあり方を具体的に考えることはできない。私たちは固有名を持ったものたちの関係の中で暮らしている。そう言えるところまで、4年間でスケールを解体してきた。だから、今年度をもって一区切りであり、それは4年間の一区切りなのだと思う。

また、これは「地域づくり」的なものへの一つの態度だとも考えている。外から人を呼び込むような取り組みは、どうしても地域社会を一面的に扱わざるをえないし、「地域づくり」コミュニティを形成してしまう。ただ、何もこれは批判されるべきことではない。人の流動性を生み出す仕組みとして非常に有用だ。だからこそ、その上で具体的なものたちに出会い、それぞれの人たちが自分たちのあり方を掴み直せることが重要なのではないだろうか。

一貫性への執着

次に、就職活動というものをしてみて気づいたことは自分が過剰に一貫性に執着していることだ。行動の根拠を明確に語れるから、就活においては面接での応答が容易でよいのかもしれない。「なぜ今この取り組みをしているのか?」と問われたら、中学生くらいのときからの思考の変遷をつらつらと述べることができる。ただ、それが本当のことかどうかはもはや自分でも分からない。話が変わるようだが、正直に言うと、自己分析もキャリア教育も探究学習もあまり好きではない。私が器用ではないだけかもしれないが、環境への適応を自分の意志として語り直しているような気がして、「嘘をついている自覚すらなくなってしまうでしょ。そんなのよくないよ」と思ってきた。だから、演じていることの自覚を持つ方がよっぽど重要だと考えていた。今でもそう考えている。

でも、それは現在にまで至る自己批判なのではないかと振り返りを書く中で思えてきた。明らかにこの振り返りは、こんなにも説明可能なものとして現在があるわけないのに、説明可能なものとして現在の自分を示そうとしている。これまではそのような態度を過去への解釈なのだからいいじゃないかとしてきた。しかし、その連続が棚田から松本家まで一貫したストーリーを生み出しているのは確かだろう。これはむしろ一貫性に囚われて、過去の自分の説明に現在の行動が束縛されているとも捉えられる。また、この一貫した説明をしようとする態度は防御姿勢なのだとも思う。今更(と言えるほど年老いてもいないが)ちゃぶ台をひっくり返したりはしないし、言葉で説明することをやめたりもしないが、一貫性への執着には自覚的でありたいと改めて思い直した。

コラージュの過程

加えて、来年の創作にもつながるテーマを示したい。今年度、いろいろなところで用いるようになった言葉が「コラージュ」と「過程の評価」だ。それらを合わせて「コラージュの過程」というテーマを立てた。「コラージュの過程」を考えるにあたって、重要になるのが「開放性 / 閉鎖性」あるいは「関係づけの有無」である。2つほど具体的な話をしよう。

まずは、先日お誘いいただいたイベントでの話だ。そのイベントの中で「多様性とは何か」をテーマに他の参加者と議論する企画があった。そこで感じたのは、多くの人たちが多様性を開放性として考えていることだ。誰しもに選択肢が開かれていることが多様性を尊重するということであり、それは良いこととして捉えられている。私も概ね同意できるし、特に制度面においては全くその通りだと思う。しかし、私たちがそれぞれに生きていく上では、開放性だけでは不十分だと考えている。私たちは開放的に生きているだろうか。言い換えるならば、異質な他者たちを無条件に受け入れて生きているだろうか。ほとんどの人たちはそんなことはないと思う。もし自分たちは開放的だと言うならば、それは往々にして無自覚のコードに縛られているだろう。とはいえ、完全に閉鎖的に生きるべきだと言うつもりもない。それこそ多様性の軽視だ。そうしたときに重要になるのが閉鎖性を変化させていく過程ではないだろうか。私たちは閉鎖的でしかあれないことを自覚した上で、異質な他者と個別に向き合うことの連続でしか、私たちにとっての多様性は実現しえないと考えている。

次に、三島由紀夫と東大全共闘の話をしよう。先日、同世代の友人たちと東大全共闘の1人であった芥正彦が対談するイベントがあった。

それをきっかけに映画や書籍を読む中で、印象に残った議論がある。それは次のような「関係づけ」についての議論だ。

全共闘C だってそうでしょう。あなたはだから日本人であるという限界を超えることはできなくなってしまうということでしょう。

三島 できなくていいのだよ。ぼくは日本人であって、日本人として生まれ、日本人として死んで、それでいいのだ。その限界を全然ぼくは抜けたいと思わない、ぼく自身。だからあなたから見ればかわいそうだと思うだろうが。

全共闘C それは思いますよね、ぼくなんか。

(中略)

三島 あなた国籍がないわけだろう。自由人としてぼくはあなたを尊敬するよ。それでいいよ。だけどもぼくは国籍を持って日本人であることを自分では抜けられない。これはぼくは自分の宿命であると信じているわけだ。

全共闘C それは一種の関係づけでやられているわけですね。

三島 そうそう。

全共闘C だから当然歴史にもやられちゃうわけだし……。

三島 やられちゃうというか、つまり歴史にやられたい。

全共闘C むしろ、いるということに。

三島
 そういうことに喜びを感じる。(笑)

三島由紀夫・東大全共闘『美と共同体と東大闘争』(2000)pp.92-94

この引用部文を含む議論を正しく理解しているかは分からないが、「関係づけにやられる」というのは、1つの目の話で言うところの「閉鎖性に固執する」ということだと私は感じた(イベントの時系列的には逆だが)。また、曲解すれば、「棚田」「葛尾村」「松本家」という一貫性に固執している自分のことだとも思った。おこがましいような気もするが、「やられちゃうというか、つまり歴史にやられたい」という言葉に共感してしまった。しかし、完全にやられきってはいけない。そのための作業が歴史を読み解いていくことであり、現在の自分を読み換えていくことであると考えている。私にとって松本家計画あるいは松本家展の試みはそういうものだ。それは物語の継ぎ接ぎをしているようなもので、モノのかたちとしてはコラージュが現れるのではないかと思っている。それは自分自身のあり方においてもそうであるし、一緒に松本家展をやるというのもそれぞれの想いの継ぎ接ぎのようなものだ。コンセプトだって継ぎ接ぎでしか書きようがない。

また、コラージュにおいて重要なのは結果よりも過程の方なのではないかと思う。具体的に言えば、松本家展の作品は保存されなくてもいいと私は考えている。松本家展というのは作品制作の中で家の使われ方が考えられていく過程だからだ。したがって、それぞれの作品や展示会はその過程を経た暫定解であり、その解は時とともに絶えず変化していく。だからこそ、私は「コラージュの過程」を大切にしていきたい。

来年度への引き継ぎ

ここまで約1万字ほどかけて、今年度を振り返ってきた。最後に、来年度の自分に引き継ぎをして、この文章を終わりにしよう。

今年度末で4年間の一区切りだと書いた。おこがましいことは重々承知した上で、最たる変化は友人たちが私関係なしに葛尾村に行くようになったことだと思っている。高校では稲刈りツアーを企画したり、大学前半では地域インターンに携わらせていただいていたり、「村に人を呼ぶこと」を勝手に活動の中心に置いてきたことを鑑みると、これは大きな変化である。特に、第2回松本家展は卒業単位が危ない僕を抜きにして動いていくだろう。ありがたいことだ。それ以前に運営として戦力外かもしれないなあとも思う。

だからこそ、来年度の私は何かカタチあるものをつくれる人でありたい。それは2020年度に何度も言っていた「地域づくりの担い手」ではなく「村の居候」としてありたいという態度の継続だ。それにしては、今の私は大した表現手段を持ち合わせていない。あるものと言えば、付け焼刃のプログラミングと骨組みが見え透いた文章くらいなものだ。あえて来年度に向けた指針を立てるとすれば、前述の3つの実践をおままごとから脱させることだろう。具体的には大きく分けて上半期と下半期に2つの試みを考えている。

カレー屋さん@第2回松本家展

まずは、カレー屋さんになることだ。昨年度から始めたカレーづくりにどんどんハマっていってしまい、昨秋には50人前のバターチキンカレーを振る舞うほどにまで成長した。コロナが落ち着いた頃にまたカレー屋さんをしたいと考えている。まずは、さらに美味しいカレーを目指して鍛錬を積んでいきたい。また、それを当面の目標として作りたいものがいくつかある。それはWebサイトやポスター, ARアートといった視覚的な表現だ。表現の幅を広げるためにも、来年度上半期はカレー屋さんを軸にして、いくつかの制作をしていきたい。

卒業研究・制作展

そして、卒業研究・制作展を勝手に開催することだ。卒業研究では、葛尾村を取り巻く状況を地域社会学の視点から考察したいと考えている。転入者が居住者の4分の1を占め、避難者が居住者の2倍以上いる村を一般的な農村と同様に捉えることはできないだろう。具体的なアプローチはこれから検討していくが、「原発事故によって人口が急減した村が移住定住促進政策によって人口を維持しようとすること」の評価について考えていきたい。また、卒業制作というカリキュラムは弊学部に存在しないが、「コラージュの過程」をテーマにした作品を年度末までに作りたいと考えている。「居住」が大きな問題になっている村を舞台に、現実/仮想/空想をコラージュしながら表現を試みたい。これらの卒業研究と卒業制作を合わせて何かしらの展示ができればと思っている。展示に耐えうるようなものを作れるよう精進していきたい。

以上で今年度の振り返りは終わりだ。31日ギリギリで書き終えることができた。果たしてここまで辿り着いた方がいるかは分からないが、読んでくだった方々には感謝したい。ここまで取り組みを継続してこられたのも、こうした長い文章を書こうと思えるのも、これまで支えてくださった、あるいは一緒に悩んできた皆さんのおかげである。来年度は松本家計画としても私個人としても大きく展開していく1年になるだろう。引き継ぎ、ご支援いただけると嬉しく思う。

余田大輝

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