余田大輝

会社員になりました

余田大輝

会社員になりました

マガジン

  • 日記「こと」

    会社員になってから気まぐれに書き始めた不定期の日記です。こっそり覗いてください。

  • 年度の総括

    年度ごとの振り返りをまとめています。こっそり読んでください。

  • しゅたいって?

    • 10本

    「しゅたいって?」は同名のトークセッションのために用意されたマガジンです。 2023年3月16日19時より、西小山にて「主体」あるいは「主体性」をテーマに5名の大学生によるトークセッションを実施します。登壇する5名はそれぞれ異なる専門分野を持っています。哲学や建築や農学といったように大学での専攻もバラバラで、本屋さんやWebエンジニアや教育関係といったように学外での仕事もバラバラです。今回のトークセッションでは、登壇者がそれぞれ事前に「主体」をテーマにしたnoteを書くことにしました。5つのnoteをもとに、議論が交錯する点を探っていきます。是非ご覧ください。

最近の記事

地域で活動すること、クルーを作ること

地域で学生が学ぶ。あるいは、地域で学生が活動する。現在、そのようなプログラムが全国各地に存在している。このようなプログラムはいつから存在しているのだろうか。何で読んだか忘れてしまったが、地域インターンシップの先駆けとして新潟県の中越地域での取り組みが2010年代中盤にあったというような記述を見た記憶がある。今調べてみたところ、ETIC. の「地域ベンチャー留学」が2011年から始まったらしいので、そちらの方が先かもしれない。私が携わっていた「復興・創生インターンシップ」は20

    • 目的を失うこと、仲間になること

      この仲間たちと一緒に何かをしたい。そのような関係を私たちはどのようにして培ってきたのか。そして、これから新たにそのような関係を結ぶことはあるのか。先日、友人とそんな話をしていた。 やりたいことは何か。その目的は何か。進路に悩んだ時、そう自分に問い、他者にも問われてきた。活動について言葉で考えていくことは、目的と行動を純化していく作業である。少なくとも、私は日々メモ帳に向かって純化作業に勤しんでいる。 目的と行動を純化していった先で出会うのは、目的を共有する人たちだ。実態は

      • 上手く言葉にならないこと

        質問をされて上手く返せないことが増えた。どちらかと言うと、考える前に口から言葉が出てくるタイプだ。ただ、歳を重ねるごとに、その言葉の中に譲歩逆説が増えている。そして、延々と話した末、着地に失敗することばかりだ。今日受けた取材もそうだった。 でも、別にそんなに嫌ではない。上手く言葉にならないということは、思考にためらいがあるということだと思う。何かを主張するとき、そうではない他者の合理性を想像する。内面を問われたとき、自分の多面性を自覚する。ためらうことはわかりやすさに抗うこ

        • わかりやすいこと、ためらうこと

          高校生の頃、わかりやすい自己紹介ができる人になりたいと思っていた。 紆余曲折を経て「棚田が好きなので棚田で使える稲刈り機を同級生たちと開発しています」と自己紹介をするようになった。自己紹介だけで飽き足らず、棚田愛Tシャツまで自作した。棚田が好きな人になりたいと思っていた。わかりやすい言葉をためらいなく使っていた。 大学生になって、わかりやすい自己紹介をしたくなくなっていった。 なぜだろう。「棚田が好き」と言う自分の内面を考えるようになったからかもしれない。棚田の先にある

        地域で活動すること、クルーを作ること

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        • 日記「こと」
          14本
        • 年度の総括
          4本
        • しゅたいって?
          10本

        記事

          自分の手で作ること、それを諦めること

          好きな料理は自分の手で作れるようになりたい。昔からそう思ってきた。特に、家二郎とバターチキンカレーはいくら作っても飽きない。 グループ展でもそうだった。友人たちと議論したり制作したりするのは楽しい。役割分担が重要なことは分かっている。それでも、できることならすべての議論と制作に携わりたかった。実際に、雑多な範囲の作業を私が巻き取っていたように思う。 ソフトウェアエンジニアとしてもそうだ。仕事としては、もちろん得意不得意に応じて役割分担していくが、できることなら全部できる自

          自分の手で作ること、それを諦めること

          長くいること、いるからすること

          ただそこに長くいることは意外と難しい。 「地元だから」「家族やパートナーの都合で」「仕事や学校の都合で」以外の理由で、ある地域や場所に長くいることは少ないように思う。ここで言う理由は人生を縛る所与の条件のようなものだろう。他にどのような理由があるだろうか。 目的があって、ある地域や場所にいる人たちは割と見かける。自分の周囲には、地域活動やフィールド研究をする人たちが多いからかもしれない。特に「地域づくり」のためのプログラムに参加する学生を多く見かける。自分もそのひとりだっ

          長くいること、いるからすること

          2023年度の総括

          はじめに2020年度、大学2年生の終わりから、毎年度末に振り返りの文章を書いています。昨年度末には「大学生活の総括」という題で4年間を振り返る文章を書きました。今年度から会社員になったので、書けないことが増えましたが、書ける範囲あるいは書こうと思える範囲で年度の総括をしていきます。 会社員1年目、それも文系学部出身のソフトウェアエンジニアとしては、この上なく順風満帆な1年間であったように思います。しかし、23年間の人生の中で最も不調な1年間でした。不調の大半は体調不良による

          2023年度の総括

          筋力・技術力・語学力

          今年のテーマは「筋力・技術力・語学力」です。 と大学卒業時に書きましたが、2023年前半は全く風呂敷を畳むことができず、後半にかけて大いに体調を崩してしまいました。そして、体調と一緒に能動的に物事を始めようとするモチベーションを失ってしまいました。 それは良くない。何より健康が失われているのが良くない。 そこで、まずは筋力を鍛えることにしました。先月から近所のジムに通い始めました。食生活も見直しつつあります。待ってろ、健康な心身。 続いて、技術力も鍛える年にしたいです

          筋力・技術力・語学力

          素人であること、専門的であること

          2001年早生まれ。同世代には大学を卒業する前後の人が多い時期です。卒業後の仕事について話すとき、「私には専門性がないから」という言葉をよく聞きます。文字通りネガティブな意味でも。特定の領域に縛られないというポジティブな意味でも。 11月4日に友人たちと企画したトークセッションでも、そのような話題になりました。働き始めて日は浅いですが、ソフトウェアエンジニアといういわゆる専門職に私は就いています。トークセッションでは、学生生活からは不自然な専門職を選んだ理由について問われま

          素人であること、専門的であること

          構築すること、解体すること、再構築すること

          先週は葛尾村にいた。東京までの帰り道で、この文章を書いている。 構築、解体、再構築 自分のこと、より正確には、村を通して見える自分のことを考えるとき、この三語が頭に浮かぶ。 何に対する構築あるいは解体であるか問われても、一言で答えられる気がしない。それでも、あえて一言で答えるならば、コンセプトの構築あるいは解体だと思う。 コンセプトは背骨だ。 背骨があると、姿勢が安定する。姿勢が安定すると、自分の振る舞いに自信を持つことができる。 背骨がないと、歩き始めることがで

          構築すること、解体すること、再構築すること

          拡散させること、縛り上げること

          ある時期までは、キャッチーな自己紹介ができる人になりたいと思っていた。ある時期からは、わかりにくい自己紹介をしてしまうような人になりたいと思うようになった。今はなんて自己紹介していいのかわからなくなっている。 興味関心も、専門領域も、活動内容も、他の人より自分は拡散している方だと思う。特定の物事を続けてこなかった。 意図してそうしているのか、特性と環境ゆえにそうなったのかは、自分でもよくわからない。 自己紹介には困るが、拡散している感じは嫌いではない。エンジニアなのか、

          拡散させること、縛り上げること

          仮構に向かっていくこと

          「第2回松本家展―昨日の記録、1万年の記憶―」というグループ展を昨夏に開催した。この展示の振り返りをちゃんと書いていなかったから、日記として少しずつ書いていくことにする。 日記ゆえ、読みにくさは許して欲しい。もし書き溜めてることができたら、まとまった文章に編集しようと思う。 第2回松本家展はリサーチに基づいた展示であった。縄文遺跡の発掘調査書を読み込んだり、松本家のご家族の方々にお話を伺ったり、かげ広谷地の集落に関する調査をまずは行った。この調査が起点であることは間違いな

          仮構に向かっていくこと

          本心であること、内発的であること

          本心であるか。あるいは、内発的であるか。 そのような問いの答えは、あまり重要ではないと思っている。 それは本心ではない。あるいは、外発的である。 そのような認識は、とても重要だと思っている。 やりたいことはなんですか? そのような問いを投げかけられ続けてきた。 高校に進学したあたりからずっとだ。 偏見かもしれないが、多くの高校生にやりたいことなんてないと思う。 あるとすれば、やりはじめてしまったものだ。 少なくとも、自分はそうだった。 しかし、やりたいことを問われる

          本心であること、内発的であること

          名をつけること、名をよぶこと

          人の集まりを何と名づけるか、ということを何年間か考えてきた。 そう考えるようになったきっかけは、「村」というものが一体何なのかわかなくなったことにある。「僕らは何を村と呼ぶのか」という文章にも書いたように、みんなそれぞれ「村」と呼ぶものがことなる中で、それぞれの言う「村」が何であるのか分からなくなっていた。 そして、具体的に実感を持てる「家」のスケールから物事を考える必要があるのではないか、という話をするようになっていった。 今もその考えは変わらない。しかし、自分が安易

          名をつけること、名をよぶこと

          逃走可能であること、継承すること

          「自由であるとは何か?」 学部時代、研究会に入るための選考で行われたグループディスカッションの議題がそのようなものだった。初対面の同級生たち、たしか6名くらいと画面越しに議論した。 雑にまとめると、ほとんどの人たちが「自由とは選択可能性である」という意見を述べていた記憶がある。そして、それに逆張りしようと、「自由とは逃走可能性である」という意見を僕は述べた記憶がある。 どのような理屈でそう言ったのかはいまいち覚えていない。 ただ、今の自分も同じような事を言うような気は

          逃走可能であること、継承すること

          続けてきたこと、続けていきたいこと、続けてしまったこと

          2日前、Twitterを辞めてみた。何十回としてきたログアウトでもアンインストールでもない。他の人にアカウントのパスワードを変えてもらってからログアウトした。これでもう自分ひとりではログインすることができない。 そうすると、いかに身体にTwitterが染み付いていたのかがわかる。道を歩いていて、ふと何かを思いついたとき、僕はTwitterを開こうとスマホを操作し、途中でTwitterを使えないことに気が付く。この2日間だけで幾度となく繰り返した。 中学2年生から日常的にT

          続けてきたこと、続けていきたいこと、続けてしまったこと