余田大輝

会社員になりました

余田大輝

会社員になりました

マガジン

  • 日記「こと」

    会社員になってから気まぐれに書き始めた不定期の日記です。こっそり覗いてください。

  • 年度の総括

    年度ごとの振り返りをまとめています。こっそり読んでください。

  • しゅたいって?

    • 10本

    「しゅたいって?」は同名のトークセッションのために用意されたマガジンです。 2023年3月16日19時より、西小山にて「主体」あるいは「主体性」をテーマに5名の大学生によるトークセッションを実施します。登壇する5名はそれぞれ異なる専門分野を持っています。哲学や建築や農学といったように大学での専攻もバラバラで、本屋さんやWebエンジニアや教育関係といったように学外での仕事もバラバラです。今回のトークセッションでは、登壇者がそれぞれ事前に「主体」をテーマにしたnoteを書くことにしました。5つのnoteをもとに、議論が交錯する点を探っていきます。是非ご覧ください。

最近の記事

  • 固定された記事

大学生活の総括

卒業するタイミングで「大学生活の総括」という文章を書くことは1年前から決めていました。しかし、いざ書き始めてみると全く進まず、そのまま新年度を迎えようとしています。書き進められないのは、おそらく背骨になる信念がないからなので、これまでに取り組んできたことや書いてきた文章を並べるかたちで、振り返りを進めていこうと思います。 2019コロナ禍が始まる1年前、2019年の4月に私は大学に入学しました。この年は分かりやすく「高校生活の総括」がテーマと言えるような年だったと思います。

    • 2023年度の総括

      はじめに2020年度、大学2年生の終わりから、毎年度末に振り返りの文章を書いています。昨年度末には「大学生活の総括」という題で4年間を振り返る文章を書きました。今年度から会社員になったので、書けないことが増えましたが、書ける範囲あるいは書こうと思える範囲で年度の総括をしていきます。 会社員1年目、それも文系学部出身のソフトウェアエンジニアとしては、この上なく順風満帆な1年間であったように思います。しかし、23年間の人生の中で最も不調な1年間でした。不調の大半は体調不良による

      • 生活の中のソフトウェアエンジニアリング

        労働者としての専門性労働者としてのソフトウェアエンジニアには、質の高い部品を作る技能が求められるように感じる。一昔前よりもエンジニア個人が技術的に担える範囲は広くなったものの、重宝されるのは特定領域に深い知識を有しているエンジニアの方だろう。商用のソフトウェアを作る上で、広く浅い知識は狭く深い知識があってこそ活かされるものであるように思う。 産業としてのソフトウェアはスケールを志向する。当然の話かもしれないが、商用に耐えるソフトウェアを作るには費用が掛かり、費用を回収して利

        • 筋力・技術力・語学力

          今年のテーマは「筋力・技術力・語学力」です。 と大学卒業時に書きましたが、2023年前半は全く風呂敷を畳むことができず、後半にかけて大いに体調を崩してしまいました。そして、体調と一緒に能動的に物事を始めようとするモチベーションを失ってしまいました。 それは良くない。何より健康が失われているのが良くない。 そこで、まずは筋力を鍛えることにしました。先月から近所のジムに通い始めました。食生活も見直しつつあります。待ってろ、健康な心身。 続いて、技術力も鍛える年にしたいです

        • 固定された記事

        大学生活の総括

        マガジン

        • 日記「こと」
          8本
        • 年度の総括
          4本
        • しゅたいって?
          10本

        記事

          素人であること、専門的であること

          2001年早生まれ。同世代には大学を卒業する前後の人が多い時期です。卒業後の仕事について話すとき、「私には専門性がないから」という言葉をよく聞きます。文字通りネガティブな意味でも。特定の領域に縛られないというポジティブな意味でも。 11月4日に友人たちと企画したトークセッションでも、そのような話題になりました。働き始めて日は浅いですが、ソフトウェアエンジニアといういわゆる専門職に私は就いています。トークセッションでは、学生生活からは不自然な専門職を選んだ理由について問われま

          素人であること、専門的であること

          構築すること、解体すること、再構築すること

          先週は葛尾村にいた。東京までの帰り道で、この文章を書いている。 構築、解体、再構築 自分のこと、より正確には、村を通して見える自分のことを考えるとき、この三語が頭に浮かぶ。 何に対する構築あるいは解体であるか問われても、一言で答えられる気がしない。それでも、あえて一言で答えるならば、コンセプトの構築あるいは解体だと思う。 コンセプトは背骨だ。 背骨があると、姿勢が安定する。姿勢が安定すると、自分の振る舞いに自信を持つことができる。 背骨がないと、歩き始めることがで

          構築すること、解体すること、再構築すること

          拡散させること、縛り上げること

          ある時期までは、キャッチーな自己紹介ができる人になりたいと思っていた。ある時期からは、わかりにくい自己紹介をしてしまうような人になりたいと思うようになった。今はなんて自己紹介していいのかわからなくなっている。 興味関心も、専門領域も、活動内容も、他の人より自分は拡散している方だと思う。特定の物事を続けてこなかった。 意図してそうしているのか、特性と環境ゆえにそうなったのかは、自分でもよくわからない。 自己紹介には困るが、拡散している感じは嫌いではない。エンジニアなのか、

          拡散させること、縛り上げること

          仮構に向かっていくこと

          「第2回松本家展―昨日の記録、1万年の記憶―」というグループ展を昨夏に開催した。この展示の振り返りをちゃんと書いていなかったから、日記として少しずつ書いていくことにする。 日記ゆえ、読みにくさは許して欲しい。もし書き溜めてることができたら、まとまった文章に編集しようと思う。 第2回松本家展はリサーチに基づいた展示であった。縄文遺跡の発掘調査書を読み込んだり、松本家のご家族の方々にお話を伺ったり、かげ広谷地の集落に関する調査をまずは行った。この調査が起点であることは間違いな

          仮構に向かっていくこと

          本心であること、内発的であること

          本心であるか。あるいは、内発的であるか。 そのような問いの答えは、あまり重要ではないと思っている。 それは本心ではない。あるいは、外発的である。 そのような認識は、とても重要だと思っている。 やりたいことはなんですか? そのような問いを投げかけられ続けてきた。 高校に進学したあたりからずっとだ。 偏見かもしれないが、多くの高校生にやりたいことなんてないと思う。 あるとすれば、やりはじめてしまったものだ。 少なくとも、自分はそうだった。 しかし、やりたいことを問われる

          本心であること、内発的であること

          名をつけること、名をよぶこと

          人の集まりを何と名づけるか、ということを何年間か考えてきた。 そう考えるようになったきっかけは、「村」というものが一体何なのかわかなくなったことにある。「僕らは何を村と呼ぶのか」という文章にも書いたように、みんなそれぞれ「村」と呼ぶものがことなる中で、それぞれの言う「村」が何であるのか分からなくなっていた。 そして、具体的に実感を持てる「家」のスケールから物事を考える必要があるのではないか、という話をするようになっていった。 今もその考えは変わらない。しかし、自分が安易

          名をつけること、名をよぶこと

          逃走可能であること、継承すること

          「自由であるとは何か?」 学部時代、研究会に入るための選考で行われたグループディスカッションの議題がそのようなものだった。初対面の同級生たち、たしか6名くらいと画面越しに議論した。 雑にまとめると、ほとんどの人たちが「自由とは選択可能性である」という意見を述べていた記憶がある。そして、それに逆張りしようと、「自由とは逃走可能性である」という意見を僕は述べた記憶がある。 どのような理屈でそう言ったのかはいまいち覚えていない。 ただ、今の自分も同じような事を言うような気は

          逃走可能であること、継承すること

          続けてきたこと、続けていきたいこと、続けてしまったこと

          2日前、Twitterを辞めてみた。何十回としてきたログアウトでもアンインストールでもない。他の人にアカウントのパスワードを変えてもらってからログアウトした。これでもう自分ひとりではログインすることができない。 そうすると、いかに身体にTwitterが染み付いていたのかがわかる。道を歩いていて、ふと何かを思いついたとき、僕はTwitterを開こうとスマホを操作し、途中でTwitterを使えないことに気が付く。この2日間だけで幾度となく繰り返した。 中学2年生から日常的にT

          続けてきたこと、続けていきたいこと、続けてしまったこと

          6月25日にカレー屋さんを開きます

          皆さん、カレーは好きですか? 僕はとても好きです。どんなカレーでもだいたい美味しく食べますが、特にトマトが強めのバターチキンカレーが好みです。 好きが高じて、3月には西小山の「籠~cargo~」というお店で1日店長として立たせてもらいました。カレー屋さんに向けた第1歩ですね。 そして、嬉しいことに、張り切って作った50食が完売するくらいには好評だったので、6月25日12~20時に同じく「籠~cargo~」にて再び1日店長をさせていただくことになりました。東急目黒線・西小山

          6月25日にカレー屋さんを開きます

          場所が溶けていく

          半袖だと肌寒く感じるようになってきた秋口のこと。無性に大学のキャンパスにいることに耐えられなくなって、行き先もよく見ずに普段使わない電車に乗り込んだことがある。キャンパスに行くのが当たり前だった大学1年のことだ。気が付けば、少し寂れた港町に辿り着いた。日も暮れる中、行く当てもなく町を彷徨っていると、港の近くにポツンと1軒だけ明かりのついた居酒屋があった。横目で様子を伺いながら入口を通り過ぎ、しばらく迷ってから引き返して、横開きの扉を開けた。見るからに地元の常連客しかいない。カ

          場所が溶けていく

          1日店長の雑記

          玉ねぎをみじん切りにする時間が好きです。ひとり黙々と刻むときも、誰かと一緒に刻むときも。穏やかな時間が流れているような気がします。刻むのはあまり上手でないので、作業速度はゆっくりです。でも、今回は時間に追われていて、業務スーパーで冷凍の刻み玉ねぎを買いました。ちょっと寂しい気持ちもありつつ、おかげで営業開始までに作り終えることができたので良い判断でした。 2年ほど前からスパイスカレーを作り始めて、そのうちカレー屋さんになるのもいいなと思い始めて、それから友人を招いてカレーを

          1日店長の雑記

          関係人口と呼ばれて―地域とその主体

          「あなたは葛尾村の関係人口だ」 そう言われ続けて早5年が経過した。「関係人口」という言葉を初めて知ったとき、その言葉を異物のように感じた記憶がある。それからあまりにこの言葉に触れすぎて慣れてしまったが、今もそこはかとない違和感を持ち続けている。 「関係人口」という言葉は、「ソトコト」編集長である指出一正氏や「東北食べる通信」編集長である高橋博之を中心に2016年頃から使われ始め、その後に総務省や国土交通省が管轄する政策でも頻繫に使われるようになった言葉だ。総務省は「関係人

          関係人口と呼ばれて―地域とその主体