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仮構に向かっていくこと

「第2回松本家展―昨日の記録、1万年の記憶―」というグループ展を昨夏に開催した。この展示の振り返りをちゃんと書いていなかったから、日記として少しずつ書いていくことにする。

日記ゆえ、読みにくさは許して欲しい。もし書き溜めてることができたら、まとまった文章に編集しようと思う。

 松本家は福島県双葉郡葛尾村の北端にある一軒家です。 第二次世界大戦中に疎開して以来、松本家一家が暮らしてきました。2011年福島第一原発事故により葛尾村全域が帰宅困難地域に指定されたことに伴い、松本家も村外移住を余儀なくされます。 2022年現在、避難指示は解除されましたが葛尾村を離れた松本家の人々はもうその家には住んでいません。
 第2回松本家展では第1回-現在地-を引き継いで松本家の歴史を探ります。松本家が位置する広谷地地区の歴史は古く、縄文時代から人の居住が確認されています。遠い過去の歴史は遺物や学術調査を通じて考察される対象である一方、個人的な体験と結びついてその後の人生に影響を与える記憶を作ることもあります。対して、思い出として語られるような近過去の出来事は個人的実感に溢れるがゆえに、他者が記録し語り直すことではじめて歴史として客観的に扱える対象となるものでもあります。
 本展では記録と記憶を行き来しながら松本家の土地と人々の歴史に目を向けます。実物が残されている場合についてはできるだけ現物を展示し、思い出話として語られる歴史については影絵劇を用いてシーンの再構築を試みました。過去を記録し、物語ることは、これからの松本家のカタチを想像するための補助線を引く行為となるでしょう。

筏千丸・余田大輝「はじめに」『松本家通信2022年夏季号』

第2回松本家展はリサーチに基づいた展示であった。縄文遺跡の発掘調査書を読み込んだり、松本家のご家族の方々にお話を伺ったり、かげ広谷地の集落に関する調査をまずは行った。この調査が起点であることは間違いない。

しかし、リサーチに忠実であるとは到底言えない作品になっていった。

1. 影絵劇を中心としたインスタレーション

最初にできた作品は影絵劇だった。松本家のご家族の聞き書きをもとに影絵劇を制作した。当日の展示では、松本家にゆかりのあるモノを配置した蔵の中で、影絵劇の映像を投影した。

インタビュー映像を投影する、昔の写真を投影するなど、同じ映像でも選択肢があった中で、影絵劇を選択した。言葉あるいは景色をそのまま映し出すのは鮮明すぎて避けたいという話を当時はしていた。

2. 松本家通信2022年夏季号

次にできた作品は「松本家通信2022年夏季号」であった。蔵に置いたモノたちと影絵劇の映像それぞれにつけたキャプションがこの冊子に掲載されている。

展示に関わる人たちみんなで、対象から自由に想像力を働かせた文章をキャプションとして書いた。例えば、次のような書き出しで始まる。

ここで小噺を一席。

筏千丸「松本家落語鉄クズ」

こんにちは!僕は松本さんのお宅のトラクターです!

渡部碧「想いを耕すものたち」

2022年5月4日。わたしたちは松本家のBBQにお邪魔した。

石田きなり「記憶と記録が重なる居間で。」

どれも対象に関連する内容であることは間違いない。しかし、歴史調査のテキストとしてはでたらめだ。内容の正確さよりも自分たち自身の言葉と想像力で書くことを大切にしようという話を当時はしていた。

3. 松本家架空日記

最後にできた作品は「松本家架空日記」であった。展示制作者も来訪者も一緒になって、松本家に関する架空の日記を書いて投稿する作品である。アプリから日記を投稿すると、会場にある電球が点灯し、アプリ上の日記にページが追加される。

松本家架空日記では、紀元前から遙か未来まで好きな日付で日記を書くことができる。インスタレーションを見て、キャプションを読んで、そこから想像を働かせて、展示会期中に様々な日記が投稿された。

仮構に向かっていくこと

インスタレーションからキャプション、そして架空日記へと、歴史調査から制作が始まった第2回松本家展の作品はフィクションになっていった。このように仮構に向かっていくことに、どのような意味があったのだろうか。

仮構に向かうに連れて得たものは、自分たちの言葉であったように思う。それが仮構だとしても、自分たちの言葉で松本家について語るようになっていった。

また、松本家展は住まれなくなった松本家の建築計画を考えることを目的に始まった展示である。そうであるから、仮構であった架空日記はいずれ建築計画を考える上での材料になっていくかもしれない。

そのように考えると、歴史調査から出発して、仮構に向かっていき、そこから建物に戻ってくる過程の中で、自分たちの言葉を掴み取っていく過程が第2回松本家展であったのではないだろうか。仮構を経由することで、自分たちの言葉でイエあるいはムラについて語ろうとしたのではないかと、展示を振り返る中で考えた。

これはおそらく次の文章で書いた内容と関連している。

さて、仮構の先で私たちはどこに向かうのだろうか。今はまだよくわからない。

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