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長くいること、いるからすること

ただそこに長くいることは意外と難しい。

「地元だから」「家族やパートナーの都合で」「仕事や学校の都合で」以外の理由で、ある地域や場所に長くいることは少ないように思う。ここで言う理由は人生を縛る所与の条件のようなものだろう。他にどのような理由があるだろうか。

目的があって、ある地域や場所にいる人たちは割と見かける。自分の周囲には、地域活動やフィールド研究をする人たちが多いからかもしれない。特に「地域づくり」のためのプログラムに参加する学生を多く見かける。自分もそのひとりだった。

目的は目的である限り、達せられれば、そこにいる理由はなくなる。プログラムが終わった後に、そこに居続ける理由がない。居続けることを望んだり望まれたとしても、その理由は自分自身で作る必要がある。理由を作れないと、東京の大学生であれば、東京で就活することになりがちだ。そう考えると、やはり長くいることは難しい。

しかし、長くいることでしか成せないこともある。その地域や場所で関係を築くこと。そこでの経験を語ること。それらをきっかけとして物事が始まること。意図も予測も難しい「いるからすること」がある。理由を上手く説明できないが、私はそういう物事が好きだ。

自覚的に長くいるためには、人生を所与の条件で縛ってあげる必要がある。自覚的なのかは分からないが、店舗を借りて改装して事業を始めた友人や、畑を借りて実るまで数年かかる果実を植えた友人は、それらの行為によって人生を縛ったのだろう。素直にカッコいいなと思う。

私は何かで人生を縛るのだろうか。縛るとしたら何なのだろうか。

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