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2020年度+α の総括

 2020年度も終わりが近づく中で、いろいろなものを投げ出して、僕は島根県津和野町にいます。特に何か目的があって滞在しているわけではなく、友人と町歩きをしたり、高校生と農作業をしたりして過ごしているのですが、せっかく時間もあることなので、2020年度の振り返りをすることにしました。定期的に書いてきた出来事ベースの振り返りnoteを1次情報として、それを包括するかたちで2次的な振り返りを行っていこうと思います。

1. 自意識の出口(2020/1-2)

 2020年度の振り返りではありますが、僕の中でキリが悪いので、2020年頭から始めていこうと思います。2020年1月から2月前半は、いろいろなところに動き回った期間でした。この期間で「なぜ自分は棚田に取り組んできたのか?」という自分が囚われ続けてきた問いに対して、暫定的な答えが出たように思います。高校時代、僕は棚田用稲刈り機の開発に取り組んでいました。そして、稲刈り機の開発を含む事業案で複数の学生を対象としたビジネスコンテストにて優勝しました。これだけ聞くと輝かしい実績のようですが、当の本人は素直に喜べるような状態ではありませんでした。なぜなら棚田への関心は演技であったからです。僕は中学時代ハンドボール部に所属しており、高校入学時に辞めました。辞めるときの言い訳として「ビジネスに興味がある」とお世話になってきた顧問に言いました。その言い訳や何もしていない自分を正当化するために始めたのが日本政策金融公庫主催の高校生ビジネスプラン・グランプリです。題材は何でもよかったので、その時期にネットニュースか何かで出会った「棚田」を選びました。想いがある人間や現場を回る人間が評価されると聞いたので、全国の棚田農家を巡り、棚田を語れるように自分自身を作り込みました。その結果がビジネスコンテストの全国優勝でした。もちろん結果は嬉しかったのですが、作り込んで演技をしている自覚があったので同時に後ろめたさも感じていました。そこからは後に引けなくなって、いろいろなところに棚田や農村に関心がある人として顔を出すようになりました。そうして後ろめたさが日に日に積もっていきました。このままでは耐えきれないので、ようやく「なぜ自分は棚田に取り組んできたのだろうか?」ということを考え始めました。大学入学以来、ずっとそのことを考えてきたのですが、暫定的な出口が見えたのが2020年の2月3月だったように思います。

 まず、考える土台を作ってくれたのは、所属しているサークルであるUTSummerでした。UTSummerは対話プログラムを軸としたサマーキャンプを中高生に提供する団体です。「普段教室では話せない本音を語り合いたい」「学校での生きづらさを解消したい」というような想いから設立されました。活動内容としてはサマーキャンプの企画運営なのですが、それに携わることは自分自身の内面にも影響を与えることになりました。自分自身の経験、特に囚われていることを言葉して、考えて、話す機会は、UTSummerに入るまであまりなかったように思います。特段UTSummerのメンバー同士でそのような話をしたわけではないのですが、対話の場を提供することを通じて、自分の内面には今は言葉にならない何かがあり、自分はそれに囚われて生きているというような認識を持つようになりました。これはこの先での思考の土台になっているものだと思います。

 次に、「なぜ自分は棚田に取り組んできたのだろうか?」という問いについて考えるきっかけをくれたのは、当時イベントの企画運営に携わらせていただいていたWOW!BASEでした。WOW!BASEとは、ビジネスの現場のノウハウを学生などに届けるイベント等を企画運営するリクルートグループのプロジェクトです。僕は他のメンバーとともに、自分自身の経験を話すようなイベントを作りました。そのため、否が応でも自分自身が囚われてきた棚田について考えることになりました。また、参加者として参加したWOW!BASEの合宿プログラムでは、新潟県十日町市に位置する星峠の棚田を訪問しました。その中で「自分は世の中すべての棚田に興味があるわけではない」ということに気づいたことは、後の思考に大きくつながってきます。

 加えて、友人の誘いで津和野高校で授業をしたことも、考えを深める重要な機会でした。授業は大学での学問の内容や面白さについて高校生に伝えるというもので、僕は経済学における最適化問題を身近なお小遣いを例にして伝える授業をしました。内容としては良い授業をした自負はあるのですが、やはり自分自身の想いを込めて授業をしている友人と僕は違うなと感じました。この頃から自分自身の想いに対して自覚的になっていったように思います。

 このような経験を通じて、「なぜ自分は棚田に取り組んできたのだろうか?」という問いに暫定的な答えを出しました。それは「はじめは完全に意味などなかったが、取り組む中で感じた得体の知れなさに惹かれているから」というものです。得体の知れなさとは何かというと、特定の土地に対する人間の想いです。当時の僕は棚田に取り組む理由を環境保全や文化継承というような言葉を使って説明していました。しかし、実際に棚田で米づくりを行っている農家の方々から、そのような言葉が聞かれることはほとんどありませんでした。手間もかかるし収量も少ないのに棚田で米づくりをする理由は、もっと個人的なその土地やそこで紡がれてきた歴史との関係にあったのです。僕はその感覚が全く理解できませんでした。それと同時に、その感覚に共感できなくとも、理解したいと思うようになりました。そのような特定の土地に対する人間の想いの象徴として棚田を捉えています。

2. 問いの実感(2020/2-3)

 僕の身近なところに「特定の土地に対する人間の想い」がもう1つありました。それは福島県双葉郡に位置する葛尾村という人口400名の農山村です。葛尾村は東日本大震災による原発事故の影響で、2011年から2016年までの間、全村避難となっていました。現在でも、立ち入りが制限されている地域や除染土を詰めたフレコンバックが積まれている田畑があります。そのような状況下でも帰村する人が数百人もいました。そこには生まれ育った土地への想いがあることを頭の中では理解していましたが、実感として理解することはできませんでした。この感覚は棚田に対するものと共通していると思います。この村に僕は高校3年次の春から現在まで3年間にわたって関わってきました。そのきっかけとなったのは高校の後輩と先生からの誘いです。「公欠で授業を休んで田植えに行こう!」という魅力的な提案に乗って、旅行気分で葛尾村に行きました。それがとても楽しかったので、その後も誘われるがまま何度か村を訪れました。

 転機となったのは、2020年2月から3月にわたって葛尾村で実施されていた復興創生インターンシップの学生スタッフの仕事を引き受けたことです。今まではお客さんとして村にいるという感覚が強かったのが一転、外から来たインターン生を受け入れる側になりました。また、棚田に対する自分自身の想いを自覚した上で村に訪れる初めての機会でもありました。学生スタッフとしての働きは正直どうだったかはわかりません。ほとんど説明もなく現場に放り込まれて、良くも悪くも多くのインターン生に嫌われたように思います。どのような仕事をしていたかはもうあまり覚えていないのですが、「地域で暮らしている」という感覚を初めて得たことは鮮明に覚えています。何度も訪れていた上での長期滞在であったため、僕のことを覚えてくれる村の方がちらほら見られるようになりました。また、村のお店や道路なども覚えてきました。僕は生まれ育った地元にあまり知り合いがおらず、近所で遊ぶことも多くはなかったので、この時点で葛尾村は地元よりも地元だなと思っていたような気がします。まだ特定の土地に対する想いを理解できるにまでは至りませんでしたが、もし僕自身にとって特別な関係を持ちうる場所ができるなら、それは葛尾村だろうなと思っていました。

3. 消化する日々(2020/4-5)

 復興創生インターンシップ20春が終わり、新年度を迎えました。春休みを通じて「なぜ自分は棚田に取り組んできたのだろうか?」ということを考え続けていた内省的な時期に一区切りがつき、次の段階に移行しうる時期に差し掛かりました。内省的な時期を抜けた先には前向きな未来が待っていると思っていたのですが、いざ訪れてみるとそういうわけでもありませんでした。今までの自分が何を想って何に囚われてきたかについては大まかに掴めてきたのですが、現在の自分を突き動かすような感情は自分の中に存在していない、少なくとも認知できていなかったために、何をしたらよいかわからなかったのです。さらに、追い打ちをかけるように、新型コロナウイルスの感染拡大が起こりました。コロナ禍の影響で、大学のすべての授業がオンライン形式となったために、外出する機会や人と話す機会が極端に減少しました。自宅と教習所を往復する生活を送っていたのですが、日々を消化している感覚に近く、何をしていたのかほとんど記憶に残っていません。

4. 暮らしの獲得(2020/6-9)

 このままではダメになると思い、6月から再び葛尾村に滞在するようになりました。明確な目的があったわけではなく、自宅に引きこもるよりはよいだろうというような気持ちで村に移動したように思います。コロナ禍でオンライン授業になっていることを利用し、2週間の自主隔離を経て、葛尾村生活が始まりました。継続して復興創生インターンシップのスタッフを引き受けることが再訪したきっかけではありましたが、仕事をするために葛尾村に来ているとは思っていませんでした。後の展開を考えると「思いたくありませんでした」という言葉の方が適切かもしれません。その現れとして滞在中に自分のことを「葛尾村(および滞在していた民泊ZICCA)の居候」と名乗っていました。この背景には、棚田から続く「特定の土地に対する人間の想い」に対する関心があります。高校時代からビジネスコンテストに出たりしているので、地域で起業したい人と見られがちですが、そこで暮らしている人たちのあり方を眺めることの方に面白さを感じていました。また、2月から3月の滞在の中で、僕自身も村に対して特別な感情を持ちうるなという感覚があったので、今夏は村で暮らしたいというような思いがありました。それが村で仕事をしている「スタッフ」ではなく、村で暮らしている「居候」と名乗たかった理由だと考えています。

 実際に初めて村で暮らした3か月間だったように思います。今までは葛尾村と言っても、民泊ZICCAとその周辺くらいが行動範囲でした。一方、今夏は村内の交友関係が広がったことと、自動車免許を取得したことで、面的にも層的にも自分にとっての村が広がりました。例えば、かつらおスポーツクラブに入会して、6歳から60代まで村のいろいろな世代の人たちとバドミントンをするようになりました。また、同世代から少し上くらいの方々と知り合い、職場や家に遊びに行くようになりました。このようにコミュニティが多層的になっていったように思います。

 さらに、滞在期間が長期であったことで、今までは野菜をいただいたり、ちょっと草刈りを手伝う程度だった畑仕事に本格的に関わるようになりました。民泊ZICCAの大家さんから教わりながら、いろいろな野菜を育てました。育てた野菜は自分たちで食べるだけではなく、村の方と交換したり、村外の方に送ったりしました。それによって、野菜がコミュニケーションが生まれるきっかけになっていたように思います。特に、村のおばあちゃんたちから郷土料理の作り方を教わったのは、長く村にいて野菜を自分たちで育てていたからこそのものだと感じています。また、民泊ZICCAの改修にあたる大工仕事も手伝いました。コンクリートの床に塗装をするなど自分でもできる範囲の作業をさせてもらいました。このように初めて自分の生活を自分の手で作っていた期間でもあったように思います。

 ここまでは交友関係が広がったり、村での暮らしに馴染んだりと、時間的に現在の話をしていましたが、それにとどまらず関係は過去にまで広がっていきました。きっかけとなったのは葛尾村史を読むようになったことです。葛尾村に関する記事執筆をしていたので、その参考資料として村史を読むようになりました。学術的に信頼できる文献かはさておき、村史の内容が頭に入ると、今まで見ていた土地の後ろにいろいろな物語があるように見えてくるようになりました。さらに、それを話のきっかけとして、村の方から昔話を聞くようになり、背後の物語はどんどん膨れ上がっていきました。このように土地の歴史というものを実感できた期間であったように思います。こうして夏の期間を通じて、空間的にも質的にも時間的にも葛尾村との関係が深まっていったことで、ある種の地元性が強化されていったと感じています。

5. 心の歪み(2020/10-12)

 夏の葛尾村滞在を通じて、僕は葛尾村で暮らすことに惹かれるようになっていました。言い換えると、葛尾村に対して特別な感情を持ちうるという感覚が確信へと変わっていきました。しかし、体感的にはどんどん状況が悪化している感覚がありました。今になって振り返って思うことですが、それは仕事との距離感が要因であったと感じています。いくら村の居候だと言おうが、結局その暮らしは復興創生インターンシップのスタッフの仕事をしていることと、それに伴って民泊ZICCAに滞在させていただいていることを前提にして成り立っています。そのため、葛尾村に居続けるためには仕事を続ける必要がありました。それ自体は何ら悪いことではありません。むしろ、仕事を通じて地域に貢献しながら、自分の暮らしをできているのならば、それは双方にとって良いことでしょう。したがって、大学生活と仕事と暮らしの適正バランスを見つければよいというだけの話です。

 しかし、次の2つの内的要請がそのバランスを崩させていました。1つ目は、仕事ないしはプロジェクトに関わることがアイデンティティとなっていたことです。実は棚田にそこまで思い入れはないとは内側では思いながら、外側ではビジネスコンテストで優勝した活動的な人間として生きてきました。どう見られているのか分かりませんが、そう見られるように振舞うことで自分は何者かであると信じたかった部分はあると思います。そのため、活動的であることを辞めることに怖さを感じていました。2つ目は、経済的自立に固執していたことです。ずっと家を出たかったので、高校生のときからビジネスや仕事というものに囚われているのだと思います。

 さらに、2つの外的要請がそれを強化したように感じています。1つ目は、比較的プロジェクト全体に関わるような仕事をさせてもらっていたことです。これは何も悪いことではなく、むしろありがたいことなのですが、自分の中での適正バランスよりも大きなものを引き受けた状態をそのままにして潰れかけた自分は悪かったと思います。2つ目は、前向きに社会的インパクトのあるプロジェクト取り組むことが良いとされるような風潮です。もちろんそういう取り組みは良いことですし、僕が気にしすぎなだけかもしれませんが、「なんだかんだ言って若いんだから大きなプロジェクトやりたいでしょ?」「他にやりたいことがあるんじゃないの?」というように、悪意なく前向きで社会的でいさせようとする言葉をかけられてきたように思います。本当はもっと後ろ向きで内向的でいたかったのですが、そうしてはよくないのかなというような気分になっていました。以上のような要因から、仕事を中心とした物事との距離感が狂ってきていたことで、今のままではよくないという感覚があったように思います。

6. 無気力な日々(2021/1-2)

 年末に葛尾村から自宅に帰ったのですが、ありえないくらい無気力でした。この時点では前章で書いた状態を認知できていたわけではないので、漠然とした状態の悪さに苛まれていたのは大きな要因の1つです。また、葛尾村にいると生活の中にいろいろな他者がいるのですが、自宅に帰るとそのような存在がいなくなってしまいました。それによって無気力さに拍車がかかったように思います。そうした状況下でも、期末試験は訪れ、復興創生インターンシップも始まるので、なんとか課題や仕事をこなしながら心を荒ませていました。

7. 歪みを越えて(2021/2-3)

 とりあえず人がいるところに行かなければならないと思い、再度2週間の自主隔離の後に葛尾村を訪れました。今冬の滞在で僕にとって最も意味があったことは、自分以外にも同世代のインターンスタッフがいたことです。彼らとは、一緒にご飯を作ったり、温泉に行ったり、ゲームをしたり、花火を見たりと、いろいろなことをしました。また、その中でお互いにいろいろな話をしました。その中で他者がいる生活に帰っていき、自分を相対化して眺めて理解することができたのではないかと思います。それを通じて、ここまで書いてきたような自分自身の状態を認知していきました。そして、唐突ではありますが、シン・エヴァンゲリオンに背中を押されたような気がしています。自分の状態が悪くなると、内省的に考える中で自意識の中に引きこもるきらいがあるのですが、現実の中で生きろとエヴァに後ろから殴られたと勝手に思っています。

 また、インターン生との距離感が大きく変わった機会でもありました。今まではプロジェクト担当のスタッフとしてインターンに入っていたので、同世代でも少し距離を感じていました。それが今回は、スパイスカレーやラーメンを作ったり、オンライン参加者も含めた打ち上げを企画したり、メッセージ動画を制作したりと、距離の近い位置にいられるようなことをするようになりました。それが本当に楽しくて、たぶんカレーを作っていたときが今までのインターン期間で1番笑っていたと思います。それと同時に、惰性で死んだ心で他の仕事をしていたことを自覚させられました。そういう仕事をするしかここにいられない、僕でいられないというような感覚があったために、今までは心は荒んでいたのだと思います。でも、カレー屋さんやラーメン屋さんを通じて、別にそうじゃなくてもここにいられると実感を持って思うことができました。これは今までの悪い状態を脱する大きなきっかけになったのではないかと思います。そうした心持ちで望む仕事は楽しいのではないかとも思うので来年度が楽しみです。

 ここまではある意味後ろ向きで内省的な振り返りをしてきましたが、今冬の滞在の中では少し前向きな想いも生まれました。それはやはり「特定の土地に対する人間の想い」に対する関心の先にあるものです。今滞在中、僕たちは葛尾村の中でも外れの帰宅困難区域の真横の家に住んでいました。そこはお世話になっている方のご実家で、東日本大震災で避難したために今は誰も住んではいません。それでもご家族の方々は家を大事に思って、定期的に訪れています。また、あまりに寒すぎたので僕たちはその家を「シベリア」と呼んでいました。一見ネガティブな言葉のようですが、そこには僕たちのその家に対する特別な感情が込められていると思っています。何かがなくなりそうになるとき、そのような想いは顕在化するように思います。そして、苦しめられる人もいると思います。僕は今までそういう想いが理解できませんでした。そして最近ようやく実感を持って理解できるようになってきました。だからこそ、そこで当事者として過ごしていきたいし、そこにあるものを示していきたいと考えています。まだ漠然としていますが、来年度はそんなことを考えながら暮らす1年間にしていくつもりです。

8. 振り返りの振り返り(2021/3)

 長々と1年間+αくらいの振り返りをしてきましたが、最後に振り返りの振り返りをしたいと思います。この振り返りはほとんどが福島県葛尾村を舞台とした話ですが、このnoteを書いた場所のは島根県津和野町です。想像していたよりも自分自身は今いる環境に囚われているので、このように振り返りをする際に、環境を変えることは非常に重要なことだと感じました。津和野で出会った皆さん、お世話になりました。バターチキンカレーくらいしか返せていないのが申し訳ないくらいです。また来年度末にでも振り返りをしに来ようと思います。


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