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松本家のつぎはぎ

今年の夏に僕たちは「松本家」と呼ばれる家を題材にした展示会を開催しました。今もWebサイト内に作品を掲載しています。

これは何のためのどんな展示会でしょうか。
正直、自分でもよくわかっていません。少なくとも上手く言葉にすることはできていません。

なぜでしょうか。
それはおそらくいろんな人たちのいろんな想いが重なり合った先で「松本家展」というカタチが生まれているからだと思います。僕1人が込めた想いを語ればよいというものではないのです。

そうであるならば、これまでいろんな人たちによって記されてきた松本家についての文章をつぎはぎにすれば、松本家展の全貌がなんとなくでも浮かび上がるのではないか。これはそういう試みです。

以下、つぎはぎ。

松本家は福島県双葉郡葛尾村の北端にある一軒家です。 第二次世界大戦中に一家が移住して以来、代々松本家の人々が暮らしてきました。 2011年福島第一原発事故により葛尾村全域が帰宅困難地域に指定されたことに伴い、松本家一家も村外移住を余儀なくされます。 2021年現在、松本家の避難指示は解除されましたが葛尾村を離れた一家の人々はその家にはもう住んではいません(第1回松本家展ポスターより)

松本家に時折新たな訪問者が顔を出すようになりました。 全国各地から葛尾村を訪れる若者たちです(第1回松本家展ポスターより)

松本家に集まり、そこで起きた出来事に感動し、面白がり、時に一緒に考える。焚き火をぼーっと見つめながら取り留めのない話に花を咲かせ、BBQをしながら椎茸の美味しい焼き方に苦戦し、去り際には全員で掃除に取り組み、玄関先で「またね」と言って別れる。旅行ともシェアハウスとも違うこの時間が私は好きなのだ(石本帆乃「松本家と私と土地」『松本家通信2021年夏季号』より)

「記録する、物語る」とは松本家に関わる人がそれぞれの視点で松本家を見つめ、それがどんな関わり方であろうとも自分なりの方法で松本家を語ることだ。文章でも写真や絵画でもおしゃべりでも表現手段はなんでもいい。肯定的でも否定的でも構わない。ただ松本家を話題に出すことだけは続けよう。それによって自分たちにとってあるいは松本家を見聞きした他の人にとって松本家がなにを意味するのか後々わかってくるだろうというのが記録し、物語る姿勢だ(筏千丸「語り部たちの家」『松本家通信2021年夏季号』より)

特別有名でないことでも、必ずしもこれから発展していくのではないことでも、記録し、物語ることそれ自体に何かしらの意味があるのではないか、なにか救いになることもあるのではないかとの思いで松本家計画は進められています(第1回松本家展ポスターより)

松本家からは,進入禁止のバリケードや,未だ処理されず残っている多くのフレコンバッグを目にすることができますが,この景色を抜きにして私たちがここで出会うことはなかったのかもしれないと思うと,言葉に表せない感情の入り混じった想いが,じわじわと心の中を埋め尽くしていくような感覚を覚えます.松本家には,私の知らない多くの歴史や文化が代々残されており,そこにこのようにして自分たちが関われたことや,これからも記述されていく記録の中に自分の言葉を刻めることが,改めて奇跡だと感じます(成玲娜「私と松本家とを結んだ不思議なご縁」『松本家通信2021年夏季号』より)

それでも私は、これからも葛尾村を想い続けます。想い続ける事、忘れない事、これも一つの恩返しなんだと信じています。きっとこれからも、私が人生の大切な決断をする時に葛尾村を思い出すと思います。今の私は村を少し離れたところから見ているだけの人です。でもそれは、最初の頃のように入れないからではなく、大切な場所だと想い続けるという意味での「見ているだけ」の人です(檜浦大河「私の葛尾村 出会いから今日まで」『松本家通信2021年夏季号』より)

僕はいまいち葛尾村に関わる理由、松本家に関わる理由がわからない。無理やりでもいくつか出せと言われたらぽつぽつと出てくるのだろうが、自信を持ってこれだ!と言えるかと問われたらそうではないように思う。恐らく他の仲間は、自身が関わる理由などは明確で、それについて書いているのだろう。でも、自信を持ってこれだ!と言えないものをここに寄稿するのは嫌だった。正直に「わからない」ということを書こう(堀田滉樹「わからない」『松本家通信2021年夏季号』より)

語り部は時間をかけて自分の中で消化しながら語りを繰り返す。それによって自分なりの語り口で対象の全体像を捉えようとする。建築に置き換えるなら、それぞれの参加者がどんな空間が望ましいのか時間をかけて反芻しながらアウトプットを続け、それにより建築計画の参加者で建築イメージを共有するということになろう。語り部になる過程は建築計画の参加者が設計者になる過程でもある(筏千丸「語り部たちの家」『松本家通信2021年夏季号』)

東日本大震災までは「暮らしの拠点」としての松本家として利用されていました。(中略)避難開始後すぐのころは、家に荷物を取りに行ったり、お墓参り等で訪れた際の「休憩所」としての利用が主であったと記憶をしています。(中略)今度は自由に出入りができるようになったので、BBQや家族のキャンプ等で少しの期間「滞在する場所」としての使い方をするようになったのです(中略)このように振り返ってみると、松本家の役割や用途は初めてこの地に定住してから、その時代の移り変わりとともに、その時代に合わせた役割をもって今日まで在り続けたと考えられます(松本隼也「松本家の現在地」『松本家通信2021年夏季号』)

空き家になって10年が経ち、人の出入りがめっきり減った松本家、けれども様々な可能性を秘めた松本家に、その時々の必要とされる機能と役割を持たせることで、出入りする者たちにとって居心地の良い特別な場所となっていってほしいと思います。また、これまでそうあったように、時代に合わせて「カタチ」を変え、次の世代へと繋ぐことができれば大変嬉しく思います。 そしてその「カタチ」は、「今」を関わっていく者たちが、決めていくものであると思います。その選択が、発展を生むものであっても、その逆であっても、いつか役目が終わるときまで私たちはそれを記録し物語りたいと思います(松本隼也「松本家の現在地」『松本家通信2021年夏季号』)

松本家を秘密基地にしようという話が出たときには心踊った。秘密基地という言葉が持つ何らかの効果もあると思うが、何よりも、村での自分たちの居場所を自分たちの手で作り、そこで関わっていけるかもしれないということが嬉しかった。松本家計画にはいくつか目的(趣旨)があるが、私の中ではこの関わり代としての側面が大きい(星葵衣「現在地の因数分解」『松本家通信2021年夏季号』)

加えて、葛尾村はなんだか居心地がよかった。それぞれが思い思いに過ごせる。学校という場だけでは教えきれない、大人の手を離れて自分たちで計画することの楽しさや非日常、隠れ家、秘密基地、息抜きの場だった。主に学力で評価された学校に比べて、葛尾村ではもっと自分たちの得意分野をもちよってのびのびと過ごすことを許されていて、現代日本にやや足りないものをさりげなく教えてくれているような気がした(柴田百合子「私がなぜ葛尾村に関わるのか」『松本家通信2021年夏季号』)

確かに原発事故が「松本家」に重大な影響を与えたのは紛れもない事実でしょう。それでも、「松本家」を通じて今の自分に見えるものは、原発事故だけではありません。みんなで焚き火をしたときの思い出もあれば、トシヤさんから聞いた昔話もあります。フレコンバックの下の地層を感じながら、フレコンバックの上を自分たちで生きるようになりました。そうした今、「松本家」にとって私は他人ではないでしょう(余田大輝「「関係人口」として松本家にいること」『松本家通信2021年夏季号』)

松本家展の本質は、この家で紡がれてきた文脈を引き受けて、その上で自分たちの意志で家の未来を紡いでいくんだという姿勢である。展示会をすることはその発露である(文字起こし「第1回松本家総括MTG」より)

物語るという行為は人格的な行為。物語るというのはこれまでの松本家に自分を付け加えて語り直すこと。それは松本家でどう振舞うかということになる(文字起こし「第1回松本家総括MTG」より)

第2回歴史は松本家の文脈を共有しようという話であり、第3回未来はその上で1人1人の立ち位置を定めようという話であると思う。展示はそのプロセスを見せることなのではないか(文字起こし「第1回松本家総括MTG」より)

第3回松本家展とは松本家にまつわる意思決定のプロセスを見せる展示会であると余田が言っていた。第1回は古典的な展示会の形式をとったために分かりにくかったが、第2回第3回でやりたいことはまさにその話であると思う(文字起こし「第1回松本家総括MTG」より)

展示をすることは決して突飛な話ではない。そのストーリーラインが共有できないと、計画と展示が分離する(文字起こし「第1回松本家総括MTG」より)

自分たちが松本家計画(特に松本家展)について決めたことは2つだけ、松本家にこだわり続けること、物語ること。ふたつ目の物語ることについて自分たちはまだその意味を十分に解していない。これまではそれでもよかったかもしれない。でもこれから第2回第3回と続けていこうと思うなら等身大の松本家を表現するのでは不十分だ。自分たちはもう現在地から離れようとしているのだから(筏千丸「松本家/りんご/宇宙」)

結果論だが、3部作だからそれでもいい。第1回は展示すら本当にできるのか不安的な足場だったし、自分たちもコンセプトにここまで自覚的じゃなかった。したがって、第1回は足場を固める意味でも現在地であり、ここから第2回第3回で過去や未来に広がっていくのだろう(文字起こし「第1回松本家総括MTG」より)


以上、つぎはぎ。


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