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親子関係を社会学の視点をもって考えてみたら

母との関係性を綴ったエッセイの中で、
母親の厳しさからくる確執に焦点をあてた作品をみると、
その人たちが生きた社会や常識、
文化がもしも違ったら、
親子の絆も違ったかたちで築けたのではと想像する。


私が生まれるよりもずっと前に
日本は、核家族社会になり、
子どもの成長は親に委ねられる。


「親の顔をみてみたい」とは、
いつできた言葉なのだろう。

子どもの行動は、
親の躾の結果と捉えられる。


もし、親や祖父母だけでない、
地域共同体としての子育てが前提の社会だったら。

もし、誰もが我が子同然のようにその子の成長を見守る社会だったら。

母親や父親は、子どもがなにか失敗しても
「私の顔を汚して!」と、過度な責任と
必要以上のプレッシャーを背負わずに済むのかもしれない。


「親の役割を果たしきれていない私のせい」ではなく、地域社会の課題として、
子育ての解決策を見出せるかもしれない。


親子関係は、父親や母親が
もともともっている性格といった
個人レベルの問題もであるが、
その性格の一側面を作り上げているのはなにか。

背景を担っているのは、
親子の周りの地域社会や文化であったり、
社会全体レベルで取り組む課題なのかもしれない。


そんなことを、
ふと想像してみた朝の時間でした。

記事を見つけて下さり、最後まで読んでいただきありがとうございます。 少しでもなにか心に残るものを届けられていましたら、こんなにも嬉しいことはありません。