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モノクロ写真について。

先日。大学で写真の講義を行ったあと1人の学生が僕の所に質問に来た。
「先生のWebサイト見ました」
おお、ありがとう
「あの、風景の作品の事で聞きたいことがあります」
はい。
「あれはなんでモノクロ写真なんですか」
、、。

なんで、モノクロ写真なのか。


質問の意味合いも、答え方も色々あるなあと思いつつ。

「一番シンプルに表現したい事を出せるから、あの写真にはモノクロがあっていたしね」

と簡単にだけ言ってみたが、納得しきれてない顔をしていたように思う。


これがそのサイトの作品だ。

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https://akihiko-nagumo.com/archives/galleries/landscape_01

まず、僕と学生のモノクロ写真に対するスタンスの違いが大きいのかなあと思った。
僕が日芸の写真学科で焼いた写真は9割以上がモノクロのネガフィルムからだった。写真とはモノクロの事であり、カラー写真は「カラー実習」「特殊写真研究」という授業でやるぐらい、モノクロが学ぶべき写真だった。
現像やプリントもモノクロは自分のアパートで出来たが、カラーはそうも行かずなかなか自由に出来ない写真、そんな時代だった。

写真がデジタル化した今はコストもインフラもカラーとモノクロはイーブンになり、モノクロは逆に特殊な表現方法になっているのだろう。

「当たり前」と「特殊な表現」
これが二人の間でクロスオーバーしているので、学生からするとなんで特殊な事をするのか?という質問だったのかもしれないが、
僕は特殊な事をしたつもりは無いから「なぜモノクロなのか」の本質的答えはそこには無い。

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あの風景写真のシリーズは、モノクロにする事で僕が表現したい事が、抽出されたのだ、だからモノクロにした。ではその実態はなんだ、、

白黒、という表現に変えよう。

非売品だが昔白黒の「Quatrain」という写真集を出版した事がある。たまに読み返すと、もしかしたら一番好きな自分の作品集かもしれないと思う。
そこには白黒写真に対する自分の哲学が書かれている。


“その時空から音を取り去り、匂いを取り去り、色を取り去り、時間で切り取ったものが白黒の写真である。これ以上何かを取ってしまうとリアリティーは減少し ていくが、逆にこれ以上ないほど現実としての証明に使用されてきた。

つまり 時間(=時代)と形(=現象)ということについては最も裸の状態で、見るも のにストレートに事実が伝わっていく。それが白黒写真の強さであり、魅力と なっている。 

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人は過ぎ去った時代や失ってしまったものに対して、郷愁や追憶の思いを抱く。 悲しみや愛しさといった感情をもって、その記憶をせつなく想うのである。

「せつない」と「刹那」には言葉として直接の関係はない。前者は「強く想う」こ とに由来し、後者はほんの一瞬の時間の長さをいう。しかし刹那的に切り取られた「写真」がせつなさを呼び起こす鍵になることは多く、とくに白黒の写真 には「刹那さ」という感動が閉じこめられている。”

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プロになってからはカラーの仕事が9割となった。恐らくその中で感じていた味気なさや、学生時代に刷り込まれた写真表現のイデアがこの写真集を作る原動力になったのだと思う。プロになってもう一度、「写真表現」と向き合ってまとめた文章だ。

今でもこの考えは変わっていない。文章の後半はこじつけのような感じを受けるかもしれないが、白黒写真=古い写真という事実があった時代、もう戻らないその刹那を切り取った写真は切なさを生む一葉だったのだ。「刹那さ」というのはそこから生まれた複合的意味を持つ南雲的写真言葉だ。

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この白黒の写真集を作っていて、自分の写真と向き合って出てきた言葉は他にもいくつかあった。

“モノクロの目にすることで、写真にしたいと思う絵が見えてくる”

ずっと写真をやっていると何を撮っていいか分からなくなる事がある。そんな時はこういう思考もいいかもしれないな、と今になってまた思うのである。
白黒写真と対峙していると思考がどんどんシンプルに、本質に近づいて行くのを感じる。

そして一番の魅力は
「白黒の写真に色あせる事はない」
という事かもしれない。それはむしろ鮮やかに、心に突き刺さる力をもっているように思う。

今回学生が見た白黒の写真、久しぶりに僕が自分の作品として向き合ったその風景写真に僕はそういった魅力を与え、また色褪せない力を与えたのである。それはごく自然な行為だった。


前述の写真集「Quatrain」のなかにはパリで撮影した小さなバレリーナの写真が含まれている。 

“その物体は命であった。美しく、奔放で、強い。それは決して色あせることはないと思 わせる、永遠のイデアであり、一瞬の出来事でもある”

世界中のあらゆる場所に生命は存在し、君は奇跡的に僕の隣にいる


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写真を勉強するなら是非とも感じてほしい感覚なのだ。

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