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無人島レンズ一本

「無人島一枚」「無人島一冊」「本当に無人島」と、無人島3部作を書いておきながら今になって、コレ書かなくてどうすんだよっ!て気が付いた。

無人島にお酒の瓶を一本持って行くなら何を持って行くか、では決して無い。
無人島に一本しかレンズを持っていけないならどのレンズを付けて行くか、である。

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レンズの選択というのは使い手の姿勢がでるものだ。

フォトグラファーにとってそれは言葉使いを選ぶみたいなもので、

敬語なのか、タメ口なのか、びびってるのか、上からなのか、遊びなのか。勝負なのか、そんな感覚がある。

テクニカルなスタジオワークの仕事で選ぶレンズは、ビジネスでハイレベルに専門用語を使いこなす的にアオリのスキルを発揮する
キヤノンTS-E135mmF4Lマクロとか。

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はじめての取材現場では、はじめての人達と話すのに広く浅くでも色々な話題や引き出しが必要、 みたいにとりあえずなんでも撮れるキヤノンEF24-105mm F4Lズームとか。これに初現場へのビビりがはいるとズームが2本になる、そしてとっ散らかる。

今日は本気で作品をつくる。と言った時は被写体の心の奥まで入り込むつもりで、優しく深みのある

オリンパスZuiko90mmF2 Macroとか

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親しい友と過ごす癒しの時間では、それを大事に奇をてらわずに楽しみたい、そんな時は果てしなく自然でそれでいて愛おしくなるような描写をする
ライカ ズミクロン M 1:2/50

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などなど、

言葉と一緒でどう使うかはその人次第。
表現は人格からうまれてくる物でしかないのだが、自らが一体化したレンズによってその「撮りたい、表現したい」ものへの覚悟がうまれてくるのは確かだ。

なにせ両目で見ていた世界を単眼に絞り込み、感覚の全てを注ぎ込むのである。
どんなレンズでも自分と一体化したら目の前の世界に没入し、その世界を貪り始める。それがフォトグラファーの性だろう。

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それをしない人は写真などでは物事を語らずに言葉を使えばいい。

言葉もそうだが、写真の表現は人に投げかけつつも最後は自分にはね返ってくる自分の心の鏡みたいな部分がある。それを受ける覚悟をもった人が写真人だと思う。

ふまえて、無人島一本である。

さてさて、

言葉の通り、無人島は「人が住んでいない島」である。人物を撮るとしたら自分しかいない。じゃあポートレートレンズはやめよう、となるのか。
いやいや、写真にはセルフポートレートや擬人化という技がある。もしかしたら美しい花や時折現れる動物に恋をしてそのポートレートを撮影したくなるかもしれない。

そうなると、マクロまでイケて開放も明るいZuiko90mmF2マクロが先ず頭に浮かぶ。実際に学生の頃から一番苦楽を共にしてきたレンズであり、人、モノ、風景、スナップと全てにおいて活躍してきたレンズだ。
1990年に購入してデジタルの時代に突入してからもアダプターを介して活躍している。90mmという狙った物を的確に抽出する焦点距離、自分が撮りたいものが浮き彫りになるこの焦点距離が僕は大好きなのだ。
柔らかく美しいボケ、適度に芯のあるピント、色乗りもいい、ピントリングを回すときの緻密かつスムースな感覚が指先を心地よくさせる。
エッジの効いた金属製の外観に、吸い込まれそうなほど美しい前玉のガラス。こんなレンズは無い。

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現代的性能評価では今のレンズには敵わない所も沢山あるが、そんな物はカメラオタクに評価させておけばいい。
なにげに最近表参道で展示した僕の最新作にもこのレンズを多様している。

https://akihiko-nagumo.com/archives/galleries/fineart_02

表現をするのは性能ではない、愛情だ。
まあ、これが第一候補だ。

僕のカメラを始めてから今に至るまでの所有レンズ遍歴というのは実はそんなに多くはない。そのかわりこれと決めたら本当に心の奥底や局地にまで連れて行き使い倒す。

人間もレンズも性能の限界まで使い切るので(まあ、そういう仕事なのだが) ちょっと使った事があるけど、なかなかイイよ、みたいな半端な付き合いはしていない。いつだって

「君とは本気」

なのだ。しかもとても大切に使う、これは大事だ。

そうやって思い起こすレンズのなかではこのZuiko90mmF2マクロ以外だとこんな感じになる。

オリンパスZuiko50mmF1.4
キヤノンEF17-40mmF4L
キヤノンTS-E90mmF2.8
キヤノンEF8-15mmFisheye zoom

こうしてみると望遠レンズはなくて、スーパーワイドから中望遠に絞られる。随分少ないのは使い倒しまくったレンズの中でも好きな奴ら、という事だ。

オリンパスZuiko50mmF1.4

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50のイチヨンと言えばふた昔前の「ザ、標準レンズ」で47度の画角は人の視角にちかい。今となっては逆に贅沢な大口径レンズである。
これは僕に写真表現を教えてくれたレンズだ。明るく、柔らかく、誇張のない素直なシャープさをもつ。コンパクトで前玉がトロッとした綺麗な水のような美しい外観。
こんなに懐の深いレンズはない。優しくもあり厳しくもあり、ともに歩んだ日芸一年生時代、僕に写真人への扉を開かせたのは間違いなくこのレンズだ。
本当に新品からボロボロになるまで良く使ったレンズ、
が故にもうゆっくり休んでもらいたい。無人島に連れて行くのは申し訳無い気がする。

キヤノンEF17-40mmF4L

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これはキヤノンEOSデジタルの黎明期から大活躍したもので、EOSオフィシャルフォトのチャンピオンデータ作成にはマストレンズだった。それこそ一緒に世界中を飛び回り、数々のマスターピースを作り上げ世界中に配信してきた。

スーパーワイドズームによる大胆な絵作りはこのレンズで覚えた。当時としてはかなりの高画質なズームでテレ側が40mmというも良い。現行品はワイド側が16mmになったかわりにテレ側は35mmまでになってしまい、画質はかなり良くなったがコレが痛かった。多分世界で一番このレンズを本気で使い倒した俺がいう。

「 わかってない^_^ 」、

さておき。
F4通しというのも良かったしキヤノンのプロ仕様Lレンズならではのタフさもそなわっていた。コンパクトで使い勝手が良く世界中の街角や大自然を撮りまくったレンズだ。

しかし、使い勝手の良さから後継機種が相次ぎ画質の面ではもはや一線級ではなくなってしまったのは前述したが、味で勝負するレンズでもないので、これももうそっとしておこう。

キヤノンTS-E90mmF2.8
これはスタジオでブツ撮りをやるときのマスターレンズだった。4×5ビューカメラでアオリを駆使した撮影で修行を積んだ身としては35mmデジタル化にあたりこのTS-Eシリーズがあったからキヤノンを選択したと言っても良い。
ブツ撮りのキャリアはこのレンズで最も積んだと思う。カタログの表紙など随分これで撮影した。僕をプロにしてくれたレンズ、そして大好きな90mmという焦点距離。ポートレートもこなした。
だがこれも新型の波にのまれてしまった。新型の性能は素晴らしいが何か兵器のようで、頼りにはしているがまだ馴染みはない。
そしてこの旧型も味で勝負するタイプではなく、描写も外観も味はない。そつなくなんでも撮れるとおもうが、、、無人島でそつなく撮影をこなす意味は無い。

キヤノンEF8-15mmFisheye zoom

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これは面白いレンズだ。完全な円形魚眼が撮れる。
ズームになる前の15mm単玉のFisheyeから使っていたが特殊すぎて付けっ放しにするレンズではなかった所、このズーム化で一気にユーザビリティがあがった、画質は少し落ちてしまったがそれを補う楽しさがあり、これも世界中連れ回し沢山の「へーっ!!凄い」写真を作ってきた。

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田無駅ですらこんなになる^_^

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でもこれ、よく考えるとズームじゃなくて、円形魚眼と対角魚眼の2焦点レンズでもよかったなあ、
まあ、若干ズーム域はあったけど、必要なのって円形と対角だけなんだよね、、まあよい。


結構好きなレンズだったが、普通の写真が撮れない。ずっとは住めない遊園地みたいなレンズだ

そして、好きだったこのレンズを売ってでも欲しいと思うカメラとレンズが現れる。

ライカM10P
Summicron M 1:2/50

50歳を前にしてとうとうライカを手に入れた。銀座のライカプロフェッショナルストア東京での作品展示がきっかけになったのだが、その作品の被写体にしたバイクと15年使ったレコードプレーヤーを買い替えよう思っていたところ、日芸の同級生ライカ使いに

「あんたそんなの買ってる場合じゃいでしょ、ライカを味あわないで死ぬつもり」

とか背中を猛烈に蹴飛ばされ、手に入れた。 

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最初は安くなったType240が限界だよなあと思っていたが気がついたらM型フラグシップのM10Pにまでなっていた。。。
まあ、実はこれで撮りたい企画があったし、それは成就した、後悔は微塵もない。恋図を生むカメラなのだ

でレンズの話だが、、

ライカ Summicron M 1:2/50
こんなレンズあったんだ、、というのがはじめての感想。
なんというか、まあカメラも含めてになるが写真をとる気持ちが今までのものとかなり違ってくるし、写真に求めるものも違う。
ピントのあっている所からボケへの繋がりが信じられないくらい滑らかで気持ちがよい。

逆にピントなんぞちゃんとあっていなくてもどこかの空気に質感を持たせてくれるので全然いい、むしろピントなんぞ合ってないほうがいい、みたいな時もある。


これを味わうとふつうにピントがシャープで背景がフワッとボケて、という写真は当たり前な写真すぎてつまらなく思えてくる。

新しいおもちゃを手に入れた子供のように撮影に没頭し、このレンズならではの作品が生まれ初めている。


吊るしてあるワイシャツを真下から撮っただけでこれである。
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墨田区がパリになったかと思った。


カメラも含めて使い方が一眼レフと違い不自由な所もあるが、ズバっとハマるとブツもポートレートも、たまらなくいい。
今、このライカでの写真生活が楽しい。この先がワクワクする。

「この歳でまた君に出会ってしまった。。」

みたいな。

うーむ。

と言うわけで無人島一本は

オリンパス Zuiko90mmF2とライカ Summicron M 1:2/50の一騎打ちだ。

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オリンパスを選んだ場合は欲しい欲しいとまだ買えていないフィルムメカシャッター機のOM3Tiを手に入れてそれに付けて持っていくと、少し新しいものに触る楽しみもでてくる。

なんせ愛機OM4Tiとの組み合わせだと手に馴染み過ぎて何百回も歌った懐メロ的な感じになり、撮影が楽過ぎるしノスタルジーが強すぎる。

OM3Tiならメカシャッター機だから電池が切れても動くしなんとなく安心感もある。(OM4Tiの信頼性も半端ないのだが)

ライカは今の最新デジタル機M10Pとの組み合わせが気に入っている。

この二つの大きな差は、そう。フイルムかデジタルか。という事だ

でも正直、そんな事は関係なくこの2本、全く選べない。2本とも強烈な魅力がある。

それでも無理矢理選ばなくてはならないのがこの無人島一本である。このまま悩んでいるとこの章はいつまでも書き上がらないのだ(^◇^;)

決めよう。
ライカ Summicron M 1:2/50

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にする。
これはまた僕が新しい出会いや表現を求めていく姿勢の証にしたい。

そしてもし僕が無人島で朽ち果てるとしても、

やはり写真は50mmにはじまり50mmに終わるのだ。

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また、10年後にこのネタで書いてみようと思う。

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