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ライカの魔法


 フォトグラファーという仕事柄、色々なカメラを使う。それもちょい撮りしてインプレするとかではなく、本気で使い倒すことが多い。

北極圏に持って行って延々とオーロラを待ったり、氷河の洞窟に入ったり。
灼熱の砂漠やジャングルを延々と歩いたり。
スタジオで極限のライティングと解像感を追求したり。
外人のモデルとバリバリセッションしたり。

まあ、それが仕事である。


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そんな風に使い倒すカメラはその瞬間の相棒みたいな、「仕事で一緒だった人」みたいな関係で、仕事や時代の変遷でバンバン変わっていく。

特にデジタルカメラは僕の仕事では最新鋭以外は一緒になる事はまず無い。

つまり何を言いたいかというと、そういったカメラには愛着がもてないのである。

愛機というより仕事をこなす道具なのだからまあしょうがない。
兵器という感覚すら覚える

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こうして見ると機関銃を撃っているようだ。


かつて僕にも愛機と呼べるカメラがいた。(今でも持っているが)
それはフィルムの時代、写真を始めた頃までさかのぼり、日芸入学と同時に親にお金をかりて買ったオリンパスの旗艦OM-4Ti(チタン)だ。

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日芸、日本大学芸術学部は文字通り芸術を学ぶ学部であり、自らの表現を主体とした活動を行う場所だ。職業の為の訓練をする所ではない。

つまり、そこで使うカメラは対価を得る為に使い倒す兵器ではなく、作品を創造する愛機としていつも傍にいるものだった。

OM4-Tiはデザインも使い勝手もとても気に入っていて本当に相性がよく、沢山の作品を作った。

オリンパスというほとんど日芸では誰もつかっていないマイナーリーグの一眼レフだったが僕の作品作りには最高のパートナーで、なんでみんなこれを使わないんだろうと思う程作品の仕上がりも良かった。

しかし、プロの道に入ってみるとそういう道具に対する考えは強制的に捨てることになった。

好きとか嫌いの前に、目の前にある道具を使いこなしミッションを遂行する。

そのミッションに必要な道具を的確に選び、それがどんなに無骨で手に合わなかろうが、重かろうか、力が必要だろうが、繊細だろうが、

使いこなして写すのだ。

それはそれで意味があったし、腕を磨くというのはこういう事でもあったと思う。
どんなマシンでも乗りこなしてやるぜ!という自信もついた。おかげでいま冒頭に述べたような仕事をさせてもらっている。

そんなプロフェッショナルの世界で27年が経ったのだが、最近その中の仕事に雑誌の連載で毎回違うカメラを使用して作品制作、解説をするというものがあった。

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そこで使用したカメラはほとんどが先に述べた兵器と感じる物で、使いこなしてミッションをクリアしていく充実感のある仕事だったのだが、、

その中に、一台。とんでもないカメラがあった。

Leica ライカS3 プロトタイプ

小山のように巨大なミドルサイズフォーマット6400万画素のデジタル一眼レフ。

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https://jp.leica-camera.com/フォトグラフィー/Leica-S/Leica-S3

このミラーレス全盛の時代に、このサイズで、巨大なミラーとプリズムを搭載した一眼レフだ。

軽薄さを一切感じない塊感と存在感。AFのポイントは一点しか無い、

極端にボタンの少ないシンプル極まりない操作性は、カメラってこれでいいんだよなと逆にカメラマンである事の優越感すら覚える。

なんだ、何なんだこれは、

品のあるシャッター音。

これは。。兵器では無い。
シャッターを切ってみてそう思った。

忘れかけていた愛機への気持ちを思い起こさせるカメラと人との関係式がある。

それは
この高度で複雑な俺のスペックを使いこなしてみろ、と自らを主張する兵器ではなく。さあ、一緒に素晴らしい作品を作りましょう。と同じ方向を向いて語りかけてくるような、そんな佇まいなのだ。それは愛機との間に産まれる絆だ。

その感覚をもって、スタジオでスウェーデン製の美しいオートバイの撮影に挑んだ。巨大な光学ファインダーの中で自分の作るライティングの世界が完成されていく。これは気持ちが良い。

ファインダーを覗いて、フォーカスを合わせ。シャッターを切る。

これ以外の操作は無い。これ以上でもこれ以下でも無い。こんなに撮影に集中できるカメラは無いと思った。

かくして、連載での作品制作は順調に進み、S3で撮影した写真はなんと銀座ライカプロフェッショナルストア東京での個展にまで発展した。

全長2mの巨大なプリントである。 

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ライカS3プロトタイプで撮影したバスクバーナのスヴァルトピレン401

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銀座sixライカショップでの展示

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銀座ライカプロフェッショナルストア東京での展示

https://jp.leica-camera.com/ライカの世界/ライカの最新情報/Local/Japan/2019/【ライカプロフェッショナルストア東京】南雲暁彦によるライカS3作品展示「SVARTPILEN」


Leica ライカとは、

フォトグラファーがライカを選ぶのではなく、ライカがフォトグラファーを選ぶとすら言われている神格化された世界。

その値段からも今まで全く手を出せなかったブランドだったが、個展をさせて頂くまでの縁ができてしまった。

このライカの旗艦S3はボディ単体価格253万円。流石に手が出ないと思った。レンズまで含めて揃えたら片手は行ってしまう。
しかしライカと言えばレンジファインダーのM型であり、それならおもいっきり無理すれば買えなくは無いかもしれない、
それに、個展をやるのに一台も持っていないのもなあ。とも。それでも100万円はするのだが、そんな欲が湧いてきた。

実はその時、今回S3で撮影したそのオートバイとレコードプレーヤーの購入を考えていたのだが、
このライカSシステムを使いこなし作品を作っている日芸同期のフォトグラファーにこう言われた。


「ナグ、あんたがいま買うのはバイクでもレコードプレイヤーでも無い。使ってみてわかったんでしょ、フォトグラファーがライカ持たないでそのまま死ぬつもり?」

思いっきり蹴っ飛ばされてぐうの音も出なかった。。その通りだ、、

「感謝だ、友よ」

ライカに僕のことを紹介してくれたのもこの同期だった。

結局色々はたいてライカM型の旗艦
M10Pに、一番ライカらしさが残っていると評判のズミクロン 50mmF2をつけて手に入れた。
ストラップはグリーンにした。

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光学レンジファインダー
マニュアルフォーカス
真鍮の重たいボディ

最新鋭のデジタルカメラとは思えない、クラシカルで重厚な金属とガラスで造られた精密機械だ。

金属の冷たさが手に伝わり、僕の手の温度がカメラに伝わっていく。

機械としての操作性は完璧なまでに人の感性を喜ばせる快感に満ち溢れている。
緻密で、滑らかで、しなやかで、歯切れがよい。

この感覚だ、、

今時、シャッターボタンを半押しして自動でピントの合わないカメラなど殆ど無いのだが、コイツは僕がピントリングをまわしてレンジファインダーの二重像を合致させるまで一生ピントは合わない。
絞りも僕がリングをまわして合わせない限り永遠に動かないのだ。

しかし、そこはフォトグラファーの聖域であり、そこに「撮る」行為の意識が宿る。それがいい。

便利とは程遠い世界がそこにある。
しかし求めるものは利便性ではない、創造性だ。

ズミクロン の映し出す柔かい光、それを素直に写真にしていくM10Pの生み出す絵は、今時のバリバリに鮮明なデジタル画像とは全く異なる世界観をもっている。
写真ってこんなに綺麗で素直に世界を写せるものだったんだよな、と感じるものだ。

決してカメラはその存在を写真の中に主張しようとしない。何故か、
そうだ、重要なのは目の前にある世界、自分がもつ世界観なのだ。

もう魔法のように、ライカは僕の中に入ってきていた。

こんなふうに僕はまた愛機と呼べるカメラを手に入れ、晴れ晴れした気持ちでいる。


もうこのM10Pでは愛した瞬間しか撮らない。

仕事をするプロフェッショナルでもあるが、写真を愛する写真家でもありたいのだ。その為にコイツは必要だったのだ。

この歳になってまたこの気持ちに戻ることができたのは、この時の僕を取り巻く人々と、ライカが僕を選んでくれたという幸せだ。

あとは自分が信じる道を進めばいい。

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