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シャモニーでの話

僕は仕事で海外の風景を撮影する事が多く、ここ16年で約50ヶ国300都市ほど周ったとおもう。(2004年から2020年現在)
地域ごとに現地でお世話になっているコーディネーターさんがいて、みな知識と経験が豊富な頼れる方達だ。
そのなかにヨーロッパ全域でお世話になっているKさんという方がいる。シャモニーを拠点にしており、そこから世界中を舞台にテレビ取材や撮影コーディネート、旅行手配など幅広くご活躍中だ。
なにせバイタリティーのあるかたで、ヨーロッパだとシャモニーから自分の車でダーっと迎えに来てくれる。そんなわけでロケ中の運転もドライバーいらず、僕のロケでも10回近く一緒にヨーロッパを駆け巡ってくれた。
そんなKさん、シャモニーに自宅以外の別荘というか大きな一軒家をお持ちで自分の事務所から庭を挟んでその一軒家は建っているのだが、知り合いがシャモニーに来る際に宿として使えるようにしているという。まあ、会員制の別荘という感じだ。

ロケでご一緒する度に、「今度家族を連れて遊びに行きたいなあ」「いらっしゃいよ」みたいな会話を何度か繰り返し、とうとう一家でシャモニーに遊びに行く事になった。 

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久々のプライベート海外、仕事で行きすぎて普段は自分の家にいたいのだが、家族にも雄大な海外の景色を見せたいと思いやっと実現したのだ。
僕としてもプライベートで思う存分撮影できる、 つまり自分の作品としての写真を作るチャンスでもある。

現地ではトレッキングをしたり氷河の洞窟に入ったり、4000mにせまるエギーユドゥミディ展望台に登ったり街をぶらついたりなどなど、このシャモニーという小さな山岳リゾートは本当にコンパクトに色々な楽しみが集まっており、手軽に本場ヨーロッパアルプス満喫できる素晴らしい場所である。

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滞在初日、疲れているだろうからとKさんのご自宅で夕食を頂くことになった。Kさんの旦那さんがつくる絶品ポルチーニパスタを頂いたのだか、この旦那さんは高山ガイドとして長年シャモニーで活躍し、この辺の登山家は知らない人はいないというぐらいのお方なのだ。もう一線を退いているそうだが未だに何か登山でのトラブルが発生すると連絡がくるという。

夕食をたべながら、山の話を沢山聞いたのだが、
今まさに日本人が一人モンブラン登頂を目指して遭難し、救助活動が行われていると言う。外国のパーティーに天気が荒れるから降りようと言われたのを聞かなかったらしい。
僕は単純な疑問として、なんでこういう事がおきるのか聞いてみた。
すると旦那さんはこう語ってくれた。

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「殆どの日本人は山の楽しみ方を知らないピークハンターばかりで、登頂しなければ意味が無いと思っているんだよ、山の楽しさはそれだけじゃ無いのに登頂しか頭に無いからその為に装備も重装備だ。だから逆にスピードが出ないし、装備があるから過信して無理をする。
本当は軽い装備でスピードを上げた方が登頂率も上がるし、天候不順やトラブルなど途中で装備が足りなくなったらなら帰ってくればいい、」

そして最後に

「俺の周りで死んだ奴はみんなそれが出来なかった奴ばっかりだ」
と。

その日、山の天候は予報どおりさらに悪化していった。

また、登山ではスポンサーがついてしまうと無理をしてトラブルが起きるパターンも多いとも。それはちょっと身につまされた。

撮影にも似たところは多い。
重装備と変な使命感は命取りなのだ、、重いカメラを無理やり担いで行くのも粘りすぎるのも同じ事だ、駄目なら帰るけど、またくれば良いのだ。命より大事な撮影など無い。
正直、今までの事を振り返ると反省点も多い。

写真は仕事でも趣味でも続けて行きたいが、機材の進化には助けて欲しいし、プロとしてその手繋いもしたいと思っている。カメラの進化は写真文化を支える上で大切な事なのだ。
だかしかし、道具を作る側とそれを使って表現する側には距離がある。
販売が目的の企業とそれを使って何かをすることが目的のユーザーなのだから当たり前ではあるが、この距離感が命取りになる事がある。
これは先の遭難の話からも伺い知る事ができる。

性能が高い道具はフィールドに立つユーザーにとっては鎧である。ある程度までは身を守る、しかし、どうやっても最後は自然には敵わないのだ。

使う側からすると、本当に使いたいモノはなかなか生まれてこないと感じる。また新しい価値を創造するようなプロダクトも日本からはなかなか発信されない。

ゼロイチのような創造的な新しい価値観からのモノづくりが今の日本の大企業では難しく、どうしてもプロダクトアウトでセーフティーファースト(製造側にとって)な物ばかりになり、それが本当のユーザーとプロダクトの距離を生んでいる。
「試作を繰り返している間にビデオカメラ業界はごっそりGoProに乗っ取られた」とある日本の家電メーカーをやめて起業した人が、言っていた。セーフティーを求めすぎて製品化が遅れ、しかも、出てきた時にはつまらない物になっているという。

スチルカメラ業界も、コンパクトカメラはすでにiPhoneにその存在価値を奪われ、一眼カメラが最後の砦になっているが、今のままではこれも危ない。
今作られているカメラは大きくて重すぎる。人の価値観は変わって行くのに、、メーカーが追求している性能と、本当のユーザーが求めているユースケースがどんどん離れていく。

絶景が至る所に広がるシャモニーだが、大きくて重い一眼レフをぶら下げている人はいない。それはもはや豊かな時間を過ごすのには邪魔なモノだと判断を下されたように思えた。
もちろんカメラだらけの観光地もあるが、洗練された場所ほど大きなカメラを持っている人はいなくなっている。これが何を表しているか、推して知るべしである。

少し戻って問題は、
本当の意味でモノを使う人の声よりも、モノ自体をちょっと試して評価し物申す声の方が大きく、表現されやすく、市場にも影響が大きいという事だ。なんとも嘆かわしい。

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写真を撮るのは人間であってカメラではない、そしてその人間は「カメラを評価する人」ではなく「写真を撮る事を目的にした人」だ。
優れたカメラだと証明する事はそんな人が撮影した優れた一枚の写真にしかできない、なぜならカメラはそれが目的で生まれるモノだからだ。

Kさんの旦那さんは高山ガイドの一線を退いてからはシャモニーのアウトドアショップで働いていた。おそらく本当に山を楽しむ為に必要なアドバイスをしていたのだろうなあと思う。そしてモノづくりのヒントもそこにあったに違いない。

アルプスの真ん中で長年山と共に生きてきた人からこういう話を聴くと説得力が違う。それはもう事実でしか無い。世界を巡って改めて思う。
やはり本当の事は現場に行かないと分からないのだ。

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