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無人島一冊

とあるグラフィックに関するトライアルイベントにクリエイターとして参加した時の事だ。
その活動の一環なのだが、渋谷にあるデザイン系の学校の特別授業において、参加クリエイター4人が対談するというのがあった。

このメンバー、超有名アートディレクター3人と殆ど無名のフォトグラファー1人(僕)というなかなか痺れる展開なのだが逆に職業が違うからかビビる事もなく、やらせてもらった(^^)
(自分もアートディレクターだったりしたらだいぶ辛かったかもしれない、、)

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そのトークショーの色々なお題の中で、

「皆さんの無人島一冊は何ですか」

というのがあった。

さてさて、

僕は一度読んだ活字だけの本を何度も読み返す習慣は無い。漫画なら好きなものを何度でも読むが、漫画は一冊では話が途中すぎて無人島で悶絶することになる。

ちなみに僕の一番の愛読漫画「釣りキチ三平」は昭和で一度完結したシリーズだけて65巻、別冊2巻で67冊にもなる。これは無人島には持っていけない。
だだし、言わせてもらうと内容は素晴らしいの一言につきる。ただの釣り漫画では無い。

少年の夢、大人の心、人の美しさ、醜さ、強い意志、弱い心、自然の豊かさ、人の愚かさ、切なさ、友情、命、愛。

僕は人生のかなりの部分をこの作品と共に学んだ。僕の中には三平君が住んでいると言っても過言ではない。

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とまあ、どんなに素晴らしくても持っていけないものは持って行けないし、大事に保管してあるオリジナル67冊を無人島で汚してしまう訳にも行かない。

実は迷う事なく僕には無人島一冊がある。

それは

開高 健「オーパ!」

に他ならない。

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小説家であり、釣り人である開高健がアマゾ ン川流域1万6000キロを約2ヵ月かけて釣り歩いた旅の記録だ。

無人島では無いが、9歳の冬、自らが未知の国ブラジルに旅立つ時に持っていった本で、高橋昇さん撮影の迫力ある写真と、開高健さんの軽妙洒脱な文書のコンビネーションが堪らなく魅力的だった。
肉食魚ピラニアや2mもあるミミズ、世界最大の有隣淡水魚ピラルクー、黄金の鱗を持つ釣り人の憧れドラード、どこまでも続く赤土の道。これが、これから行く国のビジュアル。。
人を、釣魚を、土地を、文化を、旅を、独特の視点で綴った文章。

今まで旅をこんな風に感じ取れる本に出会ったことが無かった。情緒的なのに、けして重くない、ひたすらにリアル。サンパウロの大都会の中でも、何度も何度も胸をときめかせながらそれを眺めた。

判型も大きく写真集の形をしているのでパラパラと写真とそれに添えられた一言だけを追いかけていても十分見応えがあるし、じっくり読むと完全にその世界に埋没する。

写真も、文書も。僕の中のイデアはここにあるのかもしれない。そのくらいの影響をうけた。

しかも少し運命的な繋がりもある。


この「オーパ!」の表紙にはピラーニャプレッタというピラニアの中では最大級になる黒いピラニアのどアップの写真が使われているのだが、
僕がサンパウロで始めて友達になった近所の同級生の家に同じ黒いピラニアの剥製が飾ってあり、そこのお母さんに「これってあのオーパの表紙になったピラニアの種類ですよね」と聞いたところ、なんと、なんとだ、まさにそれが開高さんが釣ったその物だと言うではないか、、 

「こんな事って、、ある?」

その家にある経緯はもう忘れてしまったが、自分があの本の国に来て、開高さんが手にした物が目の前にあることに心が震えたのを覚えている。  
まさに「オーパ!」な出来事だった。

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ÔPA オーパ! 何事であれ、ブラジルでは驚いたり感嘆したりするとき、「オーパ!」という。

開高健 OPAより

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そしてもう一つ、大人になって強烈にオーパ!な出来事があった。

フォトグラファーになって初めてのブラジルロケを敢行した時の事だ、
目的地は水晶の砂漠レンソイス。雨季にのみその白く輝く砂漠にエメラルドグリーンの湖が何千と現れる奇跡の土地だ。

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さておき、30年ぶりの里帰りでブラジルとは言え行った事もない土地なのにかなり興奮し、病み上がりで到着した夜にサンルイスのレストランでカイピリーニャをがぶ飲みし、初日からひっくり返った。

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そんな子供みたいな僕を大きな心と豊富な経験で現地をコーディネートしてくれたのがブラジル日系人社会の父とも言われていたK島さんだった。

「南雲さん。懐かしいでしょう」

と興奮してはしゃいでいる僕に優しく言葉をかけ、見守ってくれた。おおきく、暖かい人だった。すでに70歳を超えていたと思うがスマートで、生き生きとしていた。
流石に人脈は広大で、僕の同級生でブラジルの旅行会社に勤めている幼馴染の事も当たり前のように知っていた。
僕が住んでいた80年代にももちろんブラジルにいたので、もう年表のような人なのだ。

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真ん中の長身のダンディーがK島さん。僕が三平くんなら差し詰め魚伸さんと行ったところか。本当に暖かく、強く、優しい人だった。


レンソイスは本当に美しかった、

そんなロケの夕食でカランゲージョ(泥蟹)を頼んで、その時あたまにこびり付いていたビジュアルからふっとこんな話をしてみた。

「K島さん、僕にはバイブルのような本があるんです。開高健さんのオーパ、アマゾン編、まあこっちに来る人はみんな読んでますかね」

「うん、あの開高さんの撮影旅行ね、私も同行したんですよ」とK島さん。 

「、、、。えっー、、、本当ですか!!!」


一瞬時が止まった、、

心臓を鷲掴みされた様な驚き、あのオーパの中にK島さんはいたのだ。

頭が真っ白になり、不用意にも涙が溢れた。
そしてこの出会いに、天を仰いで感謝した。

もう僕の質問は止まらなかった。K島さんは懐かしむように、当時の話をたくさんしてくれた。話を聴いていると思考がその時空にどんどん近づいていく。

「あれは大変な旅だったねえ、みんなまだ若くて、」

「うん、あれを釣り上げたときはさ、」

「カランゲージョ、食べまくったなあ、、」

30年も前から憧れていた世界の、その生き字引が僕の手を引いて本の中の世界に連れて行く。アマゾン川の中で僕は釣りキチ三平になり開高さんの横でロッドを振るう。
むせ返る熱帯雨林の空気、雨がふり、雷鳴が轟き、日差しが照りつける。水面にドラードが跳ね、ロッドが満月のようにしなる。
黄金の鱗をもつアマゾン川の虎、ドラードを釣り上げた開高さんの笑顔が眩しい。

これが僕がずっと憧れ続けてきた世界

なんという事だ、、この感激は。
これだけでもブラジルに来た価値があると思った。オーパの世界はよりリアリティを帯びたのだ。そしてすこし、その世界に自らが入り込めたきがした。

僕がもっているのは釣り竿ではなく、カメラだったが、その気持ちは同じなのだ。僕なりのOPAなのだ。

K島さんは僕の気持ちを察してくれたのか、その憧れを大事な時間として噛み締めるように撮影する僕を本当に暖かく、見守り、助けてくれた。


そんなK島さんは、今はもうこの世にはいない。本当に感謝の念が尽きない。

開高健 「オーパ!」はもうただのお気に入りではなくなり、運命の一冊となった。
未だに何度読んでも。この緊張感は胸に訪れ、生命力を刺激される。

開高健の言葉

「悠々として急げ」

は僕の座右の銘であり、開高さんが世界の大物を求めて釣り歩くように、僕は世界の絶景を求めて撮り歩くのだ。

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世界中を釣り歩きシリーズ化されたオーパシリーズ


開高さんとK島さんへの想いを込めて
僕の無人島一冊は、これしかありえない。

こんな経験も僕を後押しし、僕は大物達とのトークショーでも堂々と話をする事が出来たのである。



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