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「#21 排気ガスで舞う桜吹雪」



 いつも花見の時期になると道路は人でごった返し、信号の設置された横断歩道にも警備員や警察官によって規制が張られる。
 ただの通勤経路として利用しているだけの僕も漏れなくその規制の網にかかり、警備員の怒号に近い交通誘導の指示に花見客と肩を寄せ合い従っている。信号が青に変わり歩き出すが、信号待ちで並ぶ列の真ん中ぐらいにいた僕の目の前で「もう信号が変わりますっ!」というひび割れた怒号と共に、警備員によって素早くロープが張られてしまう。

「いやまだ変わらへんから。もう二列は黄色になる直前に渡れたで。てか俺の前でグイッとロープをやらんとって、花見客ちゃうし関係ないから。きっと綺麗じゃないそのロープに腕も服も触れてんねん。それ許せるのは花見に来てる客だけやぞ。素早い連携で動いてプロっぽさ出してるけど、派遣されたアンタらと違ってこっちは毎日この信号使ってるから、信号変わるタイミングは俺の方が正確に分かってんねん」

 涼しい顔で指示に従ってはいるが、心の中でこんな悪態をつくぐらいのストレスはお花見シーズン中に溜まっている。
 また信号が青になりようやく横断歩道を渡れても、その先のいつもは3分ほどで抜けられる道を、10分ほどかけてのろのろと進まなければならない。そうなると周りにいるお花見客の会話がおのずと聞こえてくるのだが、他のイベントと違って花見に来てるカップルはまだ恋人関係にないことが多い。これは花見という性質上、気軽にいやらしさもなく誘えるからではないだろうか。

 意中の相手をデートに誘う時の、まるでセンスを問われるかのような重圧を花見に誘う時には感じなくていい。花見の後の一杯まで繋がったとしても、逆に花見の後は大衆的な居酒屋の方が良かったりする。誘われる側も、いきなり声を震わせ「水族館行きませんか?」と迫られるより、「桜見てなかったら一緒に花見行かへん?」くらいの軽やかさで誘って欲しい。まだ友達くらいにしか思ってなくても、花見なら別に行ってもいいかと思えるだろう。
 いつも以上に進まない人だかりの中でそんなことを考えていたら、安いスパークリングワインのグラスの中に串で刺された数個のいちごが添えられた、可愛さだけが売りのドリンク販売の列に並んでしまっていたことがある。

「紛らわしいのどっからどんだけ並んでるねん、これ君ら花見来てるのにまだ桜に辿り着く前にここで時間かけて並んでへんか?まず一旦先に桜を見にいきや、ほんでその後にドリンクを飲みたいなら戻って来たらええやないの。あれやろ桜見に来てるんじゃなくて、桜を背景にドリンクをほっぺたにくっつけた可愛い表情をスマホで撮りに来てるやろ」

 何事もないように列から外れながら、やはり心の中ではおじさんらしくぼやいている。
 純粋に桜を楽しみに来た人だってこれでは花見どころじゃない状況で、桜の絶景スポットである橋の上では、警備員によって立ち止まることも写真を撮ることも禁じられている。ジャイアントパンダの赤ちゃんが生まれた時でも皆んな写真は一枚ぐらい撮らせて貰えるのに。
 東京で桜を見るならやはり深夜のお花見がおすすめである。昼間のような混雑はないが、週末などは危険や怖さがないくらいに人は点在している。昼間の鮮やかなピンク色もいいが、深夜に見る白くぼんやりと発光したような桜も幻想的で美しい。
 
 BARの営業終わりの深夜に桜を眺めながら歩いていると、ほろ酔いの男女五人組に写真を撮って欲しいと頼まれたことがある。
 五人の会話や雰囲気から久しぶりに集まった仲間であり、今日この夜を大切にしたいという想いが伝わって来た。

 桜の絶景スポットである橋の上で肩組んでポーズを決める五人を前に、僕も最高の一枚を撮ってあげたいと本気になった。地面に膝をつき下から煽るように受け取ったスマホを構えることで、後ろに咲き誇る桜が五人を包み込むようなアングルになり、桜と五人のバランスが最高にマッチした一枚に仕上げたのだ。
 撮影が終わり、ちゃんと撮れているかという不安からではなく、ちょっと褒めてもらえるかもという気持ちから、写真の確認をスマホの持ち主である女性にお願いした。すると横から画面を覗き込んだ金髪の男に「いやこれもっとズームで撮って皆んなの表情が分かるようにしないと」といきなり予期せぬダメ出しを喰らった。自己判断で勝手に桜を写した自分が恥ずかしかった。スマホの持ち主である女に、「もう一回ズームで撮り直して貰っていいですか?」と言われた。

 撮り直し…!?、念の為もう一枚とか気を遣うでもなく、はっきり撮り直しと口にされた。
 渾身だった一枚目の削除が決定している僕は、蚊の鳴くような力ない声でもう一度ハイチーズと合図を送った。桜をほとんど写さずズームで撮った若者たちは満面の笑みを浮かべていた。
 もう一度写真を確認した五人組は、いいじゃん!いいじゃん!と満足したようで、ろくにお礼も言わずにさっさとどこかへ消えていった。
 こんな綺麗な桜の前で写真撮るのに、桜を写さんでいいっていう方が絶対おかしいよなぁと腑に落ちずに歩いていると、前方に停まっていたトラックのエンジンがかかり車体がブルっと揺れた。

 一足早く散り地面に落ちてしまった沢山の花びらが、トラックの排気ガスで一斉に舞い上がり、桜吹雪となって僕の目の前に降り注いだ。ほらやっぱりこんなにも綺麗じゃないかと思いながら、また少しだけ複雑な気分にもなった。

 

 

 

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