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ショートショート「手紙」




僕が部屋に帰るともうその姿は何処にも無くて、テーブルの上には君からの手紙だけが残されていた。
雑然とした部屋の中は、いくつかの物が無くなっていてもやっぱり雑然としたまんまで実感が湧かなかったし、相変わらず狭いままの部屋に笑ってしまった。

僕はタバコに火をつけ、上がっていく煙のようにぼんやりした心地のまま手紙を開いた。

「あなたが帰る前に、この部屋から出て行くことを許して下さい。

本当にごめんなさい。

必要な荷物は持って行きます。もし私が気付かず、私がこの部屋に存在したという何かが残っていたのなら、連絡はせず、あなたのその手で静かに消して下さい。

夕日に染まる部屋で作業をしながら、ずっとあなたのことを考えていました。
アパートの階段を上がる音が聞こえる度、もしかしてあなたが帰って来たんじゃないかと息を潜めました。
この部屋のドアが開いてそこにあなたが立っていたら、今の私はどうなってしまうんだろう。
でも足音は部屋の前を通り過ぎて消えてしまった。

ほっとすると思ってたけど、涙が出てきた。

結局私はあなたに見つけて欲しかったんだ。
あなたに止められることを望んでるなんて、この期に及んで、覚悟の無い自分にうんざりする。

私がここにとどまることは許されない。

でもあなたは駄目にならないで下さい。
私のことは忘れて、失ったものを数えないで。
私なんかじゃない。あなたのその手は、この先の未来を掴む為に使うものなんだから。

冷蔵庫が少し開いていましたよ。お風呂の蛇口がちゃんと閉まっていませんでしたよ。
クローゼットの服やズボンのポケットにはレシートや小銭が入ったままで、ベッドの下には片方だけの靴下とエアコンのリモコンが落ちてたし、タンスの中身は下着とタオルが一緒になって入ってたし、テーブルの上に通帳と印鑑がほっぽり出されてるし。

ごめんなさい、いつの間にかお母さんみたいなこと書いちゃってるね。
それはきっと正しいことではなくて、 だからやっぱり出ていかなくちゃ。

ねぇ、いつかあなたもこの狭い部屋を出て、もっと豪華で大きなマンションに引っ越して、そんな時にまた偶然巡り会えたら笑っちゃうね。
そしたらあなたも笑ってくれるのかな?それともやっぱり怒るのかな。

私が今日ここにいたことなんて、もうすっかり忘れてしまってるのかな。

ごめんなさい。勝手に出て行く私が何を言ってるんだろう。

本当にさようなら、そしてまたいつか」

手紙を閉じてもう一度部屋を見渡してみたが、静かな部屋の中はまるで世界から切り取られたようで、やはり実感が湧かなかった。
僕は世界との繋がりを求め、窓を開けようとベランダに向かった。

ベランダの前に立つと、足の裏に痛みを感じた。気付かなかったがガラスの破片を散らばっていて、それを踏みつけたのだ。
足の裏から感じる突き上げるような痛みで、これがやっと現実の出来事だと理解できた。
僕はポケットからスマホを取り出し、よく覚えているあの番号を押して左耳にあてた。

「もしもし、あの・・空き巣に入られたみたいなんですけど」



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