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「四節棍」で新曲を聞いて現役のバンドに戻るELLEGARDENが楽しみになった

ELLEGARDEN, 10-FEET, BRAHMAN, マキシマム ザ ホルモンの4マンライブ「BAND OF FOUR -四節棍-」に行ってきました。そこでエルレの新曲を聞いて感じたことをダラダラと。

エルレの再始動は嬉しいけど、「別に急いで新譜作らなくてもいいのに、まだまだたくさん昔の曲聞きたいし!」って思っていたのですが、その考えが変わりました。



復活前のELLEGARDENと私

「Bare Foot」に衝撃を受けて

2002年11月、たまたま見に行った新宿LOFTのイベントでエルレガーデンのライブを見たのが出会いでした。まだエルレがそれほど人気ではなく、トリはNANANINEというバンド(懐かしい)。
「心地よいビートだな。ボーカルの人(細美さん)英語の発音良いな、そしてすごく楽しそうだなぁ」と思ったのが最初。

気になったので、すぐに渋谷TSUTAYA(インディーズバンドのCDが充実)に置いてあったエルレのCDを何枚かレンタルして、「めちゃくちゃ良いじゃないか…」とMDに落としながらワクワクしました。特に1枚目のSg「Bare Foot」収録の3曲に衝撃を受けて、聞きながら「やばい、やばい…」と大興奮したことを今も鮮明に覚えています。細美さん、まじで歌激ウマ。図々しくも「このバンド、絶対売れる!」って思ったほど。見事に的中したわね。

とにかくライブが楽しい

その後、イベントやワンマンにちょこちょこ行くように。2003年に2ndアルバム「BRING YOUR BORAD!!」が出た時は、渋谷タワレコの地下ステージで開催されたインストアにも行きました。まだ整理券が余裕で取れた頃。

私はライブハウスデビューしたのが社会人になってからと遅く、そんな私にライブハウスの楽しさを最初に教えてくれたのがエルレでした。
そして洋楽をほぼ聞いて来なかった私には、ネイティブみたいな発音のオルタナティブなロックが新鮮で衝撃で、あっという間に魅了されました。

この頃のエルレのライブは、イベントでも一番人気・トリではなく、ワンマンも当日券が出ていた状況。フロアもゆるゆるですごく自由で楽しかったな。細美さんのご兄弟もよくお客さんとしていらっしゃっていたし。
セッティングも自分達でしていたので、細美さんがBGMに合わせてノリノリでセッティングしていた姿はいまだに焼き付いています。

その頃は仕事がきつくてしんどい時期だったから、エルレの音楽が確実に私の助けになっていて、とりわけ「ジターバグ」はライブでほぼ毎回泣きながら聞いていたから、今でも聞くと胸が苦しくなります。

細美くんとホリエくん

エルレが主催のイベント「Live Like Sex!!(wihtout condom)」に、2人時代のストレイテナーが出ていて、そこからテナーのファンになりました。この頃は何かと細美さんとホリエくんが仲良くしているのも、両バンドのファンとして嬉しかったです。
当時、細美さんの恋人はトシロウさんじゃなくてホリエくんだったんだよ。mixiにも「細美くんとホリエくん」なんてコミュニティもありましたよね。っていうか今でも残っていますね。懐かしいー!

2人が出るDJイベントにも足を運んでいました。ほぼ洋楽を聞かなかった私が聞くようになったのは、この2人の影響です。DJイベントで気になった曲をチェックして、CD借りたり買ったりするのも楽しかった。この頃Shazamがあれば便利だっただろうな。

「Getting Better」よく行った、ガラケー撮影画像

ちなみにWeezerファンになって来日ライブも見に行くようになったのは、この頃のエルレの出囃子がWeezerの「Dope Nose」で、「なんてかっこいい曲なんだろう!」と思ったのがきっかけ。

ホリエくんやアジカンのゴッチ、ピロウズのさわおさんともよくつるんでいて、彼らが仲良く楽しそうにワチャワチャと対バンしたりラジオに出たりすることで界隈のバンドに興味を持ち、ライブに遊びに行くようになったりして、色んな音楽との出会いが楽しかったな。

活動休止にほっとした

で、まあ、気づいたらいつの間にかエルレのチケットが全然取れなくなっていたんですよ。逐一マメに追いかけていたわけでもなかったので、状況の急変に気づいた時には愕然としました。

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