ビジネスメンター帰蝶の戦国記⑥

あらすじ 
 主人公・濃姫(胡蝶)がメンター、織田信長がメンティとなり、壁打ちしながら戦略を組み立てる戦国ライトノベル。歴史を楽しみながらビジネス戦略の基礎知識に触れる事ができます。
 第2章・ビジネスメンター帰蝶は、濃姫『胡蝶』の生まれ、名前の由来、に始まり、信長に輿入れするまでを描きます。胡蝶の子供時代、道三流にて、時代背景と商売の基本を、斎藤道三から叩き込まれます。
 (パワハラではありません。顔が怖いだけで、この道三は子煩悩です)
 この章では信長は最後に少し顔を出すだけで、お休みです。


第2章 ビジネスメンター帰蝶
  ~道三のスパルタ教育~

第6節 商売も信頼が大事・与信管理

「だから、売るには段階がある」
 胡蝶も面白くなってきた。今日は、熙子ひろこも安心して話に入れる。
「どんな段階があるのですか」
 胡蝶が聞いた。
「わしが考えるには、知ってもらう事、それが必要と思わせる事、自分の商品を選ばせる事、そして、信頼を得る事の4つの段階がある。分かるか?」
 道三の説明は、消費者の購買モデル・AIDMAモデルに近いものである。
 まず、AIDMAモデルとは、Attention(注意)、Interest(関心)、Desire(欲求)、Memory(記憶)、Action(行動)の5段階である。
 これに対して、道三のモデルはAttention(存在認知)、Awareness(必要性自覚)、Action(購買行動)、Announcement(情報拡散)の4段階・4Aモデルである。道三のモデルは、各段階にシフトさせるのに考慮すべきポイントや行動が、広告宣伝(メディア選択)、KBF、KCF、顧客との信頼関係である。顧客との信頼関係は通常、CRM(Customer Relationship Management)と考えれば良い。

 先ほどの議論を胡蝶は思い出しながら答える。
「『知ってもらう事』とは、互いに知らなければ取引にならない。そういう事ですね。『必要を自覚させる事』は・・・ええっと、米と壺と武器の話ですよね。必要にも程度がある。相手の状況によっても買う・買わないがある。そして、『自分の商品を選ばせる事』は着物の絵柄と手触りとお値段の話ですね。同業者との違いをどうやって作るのか。後、なんでしたっけ」
「信頼を得る事」
 熙子ひろこが付け足した。熙子が自ら議論に参加した事に道三も安心する。また『信頼』が出てきた。しかし、口にした瞬間、熙子は先日の議論(『期待と畏怖』)を思い出し、少しドキドキしていた。胡蝶の脳裏にも『期待と畏怖』が浮かびあがる。
「商売も信頼じゃ。商売における信頼とは何だと思う?」
 今度は道三から熙子に問いかけた。
「商品が期待通りである事」
「うむ。商品が期待通りでないと、信頼は得られん。期待以上だと、更に信頼が大きくなる」
 熙子の答えに満足すると、道三は胡蝶に向き直って質問した。
「信頼が得られると何が良いと思う?」
「また買ってくれます」
「常連さんじゃな。常連さんが出来ると、商売が軌道に乗ったと言える。改めて知ってもらう必要がない。手間や経費が掛からなくなる。常連さんの方から来てくれる。さて、他に良い事はあるか?」
「ん~・・・」
胡蝶が答えに詰まったのを見て、熙子が横から答える。
「他のお客さんに紹介してくれます」
「うむ。口伝てくちづてじゃな。そうやって商売は広がっていく。常連さんが新しいお客をつれてきてくれる。だから常連さんができることは良い事じゃ。大切にせにゃいかん」
道三は一息つくと、二人を交互に見て続けた。
「常連さんができると、『つけ』で取引する事が出てくる」
「『つけ』とは何ですか」
 胡蝶は何の事か分からずに聞いた。熙子は知っているようである。
「金払いを後にするという事じゃ。たまたまその時、手持ちのお金がない。でも商品が欲しい。で、こう言う。『金は後で払うから、商品を売ってくれ』とな。お前たちならどうする?」
「売ります」
 常日頃つねひごろ、『つけ』で買い物をしている母を見ている熙子は、何の疑問もなく即座に答えた。胡蝶はそんな場面をまだ見た事がない。だが、『胡蝶の夢』で何となくは理解できた。
「常連さんであれば、売ると思います」
 胡蝶は熙子に同調した。それを聞くと、道三は微笑みかけるように二人を見た。胡蝶には、その顔には『してやったり』という表情が見て取れた。
「それも信頼があってこそじゃな」
 道三は念を押すように言った。二人はうなずく。
「誰が誰を信頼するのかな」
「商人が常連さんを信頼する??」
 熙子が自信なさげに答えた。
「商売とは取引じゃ。取引には売る者と買う者がいる。売る側は買う側に信頼されなければならない。分るな?」
 そこまで言うと、道三は少し間をおいた。
「その場で商品とお金を交換する場合、売る者は買う者を信頼する必要が無い。支払った金が信頼のあかしだからじゃ。じゃが、『つけ』の場合、その証が無い。だから、常連になってくれたら、買う側も売る側に信頼されねばならんという事じゃ。買う側に信頼が無ければ『つけ』は出来ぬ」
 胡蝶にも話は理解できている。だが、道三が何を言わんとしているのか、測りかねていた。
「当たり前の事をおっしゃっているように思います」
「当たり前か?」
「はい。取引をする時点で相互に信頼しているのではありませんか?」
「確かにそうかもしれん。だが、世の中には悪い奴がおる」
 道三は意地悪っぽく、胡蝶を軽くにらみつけた。
「例えばじゃ。ある日、男が来て、米を100文分売ってくれと言う。売ってやる。数日して、また同じ男が言う。米を100文分売ってくれと言う。売ってやる。そして数日して、今度は入用になったから、米を500文分売ってくれと言う。だが、今は手持ちが足りないから100文だけ払い、後で残りの400文を払うと言う。常連だと思って、『つけ』にする。すると、その男は二度と来なくなる。どうじゃ」
「ひどい」
「うん、ひどい」
 日常的に買い物や『つけ』を見ている熙子は、胡蝶よりも怒った表情をみせている。
「どうすべきと思う?」
「取り返さないといけません」
 熙子が即答する。
「誰がその男から取り返す?」
「・・・・」
「・・・・」
 熙子も胡蝶も黙った。この時代に警察は無い。そして道三は続けた。
「それも本来は、国がやらねばならぬことよ。胡蝶が嫌がった調整のひとつじゃ」
 胡蝶は、何か責められたような気持ちになって、黙ってしまった。
「『悪さをすれば処罰される』そういう信頼が国になければならぬ。国が捕まえる者を手配し、捕まえたらどういう処罰をするか決める。二度とそういう事ができないように処罰する。他の者が同じような悪さをしないように周知し、必要ならば見せしめにして恐怖を植え付ける。それが畏怖という信頼じゃ」
 熙子は心配そうに胡蝶を見た。胡蝶はまだうつむいたまま黙っていた。
「だから国別、いや、国主別に信頼は変わる。最悪、国主ではなく野盗が仕切っておる。・・・まぁ、今日は商売の話じゃ。国の話は置いておく。じゃが、商売するのに、いちいち国主の信頼がどうのと言っておっては話にならぬ。当然、何度も騙されるようでは話にならぬ。ならば、自分の身は自分で守る事じゃ。商売するなら、取引する相手をしっかりと確認する事、相手の素性をしっかりと調べる事じゃ」
 道三は、国の話よりも、与信管理の重要性が言いたかったのだが、ついつい胡蝶をいじってしまった事を少し後悔した。
「そうじゃな。最後に面白い話を聞かせてやろう。胡蝶。お前の祖父、わしの父、庄五郎の話じゃ。庄五郎は、元は坊主じゃった。それが還俗して油問屋になったんじゃ。その時、街に出て油を一文銭の穴を通して見せて、油を売っておった。何故だか分かるか?」
「知ってもらうため?」
 答えようとしない胡蝶に代わり、熙子がやや自信なさげに答える。
「ふむ。知ってもらうためじゃ。噂になれば、それを見に来るものもいる。じゃが、それだけではない。油の質が悪いと、穴を通す事ができんのじゃ。質が悪いと油が細くならない。無理に細くしようとすると粒になる。それに油を取る時期にもよるらしいが、油には多少なりとも色が付く。色はほとんど品質に影響しないと庄五郎は言っておったが、客は色を見て値切ろうとするらしい。そこで、穴を通して見せる。細くなって色の差が分からなくなる。穴を通るほど細く流れる事で、品質が良い事を証明して見せて、選んでもらう事も合わせて狙ったのじゃ」
「かしこいですね」
 熙子が感心してつぶやく。
「かしこい。それに穴を通す事ができる事もなかなかの技量よな。もっとも、売れ過ぎて同業者から随分と恨まれたようじゃが。ははは」
 道三は意識して笑うと、ゆっくり立ち上がり、うつむいたままの胡蝶の頭をなでた。
「今日はこれまで」
 そう言い残して、部屋を出ていった。

 この後しばらくして、熙子は疱瘡にかかってしまい、胡蝶を訪ねて来なくなった。当時は、天然痘と水疱瘡の区別はなく、疱瘡ほうそうと呼ばれていた。天然痘だと感染力が強く死亡率が高い。しかし、その頃に美濃で疫病が流行し多くの死者が出たという伝承が見当たらない為、恐らくは水疱瘡と思われる。水疱瘡は子供のうちなら重症化する事は滅多にないが、大人がかかると重症化する事がある。熙子は水疱瘡が重症化してしまったのだ。そのため、回復した後も左頬に痘痕あばたが残ってしまい、その事を気に病んで、引き籠るようになっていたのだ。
 熙子はその痘痕を恥ずかしく思い、明智光秀との縁談も断るように父・妻木範熙に相談した。そこで妻木範熙は光秀に妹の「芳子」はどうかと持ち掛けたが、光秀は「人の見た目は年を重ねれば変わるもの。人の心の美しさは変わる事はない」と返したという。それを聞いた熙子はとても感激し、明智光秀に嫁ぐ決心をしたと言われる。なお、二人の三女・珠は、細川忠興(細川藤孝の子)の正室となり、洗礼を受けて細川ガラシャとなる。

第7節 胡蝶の輿入れ・DOICサイクル(実行・観察・改善・検証)

 1544年(天文13年)9月、織田信秀(信長の父)は美濃に攻め込んだ。朝倉孝景との連合軍であった。斎藤道三に美濃を追われ、尾張で保護された元守護・土岐頼芸を美濃に復帰させる事が大義名分である。織田信秀は稲葉山城の近くまで攻め込んでいるが、攻めきれず、撤退のタイミングを斎藤道三に追撃されて大敗している。これが加納口の戦いである。この時、織田軍は多くの将兵が討ち取られ、『信長公記』によれば、死者の数は5千人とされる。そして、その後の第2次小豆坂の戦い(1547年)で今川に大敗する原因の一つとなる。
 『永泉余滴』によると1546年(天文15年)秋に美濃の講和がなされている。(なお、加納口の戦いには1547年説があるが、この講和の記載が加納口の戦いを指すと考えると、1544年説を支持するものとなる。)
 この講和は主に朝倉孝景との講和を指している。講和の条件として道三の娘が土岐頼純に嫁いでおり、それが濃姫・帰蝶という説がある。その後、頼純は大桑城を攻められ越前にて死ぬ。嫁いだのが帰蝶だとすると帰蝶は12才にして、バツ1(さらにその後、頼純の弟の嫁になった説があり、その場合はバツ2)という事になる。
 但し、当時は、他家の娘を養子縁組して、それから嫁がせる事も頻繁に行われており、この娘が帰蝶ではない可能性も十分にある。もし、別の娘であった場合には、朝倉に娘を人質に出して講和したのだから、織田にも講和のために人質を出せと言われて出した娘が帰蝶と言う話になる。
 ともかく、1549年(天文18年)3月、濃姫は信長に輿入れする。平手政秀がとても頑張ったようである。

 さて、この物語の胡蝶は一度も嫁いだことはない。相も変わらず道三の壁打ち(と称するスパルタ教育)を受けており、メンタルも鍛えられていた。時折、道三に連れられて市井に降りる事もあった。
 そんな1548年某日、泰秀宗韓和尚が一人の男を連れて、稲葉山城を訪れた。

 泰秀宗韓は大宝寺(岐阜市)の2世住持である。1532年には愛知県犬山市の永泉寺の開山和尚に指名されており、1537年には斎藤利紹に招かれて泰秀宗韓は現在の岐阜県関市にあった万年山霊松寺にも入寺している。濃尾エリアでは高僧として知られており、しかも中国古典に精通した高僧である。泰秀宗韓は、1540年(天文9年)『沢彦』宛てに印可状を与えている。その後、1543年(天文12年)に、泰秀宗韓は『沢彦』に二度目の印可状を与えている。印可状とは、師となる僧が、その道に熟達した事を認めて弟子に与える書状であり、通常、印可状を複数回出す事は無い。卒業証書を2回もらうようなものである。

 この物語では、なんとその『沢彦』が道三である。道三の父・庄五郎は元・僧である。その父に勧められるままに道三は、泰秀宗韓に師事する事にしたのだ。そもそも道三は兵法書が目的であったのだが中国古典全般にハマり、兵法書に限らず仏教経典も習得していった。泰秀宗韓から見ても、道三は十分な知識を習得したので1回目の印可状をだした。2回目は道三が国主となって落ち着いた頃である。これには多くの寄進に感謝の意を伝える形を取りながらも、美濃支配を確立した道三に仏法を思い出させようとしたものだった。なお、この物語では知名度の高い『道三』を最初から用いているが、家督を譲る1554年以前は『斎藤利政』と名乗っている。つまり『斎藤利政』は武士としての名前であり、法名『沢彦』は僧として活動する時のペンネームである。道三は、武士の活動と僧の活動を完全に分けているのだ。

 道三の師・泰秀宗韓が連れてきた男は平手政秀。織田信長の教育係である。ついこの間まで、戦っていた織田の家臣である。道三にとって気分が良い訳がない。
 平手政秀は茶道や和歌など当時の先端文化に精通した文化人である。1533年に公家・山科言継が尾張を訪問した際には賞賛を受けるほどの紳士である。そんな、平手政秀の所作が落ち着いている上に、恩師が一緒では、道三も良識を持って対応せざるを得ない。
 もちろん用件は分かっている。胡蝶の輿入れの交渉である。
「胡蝶、これへ」
 呼ばれた胡蝶は道三の横に立った。泰秀宗韓とは顔見知りである。書物を借りた事もある。何度か講話を聴いたこともある。泰秀宗韓も胡蝶を見て、にっこりとほほ笑む。平手政秀は、興味深そうに胡蝶を見た。事前に何か聞かされていたのだろう。
「胡蝶。お前が決めよ」
 胡蝶は一瞬驚いたが、少し笑みを浮かべながら道三を見上げた。女子は同盟や調略の道具として扱われる事が多い。胡蝶の意思など相手にされないと思っていた。それが、自分で決めて良いと言われたのだ。うれしくない訳がない。
「はい。では、そのうつけ殿・・・・を見てみたいです」
うつけ殿・・・・とは、当然、信長のことである。
「あい分かった。見合いの席を設けよう」
 平手政秀は顔色も変えずに即答した。世間の評判は承知している。しかし、美濃の小娘に『うつけ殿』と呼ばれては先が思いやられる。
「いえ。見合いではなく、普段のうつけ殿を見てみたいです」
 平手政秀は少し驚いた顔をしていたが、泰秀宗韓と道三は目を配せながら、クスクスと笑っていた。
「よし、安藤守就と稲葉良通を連れていけ」
 のちに美濃三人衆といわれるうちの二人である。見た目も少々厳つい。こっそり見に行こうとしているのに、目立ってしょうがない。
  (仕方ないか・・・)
 それを聞いて、胡蝶は微妙な顔をした。
 胡蝶は、うつけ殿のアホ面みたら、ボロクソ言って、断ってやろうと内心思っていた。恐らくは道三もそれを期待していたのかもしれない。
 心中穏やかでないのは平手政秀である。敵将、それも猛将と名高い二人を後ろにして、道中を歩き続ける事になるのだから。

 準備を整えた翌日、5人は尾張に入っていた。
 尾張領に入ってしばらく行くと、大勢の声が聞こえる。合戦のようである。5人に一瞬緊張が走る。
「恒興軍の勝ちじゃ」
 大きな声が響くと、平手政秀がほっとした様子を見せた。そして、穏やかな表情に戻ると、胡蝶の耳元でつぶやいた。
「今のが、信長様の声です」
 そして、5人は草陰に隠れて、様子を伺った。
 場を仕切っているのは、髪は茶筅髷、それを紅や黄色の紐で結って立て、湯帷子を片方だけ袖脱ぎにして、半袴、腰には瓢箪やら袋やら、いろいろぶら下げた男である。
  (うわぁ。パンクだわ。でもイケメン・・・?)
 時々『胡蝶の夢』で見た言葉がふっと湧いて出てくるのだが、意味までは思い出せない。戦国時代の言葉ではないのだろう。
「もう1戦やるぞ。っとその前に集まれ!」
 合戦のようにも見えるが、槍の先には薄く朱をにじませた布が丸くついていた。ケガを防止して、且つ、当たり判定をしやすくしているのだ。
「利家。負けた理由は何か」
「長い槍は上手く使えば、敵の攻撃を受ける前に敵を刺せます。ですが、その内側に入られると、引き戻せずに刀に対抗できませんでした」
「どうすれば良いか?」
「わかりません」
「わかる者はおるか?」
 信長は周りを見渡すと、
「仕方ねぇな。自分の命がかかってんだぞ。頭使え!」
 そう言うと、半分の槍を半間ほど切らせた。
「2列に並べ!前に立つものは今切った短い槍を持て、後ろの列は長いままの槍を持って、前の列が討ち漏らした奴を狙え。隙間に入らせるな!」
 そして、第2戦は利家軍が勝った。以来、三間槍と三間半槍の二種類に揃えさせ、上槍隊・下槍隊の2列で訓練するようになった。

 甲陽軍鑑(品六)にはこのようなくだりがある。
   ある時信長公の母君より、金一封が届いた。
   信長公は近辺の子供を集め、合戦ごっこの遊びをした。
   母から銭を武器に強そうな者にまず前金を与えてから
   二つの部隊に分けて戦い、おもうままにたたき勝ってから
   上機嫌で引きあげた。その時に味方で強かった子供たちは
   先の約束通り、残った銭を受け取ったという。

 この頃から、信長は合戦ごっこと称して、次世代親衛隊の軍事訓練をしていたのである。
「帰りましょう」
 胡蝶が静かに告げる。
「お遊びよな」
「あぁ。あのようなオモチャではな」
 安藤守就と稲葉良通が感想を言いあった。
「普段の恰好はもう少しマシなのですが、今日は特に・・・」
 平手政秀が、申し訳なさそうに言った。
 彼らの会話に、胡蝶は僅かに驚いたような表情を見せたが、気付くものはいない。
  (判ってないの?実戦訓練、臨機応変な改善に創意工夫、直ぐに効果を
   確認。あっという間に強くなるわ。何なのよ、あいつ)
 小さくため息をつくと、胡蝶はうつむいた。そして、小さく呟いた。
「はぁぁ。決めたわ。了承します」
 それを聞いて、平手政秀は一瞬耳を疑って、聞き返す。
「今なんと」
「了承します。輿入れします」
 今度ははっきりと言い放った。それを聞いて、平手政秀は手を叩いて喜んだ。一方、安藤守就と稲葉良通は驚きを隠せなかった。
「これは、めでたい。では、急いで準備を始めましょうぞ」
  (あんなのを敵にして、どうしろって言うの)
 これまで同世代の男を見ても幼児にしか見えなかった。それが信長を見た時、胡蝶の頭の中では、負けを認めて輿入れするか戦って負けるかの二択しか浮かばなかった。
 そして、泰秀宗韓を見上げた。「この人なら分かるはず」そんな気持ちがあった。泰秀宗韓は穏やかな表情で、複雑な表情を見せる胡蝶を見下ろしていた。
  (あぁ、私、輿入れするのか・・・。)
 軽い敗北感に包まれながら、胡蝶は天を見上げた。
  (あら、空がきれい。)

 1549年、胡蝶は織田信長に輿入れする。
 『信長公記』では、その後の1553年4月、斎藤道三は織田信長と正徳寺にて初めて面会したとされる。その帰路、道三の言葉がこう記される。
「この道三の息子どもが、必ずあの阿呆の門前に馬を繋ぐことになろう」
えっと・・・太田牛一さん。あんたは信長の部下でしょうに、何で道三と一緒に美濃に向かってるの?と軽く突っ込みをいれておく。
 なぜなら、胡蝶(帰蝶)の輿入れの後、道三は信長をとても気にかけるようになるからだ。近年、1552年頃に近隣の領主に向けて道三が書いた書状が発見されている。その書状には「信長とあなたは大変親しいということでうれしく思う」と記し、信長については「若造で至らない点もあるがご容赦いただき、末永くつきあってほしい」とある。斎藤道三が織田信長をどのように感じていたか、言うまでもない。

 この物語で胡蝶を心変わりさせた信長の行動、DOICサイクルとは、Do(実行)Observe(観察)Improve(改善)Check(効果確認)からの造語である。日常の改善活動であるため、ここに計画は無い。
 一般的にはPDCAサイクルが有名である。PDCAとは、Plan(計画)Do(実行)Check(評価)Action(改善)であり、重厚長大高リスクな案件やウォーターフォール型のプロジェクトに向いている。近年ではIT化が進み、OODAサイクルが良いとされる。OODAとは、Observe(観察)、Orient(方向づけ)、Decide(意思決定)、Act(行動)の略であり、変化が早い軽薄短小低リスクな案件やアジャイル型プロジェクトに向いている。
信長の行動は、むしろ、リーン生産方式における現場作業員による不具合改善(改善活動)に似ている。実行(日常運転・模擬戦=Do)において、不具合や改善点を探して(Observe)、直ちに改善(Improve)し、効果を評価(Check)する。これを称してDOICサイクルと呼んでいる。

(続く)

中書き

 物語の途中で『後書き』というのも変なので、『中書き』(?)です。
 歴史(特に一次資料)に出来る限り忠実に物語を構成しています。いろんな説がある時は適当に独自解釈して辻褄を合わせるようにしています。
 本作は歴史の研究論文ではありません。一応、ビジネス書です。創作ライトノベルです。お気楽にお楽しみください。

 第2章では、現代と異なる戦国時代という時代背景が、この後に続く物語において避ける事ができなかったので、胡蝶さんに我慢して頂きました。
 さて、第3章は胡蝶輿入れ後から岩倉城の戦いまでを描きます。時期は1章と2章の間になります。信長さんと胡蝶さんの苦難の道のりです。いわば、ベンチャー企業の産みの苦しみです。
 応援よろしくお願いします。

参考:書籍(1章・2章)

書籍類

 信長公記       太田牛一・著 中川太古・訳
 甲陽軍鑑       腰原哲朗・訳
 武功夜話・信長編    加来耕三・訳
 孫子          町田三郎・訳注
 中国古典新書・呉子  松井武男・訳注
 信長公記・戦国覇者の一級史料 和田裕弘・著

 荘子    金谷治・訳注
 君主論   マキアヴェッリ・著 黒田正利・訳
 濃尾歴研・創刊号   濃尾歴史文化研究所
 リーン生産方式が世界の自動車産業をこう変える。 
    ジェームズ・P・ウォマック、
    ダニエル・ルース、ダニエル・T・ジョーンズ 

インターネット情報(1章・2章)

地形情報
 https://ktgis.net/kjmapw/
 https://www.freemap.jp/about_use_map.html
吉良侵攻
 https://www.sengoku-battle-history.net/kira/
濃姫の名前
https://www.jstage.jst.go.jp/article/toyotakosenkiyo/46/0/46_KJ00008915460/_article/-char/ja/
六角承禎条書
https://www.city.kusatsu.shiga.jp/kusatsujuku/gakumonjo/gallery.files/R2.4.pdf
 https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/75390/
道三の書状
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240424/k10014431231000.html
ソロバン
 https://www.shuzan.jp/gakushu/history/
 https://www.hashiriimochi.co.jp/history06.html
水疱瘡・疱瘡
 https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/418-varicella-intro.html
 https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/445-smallpox-intro.html
その他
 Wikisource : 美濃国諸旧記・巻之二  黒川真道・編
 Wikipedia


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