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読書感想文という名の心の垂れ流し〜母子関係について〜

※自分が印象に残ったことを書き出し、なぜ印象に残ったかを掘り下げていきます。たぶん。
※太字は本からの引用していますが、やや意訳も入っているのでご容赦ください。


黒川伊保子さんの「母のトリセツ」を読んだ。

なぜこの本を読んだかというと
長年母との関係に悩むことが多かったからである。

母に言われた(母にとってはそんなつもりのない)心無い言葉にずっと影響を受けてきたと自覚している。

母の言葉によって自分の行動が制限を受けていた。
少年漫画を読み始めた小学3年生ごろ
母に言われた「そんな野蛮な漫画読まないで」という一言を受けて
『自分の好きなものは他人に理解されない』という考えに至り、長い期間をかけてそれを熟成させていた。

「人には言っていいことと悪いことがあるよ」
自分として友人に嘘偽りない思いを伝えたことを母に話した時に言われた。
わたしとしては嘘をつかないことは相手に対する真摯な姿勢の表れであると認識していたので、その真摯さは間違っているのだと思って、何が正解かわからなくなった。しばらく人と話せなかった。

「母と自分の価値観が違うので仲良くすることができない」

和気藹々と母と話すことが困難であった。
他のみんなは易々とやっているだろうに、という負い目があった。

「自分は出来の悪い娘である」

母と折り合いが悪い、というだけで自己否定の気持ちや、ネガティヴ思考に拍車がかかる。親不孝であるという思いがあった。
自分の思考にも影響が出ていた。

「それでも母と分かりあうことはできない」

母とは平行線で、わかりあうことはできない。
お互いにぶつけることしか知らないからだと思う。
お互いに、頑固なやつだ、と思っていると思う。


また、職場の上司とうまく距離感を取ることもとても苦手であった。

母との関係とは一見違う。確固たる明確な理由ががあるわけではないが、母との関係が、上司との関係にも影響している様な気がした。


ここからは本を読んで印象に残ったことを挙げて、それに対して自分が思ったことを書いていく。

「母親には確かに人生をもらった。感謝してもし切れないが、くれた以上わたしの人生はわたしのものだ」

なんの本を読んだわけではなかったが、同じようなことを思ったことがあった。

母とは分かり合えない。家族であり、親子であると言えど、価値観の違う人間であるのだから無理して歩幅を合わせる必要はない。歩幅を合わせるには自分が無理をしないといけないのはわかっていた。
母は赤の他人ではないが、他人である。
無理して他人と合わせる意味はないと思った。
それなら価値観の合う、一緒にいても無理をしなくて良い他人といる方が良いと思った。

母のことを「あの人」と言ったら、父に怒られた。
なんで??
他人だし。母というだけで、他人だ。

「赤の他人ではないだけで、親子でも他人だ」
と母に言ったら
「そんな悲しいこと言わんでよ。他人じゃないよ」
と言われた。
いや他人だろ。
話通じねえな。
自分以外は他人だよ。

多分、この境界線のなさが嫌だった。自他の境界線が曖昧なような。
わたしの意見を否定されるのも嫌だった。

だが、自分の人生の起点が母の存在であることは紛れもない事実で、母がいなければわたしのこの人生はなかったという事実は確実にある。

「母親には確かに人生をもらった。感謝してもし切れないが、くれた以上わたしの人生はわたしのものだ」
そう思う自分と、それを思ってしまうのとても傲慢なことであると思う自分とがいて、板挟みで、どちらかというと傲慢で悪いという認識の方が強かったので自己嫌悪になっていた。

でも今回「本」という、不特定多数の人間が読む媒体で発言されているということに安心した。「本に書かれているからまるっきりOK」とは思ってないけど。

このことについて誰かに許してもらえるのが楽だったのだなと思う。

自分の考えたことに自信を持つことが難しいのだと思った。
「母親には確かに人生をもらった。感謝してもし切れないが、くれた以上わたしの人生はわたしのものだ」
そう思っても、それに自信を持つことはわたしにとっては難しかった。

誰かの許しが欲しい。同じ考えを持つ人がいることに安心したい。

こう思っていることについて
わたしだけ刺されたくない。刺される時は誰かと一緒、がいい??

保身が強いのか、生存本能?傷つきたくない思いが強いのだなと。

実際のところどうかわからないけど、「母は大事にしろ」という風潮がある気がする。

でもわたしは別に大事にしたいと健在意識では思ってない。
母の老後の介護なんてしたくないし、ボケた母の相手もしたくない。入院した時の世話もしたくないし、遺品整理もしたくない。
わたしとは別の場所で、好きに生きて、勝手に生きていったらいいと思ってる。

でもそんなこと言ったら、この世で生きていく人権がなくなるような気もしている。
別にひどい虐待されたわけでもないのに
こんなことを思っているわたしは
さぞ親不孝者のサイコパスなのだろう、とか思う。

こんなことを思っているけど、他人からそんな目で見られたくはない。
心無い言葉を言われたと感じる相手は、母だけにしたい。


「人生最初の刷り込みは本人が思っている以上に深い。大人になっても母親の表情や所作にかなり影響を受けている。好奇心も集中力もやる気も想像力も母の不機嫌な表情は奪ってしまう。だがそういった不機嫌な状態を子供に見せてしまう母親のことは、未熟な母なのだなと思って良い。だが未熟な母であってもその母を選んだのはあなたである」

「ん、わかった」
この言葉を言うとき、言葉と裏腹なことを思っている時の母の表情はすぐわかる。
納得していない顔。
納得していないのに言葉では納得したかのように話す。
思ってもいない綺麗事を言う。
思ってもいない励ましの言葉を言う。
それがわたしはとても嫌いであった。嘘をつかれることが嫌いだった。
思ってもいない言葉を言うな、と思っていた。
言葉だけで褒められても、何にも嬉しくなかった。

そもそも誉められた記憶がない。
言葉だけで褒めれることが嬉しくなかったからだと思う。
「言葉に心が伴っていない」と、なんとなく思っていたからだと思う。

「なんでもあなたのやりたいことやりなよ〜。お母さんはあなたのこと信じてるからね」
と言いながら、いざやりたいと言ったら
「それ大変なんちゃう??こっちにしたら??」
とか言ってくる。
これはわたしにとっては嘘をついているという認識だった。
言ってたことと違うやないかい、と。

皮肉なことに、母に言われて傷ついたこと、そればかり覚えている。

高校生の時、悩みを聞いてもらっていた時のこと。
当時のわたしは大概話したいことを1週間分ためて、週末に長時間かけて話すタイプだった。母も疲弊していたのだと思う。
「もうそんな話ばっかり聞いてられない」
と言われたのが自分としてはかなり刺さった。
それから7.8年くらいは敬語で話すようになり、必要最低限の事務連絡しか話さなくなった。


母の感情の表出の仕方は今も変わらない。わたしからすると「わかりやすい」

でも、そんな母を選んでこの世に生まれたのは、この母を選んだのは自分らしい。

その意味はなんなのだろうか。

価値観の合わない、分かり合えない、衝突し合う、母の元に生まれた理由は何か。

「神は乗り越えられない試練は与えない」という。別に神を信じているわけではないけど。

自分勝手に仮定するなら、とても単純やけど
世の中に多様な価値観があることを知るため
多様な価値観と共存していくため
親子といえど他人であることを実感するため
親子の呪縛から解放されるため
母親に支配されないため
母親の支配に気づくため
自分の子供を自立させるため
自分の子供を所有物扱いするのではなく、1人の人間として尊重できるようになるため

わたしにはさまざまな価値観やルーツを持つ人たちを、個別の独立した人間として尊重できるようになれる素質がある??強みがある??
と考えてみる。
みたいな。


「子は母を選んで生まれてくる。文字通り人生の全てを委ねてお腹に宿った。これ以上に母の存在を認める行為はどこにあるだろう。ここにおいて母がここにいる価値は永久不滅になった。あなたは母にその充足をあげたのである。だからもう十分に彼女を選んで生まれただけで彼女は満たされた」

母は子の生活に色々と難癖をつけてくる。
「寒いのに、そんな服着て風邪ひくで」
「そんなことして大丈夫なん??」
とかなんとか。

わたしは特に過去の話をされるのが嫌いであった。
「もっとこうすればよかったのに」
わたしが何かやって、失敗した時、母として失敗だった時
「あの時ああしたらよかったのにね〜」とよく言われていたが、これがめちゃくちゃ嫌いだった。結果論なんてどうとでも言える。
過去の話をしても、過去は変えられないないんやからどうしようもない。
今後どうするか考えた方が良いとわたしは思っていた。
これを言われすぎて、いつだったかに「今その話してなんの意味があるん」と言い返したことは覚えている。


だがそれは母からの愛の形である。
失敗しないように、わたしがシアワセになれるように。
だがそれはとても鬱陶しいものである。
大きなお世話である。
マジでほっとけ。

でもそんなことそのまま伝えてもまた衝突するだけである。

だからもう自分はそんな母とは別の道を歩むだけ。
自分にできるのはそれだけだと思った。

自分と母親の折り合いが悪いので、自分が将来子供を出産して、育てるということに全く自信が持てなかったし、子供も欲しくなかった。
でもまあまあいい年になって、そういうことも考えるようになってきた今、「生まれてきただけ彼女は十分満たされた」という考え方を知れたのは、わたしにとっては割と肩の荷が降りる思いだった。

これもなんか、許されたい気持ち。
何をすれば、親孝行になるのか。
何をすれば、母を満足させられるのか。
そういう漠然とした、天井のない感覚があった。
霧の中みたいな。正解がない。

わたしの母の場合、あるだろうに、綺麗事で隠される。
「あなたが好きに生きたらいいのよ〜」とか言ってきやがる。
本当に好きに生きたらいいと思ってもいないくせに。

あとは永遠に覆らない上下関係のような関係性に感じていた。嫌だった。どう足掻いても関係が変わらないような感覚。
少し言いすぎな表現だけど、一生母の下僕のような感覚。

でも母と折り合いが悪いことは悪いことではない。そう思いたい。
母と折り合いが悪い、母と価値観が合わない。それは言い換えると、自分の個性を尊重して育ててもらったという事でもあるのかなと思う。
それは自分としてはありがたいことだ。

母と仲が悪いことを許してほしい。

わたし個人として、ただの人間として認めてほしい。
母と価値観が合わなくても。
一生平行線のままで、分かり合えなくても。
心の底から笑いあえなくても。


「本当の自立は親の思い込みから自由になること。毒親という考え方は得策ではない。軽蔑も恨みも母に固執している。母の支配下にある。脳にとって好きの反対は嫌いではない。無関心であることである。無関心になってこそ、母から自立する」

なるほど、わたしは今もずっと母から自立していなかったと気づいた。

社会人になり、そこそこ社会の荒波にも揉まれ、経済的にも自立した。

中学生頃までは母の意見が全てだった気がする。
母の決定を待っていたが、高校生、大学生を過ぎてそれも無くなった。と思っていた。
自分は自立したと思っていたが
未だ母からは精神的に自立していなかったのだと気づいた。

母に対しては必要以上に反論してしまうし、論破しようとする。
打ち負かしたいという気持ちがある。
でも言いすぎた時は自己嫌悪に陥るという状況だった。

打ち負かしたくて、捲し立てるように言葉を並べて攻撃する。
でも今の母は昔のような傍若無人な母ではない。
わたしも昔のように言われっぱなしの子供でもない。
今はわたしの方が強い。母もわたしのことをねじ伏せようなんて気はないと思う。

でもヒートアップして必要以上に言い過ぎる。
それで罪悪感だけ残る。
今ここで母が死んでだら、後味悪いんだろうな、とか思う。

軽蔑も恨みも母に固執している。
母の支配下にある。

わたしは未だ、母から自立できず、支配下にいた。

今わたしに必要なのは
母の表情にも、母の言動にも無関心になれること
それがわたしには必要なのだ。

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