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「物騒な事件」のお話

この世に存在する物騒な事件。模倣犯。

歴史は繰り返すのか?アップデートをした砂時計を何回もひっくり返す様な、そんなイメージを持ってしまう。

事件性のある殺人事件がテレビで流れているのを横目に僕は目の前にいる「明日寿命で亡くなってもおかしくない」という患者に対して治療をする。治療といっても僕は医師でも無いのでやっているのは足の浮腫を取り足が動くことができる様になるための訓練だ。

そんな時に流れてくるワイドショーの酷い殺人事件がテレビから聞こえてくる。

なるほど、今回は精神疾患を持っている可能性のある加害者が放火をした。最終的にはその容疑者も亡くなった。

僕は発達障害と精神疾患を持っている。この手のニュースになると心が少し弱くなる。それは違う精神疾患や発達障害であってもそうなのだ。

同じくそういうことをしないか?なんていう思考が健常者には生まれるということを僕は過去の職場で知っている。

発達障害は一旦置いといて、精神疾患を持つことに対して差別をするのは仕方がないと思ってはいる。しかし一つだけ言うなれば、僕は薬をきっかけに精神疾患になったのだ。

この世に障害や病気、その他にも差別をする人がいるのは分かるが、人間はいつ精神疾患になるか分からない。明日は我が身だと思ってほしい。

過去に僕の目の悪さや発達障害に対して

「可哀想だね」

と言われたことがある。僕はその時唖然とした。最終的に帰宅しては大笑いして、そして号泣した。

可哀想??ふざけるな。僕の人生は僕が主人公なのだ。それを可哀想だと?可哀想という言葉が気に食わないのには理由がある。僕は自分自身に誇りがあるからだ。ただ純粋に目が少し悪く発達が遅れれば可哀想なのか?いや、僕は自分の人生を最高だと思ってる。

「勝手に哀れむその視点しか持てない君が可哀想だね」

僕は笑顔で言った。とても爽快だ。

そういえば、事件性のある他殺の場合もそうだけどその場合は容疑者は被告となる。裁判が始まるのだ。

多くの人は「精神疾患があっても極刑にしろ」というが、それはただの民意である。

しかし裁判は司法であり民意が決定させるのではない。もし本当に精神疾患において無罪になる確率の高い場合こそ検察官はどうにか証拠や証言を集めなければならない。そこで責任能力の有無がどうか等で判決が決まる。検察官次第なのだ。

真実なんていうものの近くに裁判はある。しかし本当の真実こそ存在しないとも思う。人がどう感じ取るかはそれぞれなのだから。

ワイドショーで別の殺人犯の中学時代の同級生にインタビューをして何が分かる?

人間は思考が変わる。殺人や犯罪を犯すときなんて一瞬の出来事もしくは計画的なもので、そんな人にインタビューしたところで大人になれば環境も精神的にも変わるのだから1番意味のないインタビューだと思っている。僕は中学まで明るかったのに今では仕事以外引きこもりだ。環境や個人的なことで変わっていく成長に昔のインタビューをしても意味がないのだ。

それと、僕は「JOKER」のコスプレをしたあの犯人は許さない。お前はJOKERじゃない。ただ殺人という無能なことをしたかっただけのソックリさんであり、JOKERにはなれない。だからJOKERという作品を汚したことは心から恨む。

真面目に生きている人間を巻き込むな。死ぬなら一人でどうにかしろ。

こちとら迷惑だ。


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