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ゲストハウスと云うけれど、

24歳、ゲストハウスを開業するっていう話。
昨年、地元から車で2時間先にある村に引っ越して、
村内に眠る空き家を改修し、ゲストハウスを2024年10月に開業しようとしています。こうやって書いていても、まだ信じられないけれど、
目の前では、空き家から荷物が運ばれて、工務店さんと打ち合わせして、
改修費はどうしようか、ああしようか、なんて話しが進んでいます。
壁や床もどれにしようなんて考えていて、もうオープンも目前なんですね。
どうなることやら。

ずっとずっと何か記録したいと考えていけど、
書く前から誰かに自分の言葉を見られることが怖くなって
書けないまま、オープンが目の前になってしまいました。
村暮らしって、誰かがああだこうだ言うこ言葉が聞こえやすいので、
どこかでああだこうだ言われるんじゃないかと考えてしまします。
村暮らし、というか現代社会か、、、。
まあ、どんなに凄い人が何か言っても、どこかであれこれ言われる世の中だから、そんなこと気にしていられないのかな。
本当は私が勝手に考えすぎなだけなのだろうけど、お酒を一杯飲んだ勢いで書かないと、何もできずに過ぎていく日々です。

なんで村に越したのか、とか
私が考えているゲストハウスとは?とか
誰かの言葉へのああだこうだを書いていきたいです。(私だってああだこうだ言いたい、笑)
オープン目前にして感情は上下左右あらゆる方向に激しく動いているところを言語化しておきたいという、ただの自己満ですのでご了承ください。

では、



レンガ造りで日本一高い灯台


「ゲストハウスを創りたい。」という話は結構前からよく聞く話ですね。日本一周している旅人や、ワーキングホリデーから帰国したら、なんて言う人には数えきれないくらい出会ったし、SNS上でもよく見る。そんな多くの人たちと、私も使う台詞は同じだ。

ゲストハウスを創りたい。

しかし、わたしは日本一周だってしていないし、世界を旅してきたわけでもない。ただ、自分が居たい場所をみつけて、好きなヒトたちに会いに行っていただけ。いままで、いくつかの街を転々としてきたけれど、そこには会いたいヒトがいて、次にいく場所にも会いたいヒトがいた。
たくさん旅をしてきた人たちと比べてしまうと、あまり多くのヒトには出会えていないだろうけど、家族や学校、会社という枠を飛び越えて、また会いたいと思える出会いがひとつでもあったことが、今日までの私の原動力になっている気がする。「生きていたら、またどこかで会えるから。」と、どこかで言われた言葉に救われながら暮らしています。せっかくなら、自分が創った場所で会えたら良いな。なんてね。

私のゲストハウスとの出会い

初めて、ゲストハウスという概念を知ったのは高校3年生の時で、大学受験をしに札幌市にひとりでいく時だった。できるだけ費用を抑えて宿泊したい旨を5つ上の姉に相談したことがきっかけだった。その時は、ひとりで海を渡り北海道まで行くことが新鮮で、なおさらビジネスホテルとはちがう雰囲気のあるゲストハウスに宿泊することに、心が躍っていたことを覚えている。
当時、地元での学校と自宅の往復の日々には満足していたし、高校を卒業して、教員免許の取れる大学に進学して、公務員にでもなって、大人になるのだと思っていた。そのどれもがどれだけ難しいことかは、もうすぐ知ることになるのだけど、18歳の私は大人になるためにはこれしかないと信じて疑わなかった。
進学してすぐに、自分の選択について疑い始め…
ほんとうに、これしかないのだろうか。ここにいて、私はなにになるのだろうか。20歳を迎える日が近づくにつれて、なににもなれないのではないかとこわくなった。今でも知らないことだらけで、ひとりで飛行機に乗る方法や、ごはんの炊き方くらいは知っていても、知らないことの方がしらないほどある。いろんな仕事や、働き方があることも。知ってしまったら、やってみたい、と単純に好奇心が膨らんだ。それしかないと、つい最近まで信じていたモノが一気に崩れた瞬間だった。
そんな時にいた場所が、とあるゲストハウスだった。宿泊者以外の人も(近所のひとたちが)たくさん出入りしていて、学校という枠を離れて、年齢も職業も国籍もバラバラの出会いは衝撃だったと思う。何度も通って、自分が知らないところで暮らしていて、私が信じて疑わなかった大人とはちがうヒトに出会うことがとても面白かった。あんなオトナになりたい、と思う人たちにたくさん出会った。その分、自分が惨めにも感じた。周りにはすごい人たちがたくさんいるのに、私にできることはなにもないように感じる帰り道を繰り返していた。それでも、また会いたいと思う人たちがそこに通っていたから、私も緊張しながら入口の扉を開けていた。「おかえり〜」の、ひとことが地元を離れた街での安心をくれた。遠くの知らない街で私の名前を呼んでくれるひとがいること、家族みたいに一緒のテーブルでごはんを囲む時間は美しかった。膨らむ好奇心に手付かずで、どうしようと泣きながら話す私の言葉をちゃんと拾ってくれる素敵なオトナたちに出会った。
そんなオトナに私もただなりくて、あれから7年が過ぎた。
ただそれだけだけど、「ゲストハウスを創りたい」という私の想いはそこから繋がっている。まったく同じ時間はもう過ごせないけれど、あんな時間をどこかで繰り返していきたいとずっと願っていたような気がする。

ゲストハウスと云うけれど、私はそんな居場所が欲しいだけなのだと思う。手段として、宿泊という要素(それだけでない色々)が組まれているけれど、私がわたしでいられる居場所がひとつでも欲しいし、誰かにとってもそんな場所になってほしいという私の大きなワガママかもしれない。好きな人たちに会えたり、珈琲を淹れて本を呼んだり、談笑したり、ぼーっとしたり、おいしいご飯をを囲んでみたり、お酒をのみながら可笑しな話しをしていたい。年齢も職業も国籍も肩書きもなくして、私はわたしのままで、あなたもあなたのままで、ここにいても良いと思える場所であれば良いな。どこにいたら良いのか、何をしたら良いのか、なにになれるのかこわくなる日を少しでも無くせたらいいな。ただ、そう思う。
どんどん膨らんだ好奇心の中で、達成できたことも、辞めたことも、まだ途中なこともあるけれど、あの時、ゲストハウスというモノを知らなければ、今頃はなにも知らないまま想像していた大人の形が作れていたかもしれない。今では、その時間軸のわたしも気になるけれど、生憎、今は想像していなかった場所にいる。…

たらたらとこんなことを書いてしまったけれど、大好きなヒトたちに「ただ、また会いたい」という想いだけが私の中に残っていて、今に至るのだと思う。他人が聞いたら、そんなこと馬鹿馬鹿しいだけかもしれないけれど、私にとっては今まで出会ってきた好きなヒトたちに会えること、会いたいと思うことは最高に大切なことだった。
ひとつの街を離れる度に、私がいなくても変わらず流れていく日常生活がそこにあることがよく見える。私だけ大きな荷物を抱えて、みんなとは反対方向へ歩いているような。この街には私の居場所がなくなったような。あたりまえに悲しくなるし、寂しくもなる。でも、またどこかで会えるようにがんばろう、と思える人たちに出会えたことは私にとって宝物です。

そんなの綺麗事で夢物語に過ぎないよ、と誰かは言うかもしれないけれど、それよりもずっと深いところに想いはあって、開業するならちゃんと成り立たせていかなければならない。そればっかりはどうなるかわからないけれど、「想い」が中心になって今があるということだけが伝わればいいな。

これが、地域の為やだれかの為になるのならば、私は必死に考えるし、
求められいていなかったのだとしたら、もうしょうがないですよね。向き不向きがあるし、合う合わないも存在する世界だから。自分の想いとだれかの想いがすこしばかり重なる部分があったら良いな。

ほんとうにこんなことを書きたかったのか正直わからない。
いつの日か、杏奈の言葉はあんなの知らないところで褒められているよ、という言葉を頂いた。もう数年前のことだけど。頂いた言葉をちゃんと信じて、今日も書いていきたいと想う。ただ、想う。

ほんとうに、オープンできるかな。
どんなヒトが、誰が、来てくれるのかな。
そんなことを考えて、毎日不安でどうにかなりそうだけど、
着実に目の前の光景は変わっていくので、私も必死に着いていくしかない。
想いをカタチにすることの難しさを全身で感じています。

あ〜〜〜〜、不安です。
不安で不安でたまらないけど、
良い日が来るはず、と信じて生きないといけないですね。

良い日は来るのかな。



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