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神様がきた

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郊外の町を舞台に、日常に差す光を描く小説です。
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神様がきた (1)

神様がきた (1)

 笑ったり落ち込んだりするぼくたちの毎日に、思いがけない静寂が訪れるときがある。

 早朝の路上や、見上げた街路樹から光がさしこむ午後。それから雲の切れ目に小さな星を見つけたとき。時間が止まったような感覚がぼくたちに訪れる。

 厨房の片隅や電車を待つ駅のホームで、ふと頭をよぎる考えがある。シンプルに生きられればいいなと思う。澄んだ気持ちでこの世界を見られたら、もっと近くに感じられたら。

 日々

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神様がきた (2)

神様がきた (2)

 目が覚めると窓から白い光が差し込んでいた。ベッドから起き上がり、カーテンを開けると、住宅地の静かな朝の景色が窓の外に広がっていた。

 洗面台で顔を洗ったとき、指先に灰白色のペンキがついているのに気がついた。石鹸をつけて何度も洗ったが、ペンキは取れなかった。

 インスタントコーヒーをいれ、スマホをいじりながら、昨日コンビニで買った菓子パンを食べた。コーヒーを一口飲んで見上げると、窓の外にくっき

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神様がきた (3)

神様がきた (3)

 ぼくたちは電車の高架に沿って駅の方へ歩き出した。横断歩道で信号が変わるのを待っていると、光にあふれた駅ビルからばらばらと人々が出てきた。

「この町のことまだよく知らないから、ちょっとお店を開拓してみようと思って」
「サエキさん、ここの人じゃなかったの?」
「先月のはじめに引っ越してきたんです」

 駅から出てきた人々は、住宅地の方へと静かに歩いていた。古い雑居ビルが通り沿いに立ち並んでいて、牛

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神様がきた (4)

神様がきた (4)

 バイトが休みの日でも、ぼくは普段と同じような時間に目を覚ました。休みの日は洗濯をしたり、部屋を掃除する時間があって気持ちがすっきりとする。それにゆっくりランニングする時間があるのがうれしい。

 ぼくは速く走れるわけではないし、距離もそんなに長くは走れない。一度に走るのは五キロほどだ。だが走るのは好きだ。

 いつのまにか走るのが好きになったのは、きっとこの住宅地のある丘のせいだろう。傾斜のきつ

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神様がきた (5)

神様がきた (5)

 いつからか、ぼくとサエキさんはバイトが終わったあと一緒に晩ご飯を食べながら話すことが多くなった。

 店でぼくがつくったまかないを食べることもあれば、川沿いのベンチでコンビニのサンドウィッチをつまむこともあった。サエキさんは見かけによらずよく食べた。酒を飲まないことはなかったが、少しの量を時間をかけてゆっくり飲んだ。

 ぼくたちはお互いが休みの日に何度か橋の下のグラフィティを見に行った。スプレ

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神様がきた (6)

神様がきた (6)

 日に日に蒸し暑くなってきた。晴れだか曇りだかわからない曖昧な天気が続き、やがて雨の降る日が多くなった。

 店にビニール傘を置いてあったのだが店長が勝手に使って帰ってしまい、コンビニでもう一本買うはめになってしまった。それもすぐになくなってしまったので、ぼくは新しくレインジャケットを買った。少々高い買い物になってしまったが、いいこともあった。雨の日もぼくは外を走れるようになった。

 ぱらぱらと

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神様がきた (7)

神様がきた (7)

 ヨコヤマがDJをするイベントの準備で忙しいというので代わりにシフトに入っていたら、休みが取れない日が続いた。

 一週間ぶりの休みは蒸し暑かった。ぼくは朝から洗濯をし、たっぷり一時間ランニングをした。部屋のなかでずっと冷房にあたっていると体がなまるように感じられたので、寝る前に散歩に出かけることにした。

 夜になってもまだ暑気は残っていたが、ときどき吹いてくる風は肌に心地よかった。自動販売機で

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神様がきた (8)

神様がきた (8)

 サエキさんが店を休むようになって二週間がたった。事情があって一週間ほど休ませてほしい、復帰する際に必ず連絡しますと電話で店長に連絡があったきり、サエキさんは音信不通になっていた。

「ヨージくん、なにか知ってるんじゃない?」
「知りませんよ」

 ぼくが首を振るとイノウエさんはなにか言いたそうな顔で厨房を出ていった。シフトがきつくなってみんな困っていた。イノウエさんの都合がつかないシフトは店長が

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あとがきに代えて

あとがきに代えて

『神様がきた』を読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。

 この小説はぼくが数年前に書いた作品です。ぼくはこれまでも小説を書いてきましたが、それらはほとんど人の目に触れることなく、パソコンのハードディスクに保存されたままになってきました。

 小説というものは書かれただけではダメで、それがだれかに読まれて、初めて完成する。その思いがはっきりとしたのは、noteに第一話を投稿してから

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