左手に血豆を作るほど、両親のために車を走らせたけど、結果は…
一行で書くと『77歳の両親の熟年ケンカの仲裁のために奔走した』で終わってしまうのですが…。
そのために奔走した1週間は、たぶん、両親のお葬式でわたしが思い出す、一番の思い出になると思います。
備忘録みたいな note です。
そんなに感動したり、教訓のある内容じゃないことを、あらかじめお断りしておきます…。
◇ ◇ ◇
母から電話が来たのが土曜日の夜。
この時は、札幌に向かうのにダンナが運転してくれました。母だけうちに連れて帰りました。
日曜日、母とふたりだけで話をするために、ダンナに子どもを預けて車で早朝から外出。
月曜日、父と母とわたしで話をするために札幌へ。
話合いが決裂して、母を千歳に連れ帰ることに。
ちなみに、決裂した原因は父母ではなくわたしがブチ切れたため…。
わたしがムシャクシャして、このまま千歳に帰る気にならず、母の妹=わたしのおばさんに当たる人の家に寄ることに。
おばさんの家は、札幌でも南のはずれの方にあり、スマホの地図ナビで向かいました。…遠かった。
でも、会えて良かった。おじさんがおととし亡くなってから、一度会いに行きたいと思っていて。コロナで行けず。やっと行けました。
帰宅して、左手親指のつけねに血豆を発見…。
運転のクセがあるんだな~と思いました。
火曜日、母がガラケーの充電コードを持ってきてなかったので買いに。車でお店へ。
水曜日、子どもが「耳がまだキーンっていう」と。
先週軽い中耳炎になっていて、治りきってなかったらしく。
お昼で保育園を早退して、車で耳鼻科へ連れて行きました。
帰宅後、わたしは疲れ切ってしまって、夕飯作らないと…と思いながら、カレールーだけキッチンに出して、居間に寝転んでしまいました。
すると、母=ばぁばと5歳の娘が、ふたりでカレーを作り始めました。
ばぁば「じゃがいも、これでいいの?」
孫「違うの!1,2で切るの!」
と、何だか楽しそうにしてます。
ウトウト…軽く眠ってしまったらしく、気が付くと、カレーは出来上がってました。
木曜日。母がどうしても、札幌のいきつけの美容室へ行きたいと。
JRで一人で行く気満々だったのですが、札幌のコロナの感染者数が気になり、ダンナと協議の結果、わたしが車でお店まで連れて行くならOKにしようと。
また車で札幌へ。
待ち時間どうしようかな、と思ったのですが、このままじゃいけないな…と思って父へ電話して、わたしと父とで話をすることに。
母を美容室前で降ろして、実家へ。
月曜日はかなりエキサイトした2人の話し合い。
どうなるかと思いましたが、親子って不思議です。
冷静に話し合いは進みました。
母は明日、実家に戻ることが、本人抜きで決まりました。
金曜日。それが今日。
母を家に送り届けて。
さっさと帰ろうとしたら、父に呼び止められて。
父は杖が無いと歩けず、車イスを使う人です。
父は母に「お前は来なくていいんだ!」と声を掛けて、ゆっくりゆっくり外に出ました。わたしもゆっくり後からついていきました。
そこで、初めて、今回のことについて、すまなかったと言われました。
ダンナには、もっとすまなかったとも。
直接謝りにいけないから、くれぐれもよろしく伝えて欲しいと。
◇ ◇ ◇
今回、父と母と両方から話を聞いて、改善するためにいくつも提案をしました。
でも、ほぼ全部却下されました。
じゃあ、どうやって今回みたいなひどいケンカにならないように予防するの?なんか手を打たないと、また同じことになるでしょ?
そう言いましたが…
「気持ちだけ伝わればいいんだ。とにかくなんで怒っているか、ひとつでもふたつでもいいから、ちょっとでもいいからわかって欲しいんだ。それだけなんだ。」
◇ ◇ ◇
結局、わたしがブチ切れたり、それが原因でおばさんのところまで長距離運転して血豆作ったり、母が実家に戻るのが遅れたり…と、自分が余計なことをしてしまった感があります。
ダンナに「そこまで真剣にやってくれたこと、感謝してると思うよ。それに、ばぁばは、孫とカレー作れて喜んでたじゃん。美味しかったよ。」と、慰めてもらいました…。
こうやって note 書いてても、文章にしきれない想いがまだ残っています。
この1週間が、両親にとっても、自分たちにとっても、後々良い思い出になりますようにー