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上海の女の子

 これは最高に良い話だから数えきれないほどの人に話すつもりだった。でも、何度も話すうちに素敵な記憶がすり減ってしまう。自分の中で色褪せてしまいそうなのが残念でならない。すでに何人かには伝えているけれど、今noteに投稿してこれを最後にしたいと思っている。

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 上海から成都まで中国東方航空の早朝フライト。急遽決まった土日の出張であまり気分が乗らない。乗客は満員でぎゅうぎゅう詰めのエコノミークラス。でもスムーズなオペレーションで時間通りのフライト。フラットな気分で離陸を迎えた。窓際の席で隣にはヘッドホンとマスクをした若い女の子。

 そのうち食事が出てきて、旨くも不味くもないサンドイッチを口に入れてとりあえずお腹を満たした。

 しばらく経って客室乗務員が隣の女の子にケーキを持ってきた。中国語で会話しているので当然意味はわからないけれど、状況からすれば今日は彼女の誕生日でそのサプライズであることは容易に想像できた。彼女ははにかみながら嬉しそうにお礼を言ってスマホで記念撮影を始めた。

 それを横目で見ながらそろそろパソコンで仕事を再開しようとしていたところ、彼女が何やら私に向かって喋りかけてきた。残念ながら中国に来て一ヶ月の私には聞き取れないが、この誕生日ケーキを一緒に食べないかと誘っているのはわかった。

 彼女は私が別にケーキを食べたいなどとは思っていないはずで、でも自分の今の悦びを誰かとシェアしたいという気持ちの自然な発露であることは理解できた。こちらは少し戸惑ったが、彼女は言葉が通じないことがわかってもそれに動じずにフォークを私の手に取らせた。

 苦手な英語で「君の誕生日?、何歳?」「16歳・・・。」という残念な一往復のキャッチボール。途中で彼女は私が日本人であることに気付いて、「自分は日本のアニメや漫画などのカルチャーが大好きで・・・」と熱いリスペクトの眼差しを向けてきて恐縮してしまった。同時に不当にリスペクトされている後ろめたさも感じていた。私はその業界関係者でもないし、今のポップカルチャーにも明るいわけではないし。それでも何とかお互い話の糸口を掴もうとしていた。今のアニメとか声優とか、ごめん、全然わかんないや・・・。

「ウルトラマン・・・」彼女は少しクラシックなワードを出してきた。それなら何とかわかるぞ。「ウルトラマン、セブン、レオ、タロウ、・・・」お互いの声が弾む。円谷さん、ありがとう。私は今、M78の時空を超えて中国の女の子と一つになれた。と思ったのも束の間。それ以上繋がらない。

注)ウルトラマンは中国で独自に進化して、今も若い人に大人気であることを事後的に知った。男子だけでなく女子にも広く親しまれているらしい。

 お互い拙すぎる英語で必死でコミュニケーションを図ろうとしたが、途中で息切れしてしまった。私は英語も中国語もほとんど操れないまま中国にいることの不甲斐なさを感じ、彼女はきちんと勉強してこなかったこと悔やんでいた。君はそんなに悔やむことはない。私が悪いのだよ。翻訳ソフトに頼ろうとしたけれど、当然フライト中でオンラインは機能しない。

 その内、着陸のサインが出たため、テーブルをしまって、座席を直した。

 間も無く着陸が近づけば携帯電話がオンラインになって翻訳ソフトが機能するはず。私は慌ててPCを再起動して彼女へのメッセージを打つことにした。

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 16歳の誕生日おめでとう。

 今はまさに多感な年頃でこれから数年は特に周りの影響を受ける時期だと思います。良いものに触れて感性の鋭い人物(センスの良い人)になってください。賢さも当然大事ですが、これからは感性が更に重要視される時代になるはずです。

 多くの中国の若い人がアニメやデザインの勉強をするために日本に来ているようです。あたなもいつか日本で勉強するチャンスがあればよいですね。

 両国にはまだまだ根深い政治的な歴史問題がありますが、現代の継続的な文化交流で中国人と日本人の感性はかなり近づいているような気がしています。同時に埋まらない奇妙で面白いギャップが存在することも事実。そこにこそ新たな可能性を見出せるのではないかとも感じています。

 私は今、日本企業の上海駐在員としてそれを経験していますが、あなたも日本で暮らして是非それを体感してもらいたいのです。

 私はまだ中国に来たばかりで中国語で会話できず、残念です。ごめんなさい。

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 これをBaidu翻訳で中文に変換し、急いで彼女に見せた。彼女は本当に喜んでくれて、学校の先生にもこのようなことを言われていることや、近々両親が日本に行く予定などを身を乗り出して興奮しながら喋ってくれた。

 彼女はそのPCのモニターをスマホで写真におさえて満足そうに座席に座り直した。私も何か日本人として一仕事終えた良い気分で荷物を片付け始めた。

 離陸後の別れ際、彼女は日本語で「ありがとうございました。」と最高に気持ちの入った挨拶をしてくれた。実生活でこんなドラマチックなシーンはもう2度と経験することはないだろうなと感慨深く彼女の後ろ姿を見送った。

 色々な偶然が重なった良いドラマが繰り広げられ、その脇役になれたことが非常に嬉しかった。主役は16歳誕生日を迎えた上海の女の子。

【アイコン素材】 chojugiga.com




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