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言葉にも余裕を

言葉には魅力を感じる。
言葉には、それを発したり使う人の世界観が詰まっている。

汚い言葉を使う人もいれば、素朴だけど、とても心地良い言葉を使う人もいる。日常生活にはストレスが多いためか、いろんなところで発せられる言葉の背景にストレスの存在を感じる。

  • さっさと寝ろ

  • 風呂に入れ

  • 起きろ

伝えたいことが丸裸で発せられると、直球で伝わりやすい。しかし、そこにちょっとだけアレンジがあれば、その直球がぶつからずにじんわり染み込んでくれるのではないかと考える。

  • そろそろ寝る時間じゃないかな?

  • あれ?お風呂に入ったんだっけ?

  • 朝だよ〜☀️

心に余裕がなかったり、何かに生き急いでいると、視野が狭くなりがちになる。それと同時かつ無意識に、言葉を伝える相手への視野も狭くなりがちになる。

直球を投げても一応言葉は伝わるが…
受け手はどうか?

よく会話がキャッチボールに例えられるが、まさにそれ。受け手に、受け取るキャパがあるか?受け手はそれを素手で受け止めるのか?それ以前に受け止める準備すら出来ていないのではないか?

言葉を発する側がそれを見極めることで、心地良いやり取りができる。しかし、発する側に余裕がなくなると、とにかく言葉というボールを直球で投げてしまう。

受け手は傷ついてもそれを受けなければならない。逃げ場があれば良いが、テレビやスマホのように「聞きたくないから電源を消す」というわけにはいかない。それが親子や同居人のように、日常生活を共にする時間が長い場合、毎日毎日直球を受け続けなければならない人もいる。それがストレスとなり、余裕がなくなり、やがて誰かに直球を投げる可能性を生み出す。そしてそれが連鎖していく。

本当にちょっとしたことだか、心に余裕を、そして言葉に余裕を持っていたい。言葉には魅力を感じるからこそ、いつもそう思う。

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