He is Mr. Nasrallah!_イエメン

東南アジアで興味のある国は一通り行ったな、と、思った2006年に、東南アジアを飛び出し、遺跡に興味があったシリアに行こうと計画を立てていた。
ところが、その頃に隣国レバノンでヒズボラが暴れ出したというニュース。
今なら特に気にせずに当初の予定で決行したと思うが何せ初の中東旅行。
隣国のシリアに影響があるのかないのかも分からず、ただもし難民が出たらシリアに押し寄せる可能性は無きにしも非ず。それによる治安悪化等を想定してしまい、7月に旅行代理店に無理をお願いしチケットを変更。
旅先をイエメンにした。

初アラブがイエメン。
これを、その後に出会った旅好きに話すと大抵驚かれる。
ちなみに初アフリカがエチオピアというのも驚かれる。

そんなこんなで向かったイエメン。
わたしの40カ国弱の現在までの渡航歴の中でダントツ、No.1の旅先がイエメン。
何がダントツNo.1かと言えば、端的に言うと、人は皆バイアスの中で生きていて、ものの見方も正義のようなものもそのバイアスから、ということをリアルに感じることができたからだろう。

わたしもバイアスを受けて生きている。西洋やアメリカ的な価値観と言えるのかもしれないし、昔からの東洋の思想も生きているとも言える。

しかし、その私の世界とはとおーく離れた場所がこの地球上にあるのだ。
イエメンはまさしくそれを目の当たりにできたと言う意味でダントツNo.1だった。

同じイスラムのインドネシアでは感じなかったこの感覚。
宗教だけが理由ではないのだなぁ。

東南アジアを旅行した中では、当時はまだ日本人というと
「お金持ち」
「テクノロジーが進んでる」
「原爆投下後に目覚ましい経済成長を遂げた」
「アジアの雄」
的なイメージがあって
「日本すごい 日本は素晴らしい 羨ましい」
という感覚で接してくれていたことを感じていたと。

ところがイエメンではそれは違った。

親日国ではあったが、あまり上記の理由を感じなかった。
「原爆投下後の経済成長すごい」はあったが、それに加えてアメリカに投下されたにも関わらずそれを克服した、という枕詞も付いていたと思う。

しかし、彼らの中で、経済成長至上主義はあまり感じなかった。
イエメンは「幸福のアラビア」と言われていたが実態は当時もアラブ最貧国。周囲の石油がっぽがっぽの国とは違い、また長く内戦の影響も受けていて、観光資源はユニークだけどインフラ共々活かしきれてなかった。

豊かさを求めていたとは思うが、彼らはそういう目に見えるものではないところに別の価値を持っていたように感じている。

うまく言えないけれど、自分たちとは違うベクトルの中で生きている世界がまさしくここにある、と、思ってそれがとても新鮮な経験で、毎日楽しく街歩きをしていた。

上記の写真は、当時のレバノンの情勢を受け、イエメンの街中で見かけた風景のひとつ。
ヒズボラの指導者ナスララ氏のポスター。

思わず
「He is Mr. ナスララ!」と叫んでしまい、
「そうだよ、ポスターいる?」
と聞かれたが、成田空港で捕まりそうだから丁寧に断った。

本当にいろんなことを感じて大好きな国イエメンにまた行きたい。
平和が戻ったらすぐに向かうと思う。

私の中ではイエメンでの毎日の経験すべてがものすごいドラマだった。

どうか、早く終わってほしい。いろいろな不幸が。

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