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遠いところからやってきたはずなのに、この場所さえもすでに懐かしく感じる。いまここにある…

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遠いところからやってきたはずなのに、この場所さえもすでに懐かしく感じる。いまここにある言葉をそよかぜのように置くばしょです。

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そよかぜのように

遠いところからやってきたはずなのに、この場所さえもすでに懐かしく感じる。 具体性であればあるほどにリアルで、抽象的であればあるほどに妄想に近い。右を見ても左を見てもリアルの鉄格子だから、そんな風に苦しく感じてしまう。 エッセイがどれだけ便利だろうと思ってきた。 じぶんの想いを自由に綴る。けれど、実名というのは怖いもので、じぶんを守るものは何もない。嬉しいことも全部受け止めてきたからこそ、悲しいことも苦しいことも全部受け止めなければならない。 リアルな鎖につながれた場所

    • このもやもやの正体

      一度、不信感を抱いてしまってからは、すべての行動に迷いと躊躇いが生まれるようになってしまった。 一度、生じた迷いは消えることがなく、判断の早さに自信があったものの、今ではもう。 久々に言葉を書いてみたら、するすると書けることなんてなく、何を書くにも指摘が入ってくる。 毒されている。判断が鈍る。一度してしまった失敗は一生ちらついてはつきまとう。フットワークが軽いとはとてもではないが、程遠い。 ※※※ いま軸足を置いている場所とは徐々に価値観が合わなくなっている。大切に

      • つくることは、向き合うこと

        何か具体的にこんなものをつくりたいというよりも、ただつくっている状態でいたいと思う。 つくることは何かに向き合うことで、その向き合うを手にしたくて、つくる。ただ遠いところに行きたいのではなく、旅をしたくて結果的に遠くへ行くことになる。 目的と手段。そう考えてみると、若かりし頃の「自らの手でよりよいものをつくりたい」という願望はほぼなくなった。 自らが手がけた案件の大きさやつくったものクオリティから、誰かに届き賞を得たなどの結果には、全く興味がない。いや、昔はあった。けれ

        • 地続きに延びる、この道

          習慣は怖いものかもしれない、とふと思った。リモートでの働き方が便利になると、外に出るのが億劫になる。 10分でも散歩すれば気分転換になることはわかっているのに、なぜだか足取りが重い。こうなるのだとわかっていて手に取りに行くことに、つまらなさを感じてしまう。 習慣化すればするほどに楽になるけれど、それは予想の範囲内で埋め尽くされるだけなのだ。 ※※※ 例えば晴れていると天気予報で知り、コンビニに行くついでに空を見上げてみたら、青空が本当にきれいで。その足取りですこし川沿

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        そよかぜのように

          ささやかな晴れ間の影で

          この無気力感はなんだろう?とここ数日、頭を悩ませている。 現場でなんでも屋として、多大なる時間を投下してバリバリと回していた過去は遥か彼方。いまはプロデューサーとして一歩引いた視点から、俯瞰して物事を見ている。 選手のようにプレイをしているわけではないのだから、恐らく実感は薄い。 自らの手を動かすことなく人を動かしているのだから、役割としてはモチベーター=動機づけをする人なのかもしれないと、急に腑に落ちた。 ※※※ そう、実感がない。 PCを駆使して段取りをとり四

          ささやかな晴れ間の影で

          お互いさま、のその先

          楽をさせてもらえるのは、お互いの苦労を知っているから。 信頼できない相手とはなんだろうと紐といてみると、隙が見せられないことなんだと腑に落ちた。そこには楽なんてなくて、はたまた楽しいを共有できる訳はなくて。何、勝手に楽しんでんだよ?と思ってしまい、いっしょに楽しもうとさえ思えないこと。 目の前に出くわしたほんのちょっとの違和感を確かにしてみると、対岸の感情が浮き彫りになる。「信頼できない」と向き合うと「信頼できる」が露わになるように。 ※※※ スポーツで考えてみるとシ

          お互いさま、のその先

          信頼のゆくえ

          忙しくなればなるほどに、余裕をなくし、人にぶしつけな態度をとってしまう。事実をじぶんの都合のいいように解釈しては、まるで被害妄想のように周りを悪く言う。しかも直接本人にではなく、間接的に。 そんな失敗はじぶんも思い当たるけれど、失敗を繰り返すたびに人を悪く言うのはよくないと反省して以来、そんな行いはしていない。 というよりも、そこから信頼がなくなっていくことに気づいたからだ。 ※※※ こんなことを振り返っているのも、他人からじぶんに対して同じような態度をとられたからで

          信頼のゆくえ