そよかぜのように
遠いところからやってきたはずなのに、この場所さえもすでに懐かしく感じる。
具体性であればあるほどにリアルで、抽象的であればあるほどに妄想に近い。右を見ても左を見てもリアルの鉄格子だから、そんな風に苦しく感じてしまう。
エッセイがどれだけ便利だろうと思ってきた。
じぶんの想いを自由に綴る。けれど、実名というのは怖いもので、じぶんを守るものは何もない。嬉しいことも全部受け止めてきたからこそ、悲しいことも苦しいことも全部受け止めなければならない。
リアルな鎖につながれた場所から、じぶん自身が深呼吸をできるようにこの地を選んだのだから、追跡されない程度の余白は持っておきたい。
じぶんを救うために、この「書く」行いを選んだのだから。リアルと妄想の狭間で揺れ動く、創作をはらんだ行いでありたいのだ。
※※※
ずっと、泳ぐことが苦手だった。
海の中は青く深く静かで、孤独だった。外界から切り離されて、ひとりぼっち。だからすぐに顔をあげて、みんながいる世界へと顔を出す。ひとりにしないで、ひとりにしないでと。
手をつないでくれていた両親がいないと、いっしょに遊びに来た友人の姿が遠くに行ってしまうと、寂しくてたまらない。
ひとりで戦うことは強さだから。たくましさと生きる知恵とを兼ね備えて、ぐんぐんと進んでいく。
だからこそ、ひとりで進めなくなったときが、もろい。
いつも前に進めるわけじゃない。そう捉えると、強い人と弱い人がいるのではなくて、強いじぶんと弱いじぶんがいるだけのこと。
そんなことに気づいてからは、弱いじぶんが安心して泳げる場所が必要だった。二重人格のかたわれだから、とても繊細で、強いじぶんと裏表であることを知られたくもない。半ば妄想で、半ば創作で、書きながら存在の輪郭を露わにしていく。
※※※
読者がいるかなんてわからなくて。
つい多くの人に見られたいと、フォロワーをと追い求めてしまうのも悪い癖で。もし、人が増えれば増えるほどにひとりひとりを大切に思えなくなってしまうのならば、本当に読んでほしい人に読んでほしいなと思う。
こうして何かを新しくはじめるのは、息抜きをできない、いまここにある弱い気持ちを大切にしたいから。
前向きな一歩だけではない。苦しさから抜け出すための一歩だってある。
弱いじぶんをここに置いておく。
そうしたら、強いじぶんが冷静に見たときに優しく声をかけてあげられるかもしれないから。その差しのべる手をどこに出せばいいかがわからないだけだから。
カウンセリング、コーチング、メンター、それらすべてを外注しなくても、ほんの少しだけ担ってみてもいい。
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