ささやかな晴れ間の影で
この無気力感はなんだろう?とここ数日、頭を悩ませている。
現場でなんでも屋として、多大なる時間を投下してバリバリと回していた過去は遥か彼方。いまはプロデューサーとして一歩引いた視点から、俯瞰して物事を見ている。
選手のようにプレイをしているわけではないのだから、恐らく実感は薄い。
自らの手を動かすことなく人を動かしているのだから、役割としてはモチベーター=動機づけをする人なのかもしれないと、急に腑に落ちた。
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そう、実感がない。
PCを駆使して段取りをとり四方八方からの連絡を返そうが、WEBサイトという画面内で完結する設計図を書こうが、どこか手触り感がない。
リモートワークだからか、はたから見たそれは、きっと働いていない人とも捉えられてしまうほどに。
誰かをモチベートするということは、誰かの気持ちを中心に寄り添うことだから、じぶんは置き去りで。
そうなればなるほどに、じぶんでないといけない仕事もなくなり、ものづくりもなくなっていく。
組織として、チームとして、誰かに依存しない体制は目指すべきところだけれど、そうしてじぶんの心を暗闇の奥底にしまい込むのは、本当に正しいのだろうか?と思う。
組織やチームのためであれ、じぶんのためなのだろうか?と思う。
じぶんでなくてもよい環境。あなただからこそと言われない環境に、気がついたら迷い込んでしまったのかもしれない。
※※※
そんな危機感をどうにか解消したくて、ここに言葉を綴っては、見える形で残しておく。これも、ものづくりの一種だと思うから。
一方で幸運なことに、じぶんだからとお願いしてくれる人がいる。スキルがあるから?目に見えたアウトプットや役割があるから?
もはや、そんなこと、どうでもいい。もしかしたら、理由なんてないのかもしれないし、きれいに説明できる動機すらないのかもしれない。
戦士や武闘家という目に見える共通尺度としての役割じゃなくて、じぶんそのものの存在を見てくれている感じ。
こんなにありがたいことはないし、ありがたいと気づけたのは、今がどこかどんよりともやがかかっていたからなはずで。
じぶんでじぶんを認めて定義することに疲れてきたのかもしれない。客観的に認めてほしいのは、ぜいたくなのかどうなのか。
けれど、いまほしいものは、間違いなくそれなんだと思う。
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