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お互いさま、のその先

楽をさせてもらえるのは、お互いの苦労を知っているから。

信頼できない相手とはなんだろうと紐といてみると、隙が見せられないことなんだと腑に落ちた。そこには楽なんてなくて、はたまた楽しいを共有できる訳はなくて。何、勝手に楽しんでんだよ?と思ってしまい、いっしょに楽しもうとさえ思えないこと。

目の前に出くわしたほんのちょっとの違和感を確かにしてみると、対岸の感情が浮き彫りになる。「信頼できない」と向き合うと「信頼できる」が露わになるように。


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スポーツで考えてみるとシンプルかもしれない。信頼できない相手と組むと、気疲れをし、無駄なことに時間をとられ、とても楽なんできない。

心を許していないからか、油断ができなくて、頼ることもできない。

そろそろ人間関係というものは、出会って初めてのコンタクトで相性がわかるようになってきたと思う。仕事というお願いごとの場ならなおさら、人の本性が出る。

向こうの無理を受け入れ、こちらも無理をしたことに感謝をしてくれ、恩の相乗効果が起きることもあれば、相手の弱みを利用するだけ利用する人だって。

そんな中で最近、楽をさせてもらっていると感じられるのは、同じように誰かが楽になるように、じぶんが動いているのだと気づけたから。

平等なんて言いたい訳じゃなくて、人の痛みに寄り添った分、じぶんの痛みに寄り添ってもらえたか?そんなシンプルな答えなんだと思う。


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外見で人を判断しないようにはなれたと思うし、肩書きや年齢や所属する会社で人を判断しないようと意識もできてきた。

でも肝心なのは、その人が楽しそうにしているか?同じように周りの人に楽しそうにしてもらいたいと思っているか?なんだと思う。

ここから、じぶんだけの都合でなく周りの人の都合も許容できる人格が生まれるのだし、だからこそ人のことも悪く言わない。

自己中心的なのはベースとした上で、他己中心的な視点も持ち合わせている状態。

剣道や合気道のように人との関わり方にだって道があり、それこそ哲学だとするのならば、この考えを携えて、すこし歩いてみる。




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