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このもやもやの正体

一度、不信感を抱いてしまってからは、すべての行動に迷いと躊躇いが生まれるようになってしまった。

一度、生じた迷いは消えることがなく、判断の早さに自信があったものの、今ではもう。

久々に言葉を書いてみたら、するすると書けることなんてなく、何を書くにも指摘が入ってくる。

毒されている。判断が鈍る。一度してしまった失敗は一生ちらついてはつきまとう。フットワークが軽いとはとてもではないが、程遠い。


※※※


いま軸足を置いている場所とは徐々に価値観が合わなくなっている。大切にする想いやつくって生み出すものや目指す未来、そのどれもが合わない。

いや、すべて古く感じる。一度は考えたことのあるアイデアのひとつにしかすぎず、しかも決めたと思ったら実現しようともせず、いとも簡単に諦める。

ましてや責任者と任命されたその人の責任となり、都合が悪くなると、切り離される。これが組織で言うところの損切りだろうか。

そんな中で、自分が決めたことには執着しろよと思ってしまうのは、だって現場でその教えを培ってきたから。

依頼を受けてベンチャー企業やサービスのビジョン/ミッション/バリューを本気で考えて向き合っては、形にしようと努力する。

例え頼まれごとだろうと、向き合っているうちに本気になって熱くなってしまうのが楽しい。夢中になるとはまさしくこのこと。

なのに、自分が軸足を置いている場所では、そうはいかない。こんな事実に納得がいかなくなってきた。恥ずかしささえ覚えるようになってしまった。

やはり、ひとつの場所において、権力をもち決定権をもった人が推進していくのだから、何も言うまいとは思っている。

けれど、今に始まったものではないのだし、もうそろそろ我慢ができない。


※※※


得るものはある。わかっている。わかっているからこそとても冷静で、だからこそもう愛情なんてものは、その場所にはない。

何かを得るまでの辛抱と考えると、途端に楽になった。そうか、脱出ゲームか。脱出するという目的が決まった瞬間に、すべてはプラスに捉えられる。

選択と集中。

選びきれずにすべてにリソースを割いて全力でやり続けることにも限界が来る。いや、今がそのときだ。

選ぶ重さが必要だから、判断に時間がかかる。この迷いは、決断にとって必要な余白なんだと思う。

そう、もやもやすること自体は悪くない。

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