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未来の自分、の話。

現在、学生生活18年目を迎えている私は、
来年から、社会人と呼ばれる類の人になる。

ついに18年間の学生生活に終止符を打つのだ。
学生生活が終わるのはなんとも感慨深い。

次章が始まるような感覚。
ワクワクとドキドキを行ったり来たりしているような、
そんな気持ち。


私は来年から、先生になる。


先生を目指したきっかけは、
高校時代の先生方への感謝と、
他に惹かれる職がなかった、の2点。

もちろん子どもは好きだし、
教えることも好き。
一般的な先生を目指す理由はある程度
網羅してるつもりではある、と思ってる。


先生方への感謝というのは、
高校時代の先生方が
自分に真摯に向き合ってくれたのが印象的だったからだろうか。
いいなあ、と思った。
こうなりたい!と思った。

あとは、先生方が好きすぎて、
この人たちと一緒に働きたいと思った。


他に惹かれる職がなかったというのは、
なかったわけではないが、いざ自分の学力と行ける大学と、本当になりたいのか、ということを考えたときに、

よく分からなかった。

私も長いこと夢ややりたいことが見つからなかった人間だから、その辺の気持ちは分かる、と思っている。


教員採用試験では一丁前に
こんな子どもを育てたい、
こんな先生になりたい
と目を輝かせながら話していたのに、

よくよく振り返ってみると、
なんとも間抜けなきっかけだ。


高校の先生になりたかったのは、

社会の一歩手前の存在だから
意思疎通ができる年代だから
面倒見があまりよくないから
高校時代の先生が好きだったから。


良くも悪くも子どもの人生に影響を与える。

それが先生の存在。


私は恵まれていたから、それなりにいい方向に導いてもらった。

けれど中には、
先生が嫌いだった、大人が信じられない、
という思いを抱いてしまう人もいるだろう。


だから私は、
子どもの人生を豊かにできるような
そんな先生になりたい。


そして社会に出た教え子が
いつでも帰ってこられる居場所
としての存在でありたい。


自分の足で立って、
自分の力で歩める子どもたちを育てたい。

自分の力というのは、周りを頼るということももちろん含まれていて、誰しも自分一人の力では生きていける世の中ではないからこそ、そうやって歩んでいけるように。


もし忘れてしまうようなことがあったら
憶い返してね、未来の私。



otete







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世間一般から見た先生、
と呼ばれる人のイメージは、
明るくて、人と話すのが好きで、

みたいな。

私もどちらかというとそっちよりの人間。

目立つのも上に立つのも好きだった。
真面目に課題には取り組むし、
先生ともうまくやっていた。


だから何だっていうと、
やっぱりそういう環境で生きてきた人たちには
理解しがたい世界があるということ。

子ども一人ひとりを理解する上で
忘れずにいたいと思う

自分の物差しで考えない、ということ。

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