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平成8年生の 遺書、のようなもの。🌻 https://www.instagram.com/tm_158cm/?hl=ja

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遺書、のようなものです。 たとえいつ死んだとしても、 自分の想いが誰かの心に届くように、 大切な人たちに伝えたかった言葉を 言いそびれた、なんてことのないように、 ここに記しておく そんな感じのものです。 死んだ後のことを考えるのは、 ナンセンスでしょうか?🌻

    • 暫しお休み🍵 みなさまの日々が、 変わらず愛で溢れていますように。

      • 心と、余裕。

        自分の心に余裕がないと 自分を愛することも、 人を愛することも、 できないから いつも心に余裕をもつことを心掛けている。 心掛けてはいるものの、 私も人間なので 余裕がなくなってしまうときもある。 自分のキャパシティを 自分自身が超えてしまったとき 自分のことも疎かになり 相手のことも考えられなくなる そんな自分だけは嫌いだ。 自分のキャパを知っておくことは必要だ と思うが、 そんなのいくら考えても分からないよな~ とも思う。 そういう難し

        • 大切な人たちへ綴る、言葉。

          たとえいつ死んだとしても 大切な人たちに伝えたかった言葉を 言いそびれた、なんてことのないように ここに手紙として、大切な人たちへの想いを綴ることをnoteを始めるときから決めていた。 ゆっくりではあるが、個人宛てにもこっそり綴れたらいいな、と思っている。 さて、 私は、自分の人生が楽しくてしょうがない と想っているのですが、 これは、確実に、 出逢えた人たちのおかげなのです。 ここまで育ててくれて いつでも私の味方でいてくれた 家族を始め、 自分がしん

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        遺書、のようなものです。 たとえいつ死んだとしても、 自分の想いが誰かの心に届くように、 大切な人たちに伝えたかった言葉を 言いそびれた、なんてことのないように、 ここに記しておく そんな感じのものです。 死んだ後のことを考えるのは、 ナンセンスでしょうか?🌻

          私は、私の人生が楽しくてしょうがない。 ふと、憶ったので、 自分の中では大切にしたいことなので、 そっとここに記しておきます。

          私は、私の人生が楽しくてしょうがない。 ふと、憶ったので、 自分の中では大切にしたいことなので、 そっとここに記しておきます。

          未来の自分、の話。

          現在、学生生活18年目を迎えている私は、 来年から、社会人と呼ばれる類の人になる。 ついに18年間の学生生活に終止符を打つのだ。 学生生活が終わるのはなんとも感慨深い。 次章が始まるような感覚。 ワクワクとドキドキを行ったり来たりしているような、 そんな気持ち。 私は来年から、先生になる。 先生を目指したきっかけは、 高校時代の先生方への感謝と、 他に惹かれる職がなかった、の2点。 もちろん子どもは好きだし、 教えることも好き。 一般的な先生を目指す理由はある程度

          未来の自分、の話。

          だから私は、人生とは 運と縁とタイミングだと思っていて、 努力はほんのちょっとでいいのだ、と。

          だから私は、人生とは 運と縁とタイミングだと思っていて、 努力はほんのちょっとでいいのだ、と。

          頑張れば、必ず成功する。

          そんな世界ならいいのに、ね。 それなら 泣き言、繰り言、文句のひとつも言わずに 頑張れますよ。 高校時代の恩師の座右の銘は、 「為せば成る」 私もこの言葉が好きだ。 本当に何でも叶いそうな気がするから。 努力すれば報われる そう信じていた。 でもやっぱり、どんなに頑張っても 良い結果を出せないこともある。 悔しさだけが募ることもある。 なんでアイツばっかり、って他人を羨むこともある。 憶い返せば、 どんなに練習しても、部活で結果は残せないし どんなに勉強しても、

          頑張れば、必ず成功する。

          いつか憶い返したときに 笑える人生がいいと思っている。 喜怒哀楽がたくさん詰め込まれている ストーリーの方が 憶い返したときに笑えるって そう、思っている。

          いつか憶い返したときに 笑える人生がいいと思っている。 喜怒哀楽がたくさん詰め込まれている ストーリーの方が 憶い返したときに笑えるって そう、思っている。

          恋を落とした、時の話。

          恋とやらを、落とした。 失ってしまうのはなんだかかわいそうなので、 落とした、くらいにしておく。 一方的に渡してしまった パンパンに空気の入った風船が、 虚しく宙を舞うように見えた。 そんな、少し昔の話。 あと一歩のところで、両想いだった。 いや、既に両想いだと思っていた。 涙が乾いた頬に触れ、 うまく笑えないそんな自分を見て、 久しぶりに恋というものをしていたのだな と気づかされた。 何とも後味の悪い失恋エピソードを 自分を棚に上げて未練たらたら、つらつらと残し

          恋を落とした、時の話。

          言葉は最大の、武器。

          言葉について考えるようになったのは、ごく最近のこと。 安部広太郎さんの『超言葉術』を読み、 言葉は最大の武器だなと感じ、 人に届けるときは、丁寧に言葉を選びたいと思念した。 言葉を綺麗に紡げる人が好き。 尊敬の域を優に越している。 いや、もはや愛。 綺麗というのは、文章がうまいということももちろんであるが、加えて、 魂、想いが伝わってくるということでもある。 表現者だ。 誰かの心を動かすことの手段は世の中にたくさん溢れている。 写真、絵画、小説、音楽、… 自分の

          言葉は最大の、武器。

          宙に、舞う。

          失ってからでしか気づけない、 という言葉があるように 事が起きてからではないと学べないなんて、 遣る瀬無い。 私は、死にたいと思ったことはないし、 これから先も思うことはない。 このnoteを遺書のようなものだと言いながらも 100歳まで生きるつもりでいる。 私のように死を選択したいと思ったことのない人間に、 死にたいと思う人の気持ちを100理解できるわけがないのは承知の上だ。 その人が抱く痛み、苦しみ、悲しみ、憎しみ、憤り、は計り知れない。 むしろ気安く、分かるよ

          宙に、舞う。

          相手の立場に立つ、ということ。

          小さい頃から大切にしてきた教訓の一つ、 のつもり。 ただ、本当に相手の立場にならないと分からないことの方が多くて、 寄り添うって難しい、 そんなことを考えた日の話。 自分だったらどう言葉をかけてもらいたいのか、どう背中を押してもらいたいのか、 そういうことを考えながら、人の話を聴くようにはしている。 でも結局それは、自分基準の話であって、 本当にその相手が求めているものではないかもしれない。 私が生きた24年間は、 特段荒波があったわけでもなく、 ほぼほぼ順風満帆な生

          相手の立場に立つ、ということ。

          シンプルな言葉、の矛盾。

          「ゆで卵を作ろう」 そう意気込む間もなく 卵を落としてしまったそんな日のこと。 床に寝そべっていたキミが、 悲しそうにこっちを見るから 少し胸が締め付けられる気分だった。 「ごめんね。」 シンプルな言葉はいつだって、 声にして届けるのが難しい。 ごめんねも、ありがとうも、 好き、も。 いつの間にか、 思っていてもそれをすぐ言葉に変換するのが苦手になっていて、一回頭で考えるという行為を挟むようになっていた。 大人になったなりに、慎重さというものを手に入れたのだろう

          シンプルな言葉、の矛盾。

          輝らす、って意味のハナシ。

          私は、自分の名前が好きである。 私の名前には、「輝」という漢字が使われている。 輝きに溢れた人生を、 自分が輝ける生き方を、 そんな願いが込められているんだと思う。 最近になって、ある友人のおかげで、 もう一つの意味を見出すことができた気がする。 それは、友人から届いた一通のLINEがきっかけである。 「またあなたに道を輝(て)らしてもらった。」 そこにはそう綴られていた。 私がその友人にかけた言葉は、 何気ない一言のつもりだった。 でも受け取る側にとっては、

          輝らす、って意味のハナシ。

          見方を変える、ということ。

          兄からもらった中古のカメラ。 旅行に行くときに持っていっては、 いいな、と思う景色を撮る。 私にとってカメラは、それだけのものだった。 世の中がこんなことになるまでは。 「Stay Home」 ただちょっと退屈なだけだった。 見えない何かに生活が縛られているようなそんな感覚。 一歩も外へ出ない生活に飽き飽きし、 ソファに転がりながら スマホのカメラロールをスクロールしていた。 そのとき、目に留まった2枚の写真。 白黒の写真と彩度を上げた写真。 同じ2枚の写真、だ

          見方を変える、ということ。