☆感覚とサインと敏感さ★
約1年半前、いままでの自分が一度崩れたことで、
「自分には向いていなかったであろう道に進もうとしてた」のを、自分の身体が気づかせてくれたのかもしれません。
ほんの少しでも心の違和感、身体や感覚のサインを察知したときに取る選択肢は2つ。
ひとつは、自分の心の感覚や身体のサインを察知した事実に蓋をし、結果的に見て見ぬ振りをするという選択。
もうひとつは、些細なことでもスルーせず、ちゃんと気にする。向き合う。
そのうえで、時間がかかっても事態の改善・解消に努めようと問題を追求するという選択。
選択するときに肝となるのは、
[短期的に見るか、長期的に見るか]という視点の高さだと思います。
トーナメントと似たようなものです。
後になればなるほど、対峙する相手は一筋縄ではいかなくなる。
後回しにするほど、ハードルが高くなる。
エネルギーも時間もかかり、倒すのが厄介。
自分で自分に蓋をした状態で先に行こうとしても、なかなか思うように進まないと思います。
一見、短期的には進んでいるように感じられても、
長期的には「まったく進んでいなかった!」ということがよくあります。
一度それに気づくと、短期的な選択肢では、まるで泥沼の中を進んでるみたいに足が重たく、
「365日のマーチ」のように3歩進んでも2歩下がるような進行速度に感じるでしょう。
1歩進めば、1歩進む。
この当たり前に感じる速度を緩めたくないのなら、もっと自分に敏感になりませんか。
自分の敏感さを蔑ろにするのはもう、やめにしませんか。
自分は周りと比べて敏感だ、と思う人ほど
自分の敏感さに蓋をするのは、もうやめましょうよ。
お願いします。
自分に甘くいてください。
甘くてもいいじゃないですか。
その分、ゆとりを持って自然と人にも甘くできます。
人に甘くできるなら、自分にも甘くできるはずです。
謎の一般論や、思い込みという名の価値観。
「〇〇さんがそう言っていたから」という、言っていたその人に合った意見。
これらによって、自分が苦い思いをする必要も、人に苦い思いをさせる必要もありません。
ps.
敏感であるほど、大ごとになる前にいち早く気づき、被害を最小化できるインターバルが人よりも多く与えられる。
自分の敏感さがまたイヤになりかけてたいま、
「自分が敏感で良かったな」と、この記事を書いていて改めて思えました。
〆
[ 完読.ありがとうございました ☆★ ]
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