最近の記事

柴犬らぶな日曜日

いつもインスタでみている柴犬ちゃんが久しぶりに遠くに住んでる家族が帰ってきたようで大興奮でお出迎えしているのをみてこちらも嬉しくなった。 嬉しいと飛行機耳になるの可愛すぎる。 全体的に弾丸みたいなフォルムになって、ロケットのようなスピードで空間全体を走り回ったり、くしゃみめっちゃしたりする姿、愛くるしいとはこのことです、となる。 あなたのおかげでぐだぐだ日曜日が一気にハピネスになったよ。ありがとう。 休みのたびに思うけど、朝昼と寝ても夜になると眠くなるの不思議。 何に疲れ

    • 自分を不自由にしていたのは自分自身だった

      小さい頃の記憶がある人とあまりない人がいるとしたら、わたしは結構記憶がある方だと思う。 おなかの中にいる頃の記憶はないけれど、幼児期以降のことで覚えていることはちょこちょこある。 これまで唯一明確になりたいと思った職業は漫画家。 ちなみに小学5年生の頃に転校してきた子がものすごく絵が上手で、わたしはこの子に敵わない、と感じた時から、自分の限界を感じてしまってその夢は散ってしまった。 今は小さい頃の自分には思いもよらなかったことをやりながら、なんやかんや楽しく生きている

      • 日曜日あっという間すぎる

        あー、なんだか力が出ない〜… 今日はそんな日だった。せっかくの日曜日、おやすみなのに。 おやすみだからそんな日があってもいいんじゃない。 そうなんだけどさ。 そうなんだけどさぁ〜 山にはもう雪がかかっていて、いよいよ冬が近づいているな。 最近寒くなってきた。風邪をひきたくないからあったかくする。 お昼からビールとカレーを食べて、洗濯もして、お風呂も入った。 こうやって書いてみるとめちゃくちゃ上出来じゃん? 終わっていない仕事が気になっている? それはもう明

        • ただの今日嬉しかったこと

          ドラマ・極主夫道が面白かった。 面白い作品に出会えた喜び。うれしい。これから毎週この楽しみがあるんだ。幸せ。 画が全部好きな感じ。絵になる人って本当に憧れる。 定時に出勤できたこと。 (裁量労働制なので、そこらへんは融通が効く分、つい遅め出勤、遅め退勤になってしまう日がしばらく続いていた) しかも車じゃなくて自転車で通勤したからさらによい気分。 まじで運動不足過ぎるので、いいことをした気分になった。 自分の中の不安をみていったときに、自分の中で思う存分かみ砕いて味わい尽く

        柴犬らぶな日曜日

          「お金を得ること」と「お金のとらえ方」はつながっている

          「お金が欲しいですか?」 それに対する答えは様々だろう。 先日「いまの収入について満足しているか」を考えたときに、自分の現在の収入は、月にこれくらい本当は欲しいと浮かんだ額の5~6割だった。 その後、自分の中に「お金を得る」には、「自分自身に価値があること」が大切だという考えがあることに気がついた。 例えば、誰かの力になるような仕事やパフォーマンスをするなど、自分の生み出した価値に対する対価としてお金がもらえる、というイメージだ。 正直、わたしはまだまだ半人前だと感

          「お金を得ること」と「お金のとらえ方」はつながっている

          やればいいやんという話

          noteを放置して数か月がたち、夏の予感がする季節からあっという間に夏真っ盛りを過ぎ、9月となった。 20歳になったときに、母が「20代はあっという間、30代はビューンと過ぎて、40代はもっとビューーーン、50代になってからは記憶がない」と言っていたのを思い出す。 20代後半にしてもうビューーーンな気がする。 当たり前の時間が実は有限であることを実感している人は世界にどれくらいいるんだろう。 日々を生きているとそんな事実も忘れてしまう。もしくは気づかない。または知らない。

          やればいいやんという話

          5月の振り返り

          前回意気揚々とnote活はじめます!といってあっという間に1週間。 早速マイペースさがでてしまった(1週間で済んで大したもんだとも思っている)。 5月があっという間すぎてびっくりしている。でもきっとたくさんのことがあったので振り返ってみよう。 ・今月からオンラインの仕事が本格的に開始 ・両家顔合わせをZOOMで実施 ・両家顔合わせ資料をつくるにあたり、父の好きな食べ物がとろろごはんであることを初めて知る ・入籍 ・職場でばんざーい!と祝わってもらう ・実家で犬

          5月の振り返り

          はやく人間になりたーい!

          アウトプットが苦手だ。 苦手、というか、そんなに表出するタイプじゃない、という言い方の方が正しいのかもしれない。 そんなわたしは仕事で教えるということをしている。このご時世なのでオンライン化が進んでおり、今まで対面で伝えていたことを、動画にまとめて視聴してもらうということをここのところ行っている。 その中で気がついたこと。 わたしの話には血の気がない。 知識を伝えることに精一杯で、そもそもその知識が自分のものになっていないから、上っ面をなでているような、無機質な話に

          はやく人間になりたーい!

          ぎりぎりな自分が許せないわたしへ

          わたしは、メールなどの返信がスピーディーな人や、締め切りに余裕をもって提出物を出す人へ対する憧れがある。 何故ならわたしは大体ぎりぎりだからである。 24時間営業の郵便局の近くに住んでいた時は、当日消印有効の郵便物を23:30過ぎに駆け足で出しに行き、「これって今日の消印になりますかっっ」と窓口の人に念押しして、さらに局員さんが当日の消印を押したのをそっと確認したうえで、「あぁ、今回も何とか間に合った…でも次回は余裕をもって取り組もう」とほっと胸をなでおろして帰路につく、

          ぎりぎりな自分が許せないわたしへ

          好きになった人が父と似ていた話

          わたしには3年と少し付き合っている彼がいる。 彼はわたしの父と似ているところがある。一つは身長である。 彼とまだ付き合う前、2、3回目のデートの時に身長の話になった。 彼の身長が父と同じ179㎝と聞いた時、なんだか嬉しかった。 少し違ったのは、彼は自分の180㎝まであと1㎝足りない身長をちょうどよいと思っていて、父はわたしが高校生になるまで「お父さんの身長は180㎝だ」と盛っていた点だ。 高校から帰ってきてダイニングテーブルの上におかれた父の健康診断結果の用紙に、身長

          好きになった人が父と似ていた話