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自分を不自由にしていたのは自分自身だった

小さい頃の記憶がある人とあまりない人がいるとしたら、わたしは結構記憶がある方だと思う。

おなかの中にいる頃の記憶はないけれど、幼児期以降のことで覚えていることはちょこちょこある。

これまで唯一明確になりたいと思った職業は漫画家。

ちなみに小学5年生の頃に転校してきた子がものすごく絵が上手で、わたしはこの子に敵わない、と感じた時から、自分の限界を感じてしまってその夢は散ってしまった。

今は小さい頃の自分には思いもよらなかったことをやりながら、なんやかんや楽しく生きている。


幼稚園の時に人生で初めての大親友ができた。その子の家に遊びに行って、初めて『地獄先生ぬ〜べ〜』を読んで、世界にはこんなに面白いものがあるのか…!と衝撃を受けた。その子が将来は漫画家になりたいと教えてくれたのがきっかけで「漫画家」という職業を知った。

わたしもこんな面白いものを創り出したい!描きたい!

それが「漫画家になりたい」と思ったきっかけだった。

ぬ〜べ〜はお化けが出てくる結構ホラーな描写もある漫画で、正直怖くてみた後はしばらく1人で夜の廊下に出れなくなったり、お風呂の鏡に自分のドッペルゲンガーが映っていたらどうしよう、、と鏡を見るのが怖くなったりと生活に支障もあったけれど、それ以上に夢中になっていた。

小学校に入ってからも好きなキャラクターがでてくる漫画を自由帳にたくさん書いていた。

でも、その絵や漫画をみせられるのは、本当に心を許していた大好きな友達1〜2名だった。それ以外の人にはみられたくなくて、隠しながら描いていた。

なんでみられたくなかったのかなぁ。

「こういうものを書く子」としてみられるのが嫌だった?

からかわれたり、馬鹿にされるのが嫌だった?

そんな反面、描いた漫画や絵を惜しげなくいろんな人にみせたり、それで賞賛されている子をみると「わたしだって」と嫉妬していた。


あぁ、そうか。

人に軽視されたり、小馬鹿にされるのが嫌で怖かった自分こそが、

無意識にそんな人たち(やりたいことを思いっきりやっている人、自己表現をしている人、夢に向かっている人)を軽視したり、小馬鹿にしている部分があったんだ。


軽く自分に絶望。いい意味で。


大人になった今でも、

好きなものを「好き!」と堂々と言える人、

SNSで自分のことをシェアできる人、

堂々と自己表現をしている人、

「すごいなぁ」と思う裏には尊敬と羨望からくる嫉妬、よくやるなぁというどこか上から目線、自分にはできないという決めつけ、たくさんの心理が詰まっている。


本当は眩しくて、羨ましくて、自分もやってみたいのに。

自分を不自由にしていたのは自分自身だったんだ。


なんだか腹黒と言いますか、自分、ちっちぇえなぁと思う部分なんだけど、これからもっと自由に生きていくから忘備録として残しておこう。

これはきっと大切な一歩。

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