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初投稿 夢を諦めるという勇気

夢半ば、私は疲れきってしまった。

「 ハイ!私、もう辞めます! 」

なんて行って、飛び出して、新天地で何かを始める勇気もなくズルズルと引き摺り、いつしか引き返せなくなって、足取りは重くなっていく。
夢はどこで諦めとするのでしょうか。一度見てしまった夢を、ここでおしまいです、とピリオドを打つことって、人間にとってどれだけ酷なことか。諦めたら負け?叶わなかったら意味が無い?他人に対してはそんなこと1ミリも思わないのに、どうして私は、私にそんなことを思うのだろう。
21歳、夏。東京。ビルの隙間から覗く空はどんよりと曇っていて、あと数歩で堰を切ったように泣き出しそうな私と似ていた。私はなにかになりたかった。それは正直に言えば何でも良かった。背が高ければ、モデルを選んでいたかもしれない。顔が綺麗なら、アイドルや女優と言っていたかもしれない。文才があれば小説家だったかもしれないし、"何か"は何でも良かった。そして17歳の時、なんのきっかけがあった訳でもなく声を使った仕事をしようと決意する。昔から声だけは良かったし、早口言葉が得意だった。当時は幼児アニメを好きだという気持ちを捨てきれないでいてグッズを集めたりしていたけど、なにか流行っているアニメも特に見ていなかったし、どちらかと言えば無知であった。映画だって、吹き替えは苦手だったから、字幕で見ていたし。でも、なんか、私はこれになるんだって思った。憧れ、というよりも直感、に近しいものだと思う。後に、後押しする作品が出てきたり、尊敬する演技をする方ができたり、そんなんでこの"何となく"は輪郭を帯びたものになっていくのだけれど、この時は本当にただただ、何となくであった。でも本当に何でも良かったら、ここまでのたくさんの精神的苦痛に耐えられていなかったと思う。だから、なんでもいいと言う割にこだわりもあったのだ。そうと決めたら動かない私は、専門学校へ通うことを決意する。そこそこいい大学を志望して勉学に努めていたので、教師たちは顔色を変えて私の決断をどうにか阻止しようとしていた。今思えば、従っておけばよかった。学歴があった方がいいもの。学校に行きながら養成所に行けばよかったのに、その時はそれが正解だと思えなくて、多分、大人に反抗してみたいという気持ちでもあったように思う。専門学校は、コロナ禍であったから本当に何も無くスッと進んで終わった。貴重な経験をいくつかは出来たけど、それが唯一無二であるとも思えず、ただ2年が過ぎた。そして今、養成所に通っている。2年目だ。ラストイヤーだ。ラストイヤー、なんて言うとまるでM-1とかみたいでかっこいいね。でも、ラストイヤー、上手くいく兆しが見えません。2年目にして、話せる友人たちはほとんど居なくなった。別に、群れることは好きじゃないし、そもそもみんなライバルだし、私は1人でできる、と思っていたけど堪えるものはあるね。それと、明確な理由がもうひとつある。ちょっとこれは個人の特定に繋がる恐れがあるので明記はしないけれど、その事でかなり精神的に辛くて、レッスン場の近くに行くと、それはもう胃痛、そして胃痛からくる吐き気、腹痛、その他もろもろ、体調不良という体調不良全てが襲うのだ。どうにかこうにか足を運んでるけど、今度は辛くて熱が出た。こういうこと、どこか他人事に捉えてたのに。ストレスで熱が出るとか、腹痛が、とか。あぁ、これだったのか、と思った。もう考えることが嫌で、逃げ出したいなと思っていた矢先、知らない中年男性にわざとみたいにぶつかられて、買ったばかりのバッグのパーツを無くした。
合わない人はどこにでもいるよね、いるよね。わかってる。私が甘えているだけで、社会はもっと過酷ですよね。けど、こうもダメなのかなぁ。こんなことが続くと心が折れてしまう。私は大丈夫、大丈夫、とどうにか心を奮い起こして9月、私はとうとうダメになった。肺に13%くらいしか息が入っていない気がする。こんなに息って出来ないものだっけ。私はわざとらしく背を丸めていて、酷い猫背で、牛歩、という言葉がピッタリの速度だった。猫なのか、牛のなのか、一体何なのか。歩くのも辛くて、ビル群の隙間にある地元の木々よりだいぶ貧しい木陰のベンチに座った。こんなことで折れてしまっては、何にもなれないよ。何も手に入らないよ。社会でも生きていけない。多分、私は辛くない方だよ。多分ね。そうやって思えば思うほど辛くて、こんな悲劇のヒロインみたいな顔して座ってる私が弱くて、憎くて、また自分を嫌いになった。続けるって決めたのに、やめてしまっては弱い。たった4年、続けられない私は弱い。でも、辛いことを辛いと認めず、辞める勇気を持てない私も弱い。本当は辞める、ってその一言が言うのが怖いだけなのに。夢を見て来てしまったから、だから、その過去を否定するみたいで怖いだけなのに。少しの希望もなかったら、私は4年間も夢は見て来れなかった。少し、少しと、ちょっとずつあったから、ここまで来てしまった。否定する勇気もない、苦しむ自分を認められる力もない。だからといって、この先多分続けていても足踏みだろう。このままでは私が、心をなくして全てを嫌になってしまうだろう。そんな気持ちはなんとなくあって予測は着いているのだ。
夢ってなんて残酷なんだろう。そしてなんて美しいのだろう。多分、残酷だから美しいのよね。表裏一体だよね。でなきゃ、美しさなんてわからないもの。私はいつになったらピリオドを打てるのか、いつになったら弱い自分を認められるのか。21歳って、もうだいぶ大人だと思っていた。そうじゃなかった。大人って、みんな、大人なのかと思ってた。ちゃんと生きる、と、ダメになる、の間にはたくさんの生き方があることを知らなかった。あの日思い描いた私には少しもなれないけど、いつかこの日々を愛せるといいな。いつか自分の弱さを認められる強い自分になれたらいいな、そんなことを思う杪夏。

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