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2020年を生きるアーティストの彼は「それでも世界からアートは消えないし僕が残す」と言った

8月5日のYahoo!ニュースに、こんな記事が出ていました。

本業が減って制作時間が増えた人が多いようにも思えますが、現実としてはイベントの延期・中止、収入の減少、練習場所の制限といった理由から、アーティストを辞めたいと感じる人が増えたんだそうです。

「それでも世界からアートは消えないし僕が残す」(ニュアンス)

今のような時期に限らず、アーティストという立場は常に不安定なもの。さまざまな状況下でそれでもアートを続ける人々は何を感じているのでしょうか。

※先にお断りしますが、私はもの作りが好きなだけでアーティストではありません。そしてイベントからずいぶん経ってしまったため、ここに書くのはイベントに参加した上での私の考えであり、言葉の引用も私の解釈で変わっている部分があります。

御多幸マエストロ

私には、2人に分裂した知人がいます。社会人の「佐賀さん」と、現代アーティストの「ガチヲ・サンダース」です。ガチヲ氏を知人と呼んでいいのかは分かりませんが…2人はひとつの身体で、まったく別の人格として存在しています。

プロフィールがどこぞのサイトに載ったということで。

ガチヲ・サンダース Gachiwo Thunder’s(現代美術作家、御多幸マエストロ)
絵画、マンガ、パフォーマンスなど様々なメディアを組み合わせたインスタレーション作品を展開し、友情、恋愛、死など普遍的な人間の営みについて表現している。
近年では葛飾北斎、ゾンビ、イザナギノミコトなどガチヲ・サンダース(以下ガチヲ)だけにしか会えない著名人との対談をもとに、主題の成立を図っている。
現代美術作家の佐賀永康(以下佐賀)が2012年ガチヲに作家としての権限を譲渡する。以降ガチヲが新しい美と御多幸の追求に励み、佐賀は中の人としてマネージメントに回り活動している。
文責:佐賀永康
引用:藤沢市アートスペース

先日、3331 Arts Chiyodaで開催された彼(ら?)のトークイベントに参加してきました。

ここではアートと生活の両立をテーマに、苦しくても活動を続ける理由が語られました。

佐賀さんがアーティストを辞めてしまった理由のひとつは、2008年リーマンショックで所属ギャラリーを失ったこと、親しいアーティストが亡くなったこと、東日本大震災などにより、創ることの意味を見失ってしまったから。そしてもうひとつは、自身の子供が産まれ、教育のため非正規雇用から正社員になることを余儀なくされたからです。

自分にはもうアートは作れない。それでも表現活動を続けるために選んだ手段が、自分ではない別のアーティストを作ってしまうことでした。

このような背景から生まれたガチヲ・サンダース氏の性格は明るく、世界に御多幸をもたらすそう。なんだか、オイルショックのような不景気の中幸せが戻るようにと名付けられたという、ハッピーターンを思い出します。

生活とアートの両立

佐賀さんの場合は子どもができて、子育てや正社員としての長時間労働のために制作時間が確保できない状況になってしまったわけですが、アーティストが伸び伸びと活動できない理由はこれだけではありません。

美術大学を卒業して大きな作業場所がない、所属ギャラリーを持てず安定した仕事が得られない、パートナーが作家活動を認めてくれない、全収入を制作費に充てるわけにはいかなくなる…。誰かと一緒に暮らしたり社会に出たりすると、人生のすべてをアートに振り切ることはできず、生活との両立が求められるということです。冒頭の記事のように、疫病もこの原因のひとつになっているんだろうと思います。

身近なところでも、デザフェスの多くの出展者はもちろん、チームアートボラのメンバーが主婦だったり、社会人だったり、学生だったりするように、「本業アーティスト」より「副業アーティスト(クリエーター)」の方がはるかに多く存在します。日本のようなアートがあまり親しまれない国では特に問題なのかもしれません。

私が叶えたい夢も、言い換えれば「副業アーティストが無理なく活動できる世の中にしたい」だったな、ということに改めて気がつきました。

本業アーティストでは経験できないこと

かといって、アーティストにとって生活が完全に邪魔なものになっているわけではないようです。佐賀さんは、子供ができると公園に行くようになって、今まで目にも止まらなかった光景を目の当たりにしたエピソードを語っていました。

美術作家や小説家、作曲家、映画監督などが、過去の作品から影響を受けて作品を作ることが多いのは、詳しくない人でも知っていることだと思います。アーティストたちはそういった過去の作品だけではなくて、日々過ごしている家庭とか、行ったことのある場所とか、出会った人々とか、いろいろな記憶を結び付けて作品にします。今までにない新しいものを作ったとしても、既にあるものから発想を膨らませてできたものです。

私はこの夏企画展に出展しましたが、この準備をしていた時期、特に4月と5月のあたりはイベントがことごとく中止になったり、外に出づらくなって、アイデアが何ひとつ浮かばない苦しい時期が続きました。でも最近は近所にひとりで出かけることが増えて、今まで見ようともしなかった小さな変化に気がつくようになり、やりたいことが次々湧いてきます。

アートにとって生活は、ある意味でいい影響を与えるものでもあるんだな。

それでもアートを続けるのか?

とはいっても、時間は限られているし障害が多くある「アートのある生活」は、自分ではない新たなアーティストを創造してまでこれを続けることに意味があるのでしょうか。

ここまではアーティストの目線で話してきましたが、アートの存在がなくならない理由は、鑑賞者の側にもあると私は思います。今年の春にアート鑑賞ができなかった人々の苦しみも、その理由を象徴しているんじゃないでしょうか。

アートは過去の作品や生活の中での体験がもとになっている、ということを先に書きました。反対に、生活における「気づき」は、アートのような生活から一歩離れた目線で見る表現物から得ることが多くあります。そしてアーティストもまた、いろんな視点で世界を捉え、表現することによって、新しい「気づき」を得ているように思います。

すべてのアート(芸術)の原料は人間の気持ちで、それを形にすることによって理解を深めたり、気づきを得たりするのであって、世界からアートがなくなったら人間は自らの気持ちを咀嚼しきれなくなるだろう、というのが私の思う「世界からアートがなくならない理由」です。これは同時に、「世界からアートをなくしてはならない理由」でもあります。

「もし世界に人間が僕だけになっても、アートは残る」(ニュアンス2)

彼の力強いその言葉が、私たちの生活を救った気がしました。

今回は、テーマに合っていそうなこちらのコンテストに応募させていただくことにします。

さてここまで2819字。同時応募禁止ではなかった(?)ので、期間も字数もぎりぎりですがこちらのタグも!

サムネイル:ガチヲ・サンダース個展『My ex-girlfriend is in another country, with bleeding maggots from her face.死人なってもヘイヘイホー遊びに行くじゃんヘイヘイホー』(2020)より

この記事が参加している募集

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