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❏もういちど読みたい記事

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もういちどと言わずなんどでも読みたい。
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#日記

人生の途中で感謝を伝えそびれた人たちへ

人生の途中で感謝を伝えそびれた人たちへ。 本当はびっくりするくらい感謝していて。 この文章を読んで貰えていたらと 心から、思う。 もう一度、出会えることが出来たら良いのに。 どのくらい私が感謝をしているかを 伝えることが出来たら良いのに。 思い掛けず、庇ってくれて、 涙が出るほど嬉しかったこと。 私が方向を間違えても、 見守ってくれて、 全てを受け入れて励ましてくれたこと。 その人が放った何気ない一言で、 人生の価値観が変わり、 自分の知らなかった、 考えに触れて

Illustration_painting そして漫画ブルーピリオドの感想文

画材の絵。 友人に勧められて"ブルーピリオド"という漫画を読んだ。面白かったです。 ざっくり概要を説明すると 【なんでもそこそこできちゃう男子高校生が絵画の世界の深さを知り、自らが”本気”になる面白さに目覚めて東京藝大を受験する話】 なのだが、(ほんとか?)一応自分も美術系の大学に通っていたため登場人物の心情に重なる部分が多く、湘南台にある温泉のリラクゼーションコーナーにて一人感動に打ち震えていた。 人様の創作物のレビューができるほど崇高な存在では無いので、自分なり

廃工場のなかで思う

針工場というアート作品に触れてきました。 時代の変遷の中で役目を終えた、針工場。 船を作る計画が頓挫して用途がなくなったまま30年が経過した、宇和島の船の木型。 針工場跡地に、その船の木型を据え付けたインスタレーション。 豊島の家浦岡集落にて、平成を迎える手前で閉じられたメリヤス針の製造工場跡。そこに設置されたのは、宇和島の造船所にて一度も本来の役目を果たすことなく約30年間放置されていた、鯛網漁船の船体用の木型です。 別々の記憶を背負った2つの存在が、アーティストを通

現代アートと最近のガンダム

現代アートはこじらせていると思う。カメラ機の出現により、美しいものを正確に描く写実主義から感覚に委ねて描く印象派へと移っていった。ここまではまだ視覚的な被写体に依拠した芸術であったが、抽象絵画あたりから様相が変わってくる。音を絵にしてみた、感情を絵にしてみた、といった類の絵が現れ始め、描写対象が必ずしも視覚的なものではなくなっていく。 それ以降、芸術の世界に衝撃を与えたのが、デュシャンが展示したトイレの便器だ。そこには、「芸術とは何か」「芸術は作品であるのではなく鑑賞者が決

有線のイヤホンのコードを伸ばす

「少し癖のついたイヤホンのコードをそろえて伸ばす」という行為は何故あんなに素敵なのだろうか。 僕は最近、もっぱら便利な無線のイヤホン(とごく稀に自宅でヘッドホン)しか使わなくなったので、有線のイヤホンを持ち歩いている人を見かけると新鮮味を感じる。 今日の帰り道も、歩きながらイヤホンのコードを揃えている人を見かけた。 長さ50㎝程の少し長めのイヤホンをぴちっと揃えてから、耳に装着するという一連の流れを見るのが好きだ。 あまり言うことを聞いてくれそうな、癖のなかなか取れな

美術館に行くとつい買ってしまうポストカードみたいな

美術館に絵を見に行く。特別展ではなく常設展狙いで。常設展にはその美術館・地域の人々・行政の価値観が大いに反映される。美術品の蒐集には莫大なお金がかかるから。私設の美術館でなければその財源は公的な資金、つまりその地域の人々の税金(や寄付)で賄われており、つまりはその地域の人々の価値観を反映したものであるはず。(もしくはそれによって文化芸術の教育がなされていくから、後天的にそれらの芸術的価値観を獲得していくことになる)常設展を見ることの楽しみはその価値観を知ることにある。初めて行

ブランドも時間の節約になる

妻の誕生日にブランドのバッグを買いました。 なぜそれが、欲しいのかは分かりませんが、本人にとっては、欲しいものみたいだったので、こっそり買って置いたんです。 残念ながら、すんなり買ったわけでもなく、このお金の使い方は、はたしていいのだろうか?って考えてしまうんですよね。 クセですね。 欲しいって言っていたものをプレゼントするのは全然いいのですが、いろいろと考えてしまうわけで。 考えることを習慣にしている弊害かも。。 私が考えてしまったことは、書籍を買えば100冊以

バイシクル・ガール

「通り過ぎたあの子はいったい誰だったのだろう」 ぼくは、アルバイト以外ほとんど外へ出ません。世間は新型コロナウィルスで外出自粛ムードですが、ぼくの生活において外に出るという行為に関していえば、ほとんど影響がないといっていいです。 そんな出不精なぼくですが、散歩は好きでたまに家の近所を歩きます。 昨日もバイトを終えたあと、気分転換がてら住宅街をぶらついていました。 ぼくの散歩スタイルは行き当たりばったり方式です。腕時計のタイマー機能で、15分間思いつくまま道を行き、15分

手帳類図書室に行ってきた話

手帳とは、ひどく私的で、プライベートなものだと思う。 持ち主が現実でどこに行き、誰と出会い、何をするのかを記入する、それはつまり、持ち主がどのように生きているのかの記録だ。 私は手帳を誰にも見せたくない。 私にとって手帳とは予定を管理するためのノートである以上に、思考を垂れ流すためのツールであるからだ。 高校生時代から10年間弱、1日1ページタイプの手帳を使っているが、悲しくてやりきれないことも、恥ずかしい野望も、誰にも言えない秘密も、全てを手帳には打ち明けてきた。手帳はカ

ごめん、「かずや」ではない

・日記はどうせつけられないタチなので、最近あったことや思ったことを箇条書き形式で書こう。日記が書けるスケジュール帳を買った時、「スケジュールは書き込むけど日記は書かないor日記は書くけどスケジュール書かない」みたいな状態になってた。 ・お年玉の金額トークをしてた中高生がいたけど、高額だったことでマウントを取る者と少額(または貰ってない)の不幸自慢をする者で二分してた。全然ウケないのは高額側だけど、その次にウケないのは少額側。自虐が不幸自慢になったら、おもしろさが蒸発しちゃう