nns

dreaming | 1996 | tokyo

nns

dreaming | 1996 | tokyo

マガジン

  • いろ採りの旅

    いろは見るものだけでなくて、感じるものでもあるかもしれない。 彩の字源は、木から果実をとって、綺麗に色を纏っていくさまだという。そしてそれの意味するところは、いろどり、つや、転じて、綺麗なすがた。 心でも色を枯らすことなく見つづけたいのならば、彩という漢字があらわすように、自らいろを求めに出かけ、自らいろを纏おうとしなくてはいけないのかもしれない。 わたしはいつまでも心のなかの色を生かしておきたいから、目だけでなく心でもいろを探しつづけていたい。 いろは色とは限らず、一体なにかはわからない。 けれど心が踊る兆しのあるものをいろとして集めていったら、いつかそれが心のなかで鮮やかな「色」ある景色として表れてくる、そんな気がする。 このジャーナルは、そんないろ採りを記していくための手帳。

  • ロシアバレエに浸る

    ロシアのバレエ団と、そこで活躍するバレエダンサーたちが大好きです。 特に、サンクトペテルブルクを拠点とするマリインスキーバレエ団、さらにいえば、その直属である国立ワガノワバレエ学校にて脈々と受け継がれている思想と踊りのスタイルを愛します。

最近の記事

「わたしたち」の帰属先としての自然とその時間感覚

meとus この写真は今清澄白河のMOTで開催されている展示EUGENE STUDIO After the rainbow の作品の1つ、群像のポートレート。どこが群像?と思うかもしれないけれど、実はこの白いキャンバスの上に無限に指紋が押されていて、指紋の集合体になっている。作者はこの指紋1つ1つを個と捉えているよう。 「いまは個人の肖像画ではなく、人々、群像の肖像画が必要だと思った。」という説明書きを読んだ。 この作品から特に示唆に富んだはからいを感じたところは、たしかに

    • 福島県南会津郡 -さみしさの尾瀬

      「夏の思い出」の有名な一節、「はるかな尾瀬 遠い空」という言葉は、尾瀬はいつでも明るい桃源郷のとうな場所だと思わせる。だけど、必ずしもいつも晴れているというわけではないよう。曇り空でどんよりと湿気た尾瀬に入り込んだときの違和感は、普段は溌剌としている人が突然表情に陰りを見せた時に感じる小さな衝撃と似ていた。急にその人の人生の異なる側面が見えて、その人を構成するものが立体的に浮かび上がってきてしまったときのように。 有名な湿地が広がる尾瀬沼までは、最寄りの入山口と言われる沼山

      • 北海道美瑛町 空と丘のあいだ

        一面のソバ畑。 人に見せるために植えられたわけではなくとも精一杯咲く花々の健気さには、花壇の花以上に美しさを感じてしまう。美瑛町は、空と大地のはざまにあった。 まふたつに世界をわけあうそのさまは壮大で、でも、境界線があるはずなのに不思議と調和を生んでいる様子には愛おしさも感じられる。 海ではないけれど、海と空が融けあって愛しあうという、ポールモーリアのLove is blueの日本語歌詞が浮かんでくる。 美瑛町にねむるいろ。 いろの断片を、断片のままに記した記録。 ーー

        • 石川県小松市 日用の苔

          真夏にも関わらずやけにひんやりとした一本の車道を車で走っていると、ふと山際にあらわれる。着くころには、街で身につけたざわめきが身体から抜けている。石川県小松市、日用神社。 そこは辺り一面苔の海。その苔の潤いは、触らずとも肌のうらにまで染み込んでくる。上を見れば背の高い杉。下にも上にもひろがる緑の世界はそこにある時空間を八方から吸い込んで歪めている。 人間がシカ除けや熊除けをならすように、どこからともなく鳴き続ける何千匹ものセミの美しくも不気味な声は、緑の世界から人除ける音

        「わたしたち」の帰属先としての自然とその時間感覚

        マガジン

        • いろ採りの旅
          4本
        • ロシアバレエに浸る
          1本

        記事

          いろを採る

          目ではたしかに色を見ることができているはずなのに、心の中で遅れて繰り返されていく景色が霞んで、暗い。 もしかしたら、いろは見るものだけでなくて、感じるものでもあるのかも知れない。 脈絡もなく、自分の名前に「彩」という文字が入っていることが頭に浮かんだ。 そういえばどんな意味なんだろう。名前と自分が一体化していたが故に、深く考えたこともなかった。ただなんとなく、色そのものを指すわけではないんだろうと思っていただけ。 いまごろになってやっと、その字について調べてみた。そうした

          いろを採る

          ウリヤーナ・ロパートキナ - 瀕死の白鳥

          『瀕死の白鳥』 ウリヤーナ・ロパートキナ マリインスキーコンサートホール 終始一定のテンポで放たれ続けるハープの音色。 苦しみやもがきといった激しさと、やけに落ち着いた音色が生み出す空間は、どことなく奇妙で、観ている者に伝わりにくい何かを伝えようとしているようにも感じられる。 ハープの音色は美しくもあるけど、白鳥に降り注いだ変えられない運命そのものを表す、残酷の象徴なのかもしれない、と思う。 腕と脚のに一切逆らわず、受け身に曲線を描く手先と足先が尊い。 その尊さが、死を

          ウリヤーナ・ロパートキナ - 瀕死の白鳥

          目に見える影響以外にも想いを馳せ、想像を膨らませる

          …わからない。すべてはバランスなので、自分でも自分がここで書いていることが妥当なのかどうか判らない。門出シーズンで湧くなかでこんなことを書くことに怖さを感じるけれど、帰国後に東京を歩いて生じた心情と考えを素直に書いてみることにします。 ・・・ 1年の節目ということもあり、東京はお店もレストランも活気に溢れていました。人々の楽しい様子をみるに越したことはないと思う一方、どこか寂しさも感じてしまった自分がいました。こうした楽しいことや仕事をやめろとは言わないけれど、コロナによる混

          目に見える影響以外にも想いを馳せ、想像を膨らませる

          縦の世界、そして、媒介としての空気

          飛行機を降りるときは毎度、肌を包む空気が違うのを感じる。 どこがどう違うのかは説明できない。言葉にならないし、そもそもやみくもに言葉にしてはいけないような気もする。 空気は、その土地のあらゆるものの集合体だ。差し込む太陽の日差しの強さ、湿度、人の汗、食べ物、建物の質感。 そこにあるものすべてが混ざって、その土地固有の何かができあがる。 それが、空気だ。 定義とかそういうんじゃなくて、単純にわたしが空気という言葉に、身体に差し迫ってくる何かという意味を込めたい、という

          縦の世界、そして、媒介としての空気

          ハバナのアートコミュニティ Vol.1

          「neighborhood」の意味キューバに行ってきました。 わたしは現地でたくさんの人と話しましたが、 その中で多く耳にしたワードが、「neighborhood。」 気になった私はある人に聞いてみました。「何度もneighborhoodっていう言葉を使っているけど、それってある行政区画のことを言ってるの?それとも、感覚的な範囲なの?」 話していた彼女は答えました。「私の中の感覚的な範囲かな。一緒に支え合って生活するご近所さんたちのことをざっくりneighborhoodっ

          ハバナのアートコミュニティ Vol.1

          10.4%という数字を考える

          ●日本の国会の現状(属性のバラツキの観点で) 日本の国会議員の比率は、 10.2パーセント(193カ国中165位)です。 (ここ1.2年でやっと2桁になった) 単なる数字でしょうとも思うけれど、意外とこの数字には目に見えない意味が存在するとも言えるかもしれません。 というのは、女性の割合がほんとうに「女性陣の行動様式」に変化を、ひいては「政策の質」に変化をもたらすには、それぞれに最低値が存在するということです。 それは、集団の中において異なる属性の人間はどのように行動

          10.4%という数字を考える

          スウェーデンとの出会いを振り返る

          スウェーデンの合意形成政治について論文(と言ってみるも実際は随筆みたい)を書き終えたので、これまでのことを思い返してみましょう… スウェーデンとの出会いとなったのは大学1年の夏休み。ヨーロッパの国々を旅行していて、スウェーデンはその中で最後に訪れた場所でした。 長旅の終盤でそろそろエネルギー↓と思っていたところ、私はこの国に降り立つや否やある種の(良い意味での)ショックを感じ、途端に元気を取り戻したのでした。道ゆく人の視線からは自立と余裕が感じられて、それが私にとってと

          スウェーデンとの出会いを振り返る