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「わたしたち」の帰属先としての自然とその時間感覚

meとus

この写真は今清澄白河のMOTで開催されている展示EUGENE STUDIO After the rainbow の作品の1つ、群像のポートレート。どこが群像?と思うかもしれないけれど、実はこの白いキャンバスの上に無限に指紋が押されていて、指紋の集合体になっている。作者はこの指紋1つ1つを個と捉えているよう。
「いまは個人の肖像画ではなく、人々、群像の肖像画が必要だと思った。」という説明書きを読んだ。
この作品から特に示唆に富んだはからいを感じたところは、たしかに遠目でみると同じ色の点のまとまりに見えるのだけど、近づいて目を凝らすと少しずつ色や形を違いが見えてくるところ。個と集団のバランスの表現が絶妙だった。多様性を表すなら、赤、青、黄と明確に違う色をごちゃ混ぜにすることもできたろうに、少しずつ色を変えながらも敢えて全体としては1つの優しいトーンに見えるようにするなんて。地球環境の変化や富の分配など人間が全体として協力しないと解けない問題はあるわけで、個=meは尊重しつつも、それとは別にわたしたち=usとして向き合わなければいけない事象もあるよねと優しく語りかけていたのだろうか。


メキシコで教えてもらった人間の帰属先

かつてメキシコを旅行したとき、ネイティブアメリカンたちが人間の肉体、精神ともに大地からできていると考えていたことを、現地で出会った陽気なおじさんとおにいさん2人が熱心に話してくれた。
言わずもがな身体は自然の恵みから成り立っているし、それに加えて叡智(wisdom)も大地から得ていると。そしてその叡智得ることに長けた存在がwise manであり、人々から崇められた大地と人間の仲介者だという。


ネイティブアメリカンの時間の捉え方

メキシコ旅行とはまた別の機会に、ネイティブアメリカンの諺(とそこには書いてあった)を目にすることがあった。その諺は、「人は祖先から地球を継承するのではない。子どもたちから借りているのだ」というもの。
この諺はわたしにとっては良い意味でショッキングだった。子どもから借りるという考え方そのものは勿論だが、その発想に導いていると考えられる時間の捉え方がなんとも衝撃的だった。「今」を起点に世界を捉えていると到底この発想には辿り着かないと思う。
最初にこの諺を読んだときは、彼らは時間軸が未来→現在→過去になっているのかしら?と思ったのだけど、おそらくそうではなく、むしろ時間の流れが存在せず、既に起きたこともこれから起こる世界も共時的に捉えられているんじゃないかと思う。

以前、ネイティブアメリカンの部族は自分より何代もあとの世代の世界を想像しながらルールなどを決めていくという話しを聞いたことがあるけれど、それは崇高な徳や優しさからだけではなく、この時間感覚から至極まっとうな論理として出てきたんだなとやっと腑に落ちた。(※あくまでもわたしの推察だけど…)

自然のスケールに紐付く時間の概念

という話しを突然思い出したのも、21_21 design sightの展示Futures In-sightと原研哉さんの低空飛行Podcast生物学者の福岡さん回
前者は時間の捉え方について、後者は種レベルの時間軸について話していて、それらに同時に触れたとき、usの話しと時間の概念の話しが徐々に結びついてきた。

時間幅/方向とusの捉え直し

先述したスタジオ・ユージンの「群像のポートレート」がそれをよく表していると思うけれど、今はmeとusを同時にバランス良く大事にする手段を世界的に人々が探っている。
そこでusが帰属するのが特定の人間であると行き過ぎた主義に陥ってしまいかねないけれど、usが人間をこえる存在=自然に帰属するという発想は(ネイティブアメリカンの文化にこれ以上詳しいわけではないけれど、)個とのバランスもとる上で直感的に程よいものを感じる。
だけれども、最近見聞きしたことを踏まえると種、または自然スケールでものを考えるというのは過去現在未来を共時的に考えることでもあり、その過程で、制度やルールに紐づく時間幅の長さ、流れの方向の捉え直しと無限の想像力がいつか必要になってきたりもしそうだなと感じている。





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