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いろを採る

目ではたしかに色を見ることができているはずなのに、心の中で遅れて繰り返されていく景色が霞んで、暗い。
もしかしたら、いろは見るものだけでなくて、感じるものでもあるのかも知れない。

脈絡もなく、自分の名前に「彩」という文字が入っていることが頭に浮かんだ。
そういえばどんな意味なんだろう。名前と自分が一体化していたが故に、深く考えたこともなかった。ただなんとなく、色そのものを指すわけではないんだろうと思っていただけ。


いまごろになってやっと、その字について調べてみた。そうしたら彩の字源は、木から果実をとって、綺麗に色を纏っていくさまだという。そしてそれの意味するところは、いろどり、つや、転じて、綺麗なすがた。


やはり彩という文字は、単に色をあらわすのではないらしい。ものではなく、木に宿る色彩を自分に纏うという抽象的なさまを指す。

さい、いろどり。自分と一体化していた名前にはそんな意味があったことに驚き、そしてすこし嬉しくなる。

ああ、と、ふと気がついた。

心でも色を枯らすことなく見つづけたいのならば。もしかしたら、彩という漢字があらわすように、自らいろを求めに出かけ、自らいろを纏おうとしなければいけないのかしら。感じたいと思ういろを。

彩、いろどり、いろ採り。
突然、いろどりという言葉の響きと意味が繋がった気がした。


わたしはいつまでも、心のなかの色を生かしておきたい。だからこれから、目だけでなく心でもいろを探していきたい。

いろというのは必ずしも、赤、青、黄のような色そのものとは限らない。
一体なにかはわからないけれど、心が踊る兆しのあるものをいろとして集めていったら、いつかそれが心のなかで鮮やかな「色」ある景色として表れてくる。そんな気がする。

このジャーナルは、そんな、いろ採りを記していくための手帳。

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