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日本人が西洋人に見る違和感の理由

西洋での生活が長くなるにつれて、今まで不可解だったことが、急にストンと合点がいく瞬間がある。

「人間を人間(本能)のままにしておく」

これもその一つ。

オランダの子育ての考え方に「人間を人間のままにしておく」というものがある(らしい)。

オランダの子供達は、日本人から見たらかなり乱暴(野生的)に映ることがある。

日本の小学校も動物園だろうが、そのレベルを遥かに超えている。ぶつかったら怪我をしそうな、少し恐怖を感じるレベルだ。

活発な子供には溢れんばかりのエネルギーがみなぎっている。そこにストップをかけるのがしつけと呼ばれるものだろう。しかし、それをしないのがオランダ流らしい。

というのも、いずれ成長すれば必要な理性が発展する。そうすれば動物的本能も抑制されてくるから、それまで Let it be。人間を人間のままに、なのだ。

まだ日本に住んでいた時、

「ドイツには男女が全裸で入るサウナがある」
「ヨーロッパにはコンビニがない
「フランスやドイツなど、日曜日はお店が開いていない

など、日本と異なる文化についてに見聞きして驚いたものだ。

見た目も、言語も、考え方(宗教)も、なにもかも違う人たちなのだから、当然と言えば当然。

今のように日本の外で暮らすと、このような「理解不能」な文化・習慣に触れる機会が格段に増える。

先日、ある本を読んでいた時に、長年のこの疑問の理由に、ピン!とくる瞬間があった。

別にその本にそう書いてあった訳ではないが、多くの疑問がなるほど、と繋がったのだ。

西洋と日本の大きな差は、西洋の人々が「自然であるか」という感覚を大事にいる、ということではないかと思ったのだ

辞書によると「自然とは、物事が本来あるとおりであるさま」を意味するとのこと。

その、「物事が本来あるとおり」に世界を見ているのが西洋の人たちなのではないかと

「自然であるか」という考え方は、抽象的で、人によって解釈が変わる曖昧な表現だと思う。

なので、その言い方がベストな表現かは分からないが、少なくとも、私の長年の疑問には説明がついたので、その理由を述べてみたいと思う。

全裸

男女が全裸のサウナ、ヌーディストビーチ。

絵画や彫刻はもちろん、ドラマや映画でもトップレスな人を目にする機会は日常的にある。

記事や現地の人の話を聞いていると、公衆の面前で裸を晒すことは、ある程度、受け入れられた価値観のようだ。

なぜなら、どんな部分も全てがあなたの体の一部(=自然なもの)なのだから恥ずかしいものでない。

実際、ドイツやオランダ、スペインの一部では、(性的目的でない)屋外の私的なヌードは、犯罪にならない。(詳細はこちら

しかし、欧州でも特に若い世代で、他人のヌードを見るのは心地よいと思わない人たちが出てきているので、ヌーディストビーチは徐々に高齢化してきていると言われている…。
それもいかがなものか…。

日曜日は閉店

もともとはキリスト教の安息日(宗教的理由)からきている。ドイツは、法律で日曜の開店を禁止にしているほどだ。

しかしそんな宗教的な理由から始まり、今はお店も人間なのだから休みが必要だ、という考えになっている。

お店で働く人たちも、日曜日に家族と過ごす時間、自分のために使う時間を確保するのは「自然」ということだ。

コンビニがメジャーでない理由これに似ている。

スーパーや専門店の開店時間内に買い物を済ませる規則正しい生活が、こちらでは普通なのである。

人が寝静まる夜中に、煌々とライトで照らされたコンビニがあちこちで開店していることは、「自然であること」との対局である。

しかし、オンライン小売の台頭、コロナで外出者が減ったことから、ドイツでは、日曜お店解禁の切実な声も上がっている。

エアコン

NetflixのEmily in Parisでも面白い描写があった。

フランスの多くの場所にエアコンがない。

その理由を「自然をコントロールするみたいで、季節感がなくなる」と35度の酷暑の中で言っていた。

ここでも、自然であるか?を大事にする価値観(フランスのステレオタイプ?)が描かれていた。

もちろん、昔はパリ始め、高緯度に位置する西・北ヨーロッパに猛暑はなかったためエアコンがいらなかった。

そのため、熱波が襲った2003年には、暑さへの対応方法を知らないフランス人が15,000人も亡くなってしまったのは、悲しい出来事である。

その経験から少し進んだのか、扇風機が一家に一台はあるというのが現代であるようだ。

頑張る

西洋には「頑張る」という言葉がない。

ベストは尽くすという言葉はあっても(我慢や忍耐を含むような)頑張るという概念がない。

辛いことや、忍耐・我慢をしながらやり続けることは「無駄なこと」=自分にとって自然でないという感覚、といったところだろうか。

「頑張る」という言葉は、日本人に染み付いた考えである。

しかし、見方を変えてみると「ベストを尽くす」という考え方の方が、自分に素直で、心が軽くなる気がしてきた。

「頑張る」と言った後に、「ベストを尽くす」という言葉に変換してみることをお勧めしたい。

おわりに

私にとって「自然であること」という考え方が、多くの疑問を理解できるものに変えてくれた。お読みのみなさんにとっては、どうだろうか?

文化は本当に複雑で、一言で言い表せるものではない。

しかし、今話したことが誰かのちょっとした疑問にも通じるものであったら、これ以上に嬉しいことはない。

しかし、一つ残念なことがある。日本人にとって自然であることと、西洋人にとって自然であることは、異なることが多いということだ。

私が今回納得したことは、ほんの通過点に過ぎないのだ。

よって、この探究はまだまだ続く…

ではまた!

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