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4. 議論と言い合いは違うのに。


若者(特にZ世代)の投票率の低下の改善は、気軽な議論ができる場や雰囲気を作るところから始めないとね、って思った話。


2020夏。コロナ禍で行われた都知事選挙は、現職の小池百合子さんの圧勝だった。まあ結果は民意(という名のマジョリティー思考)が反映されたのであろうだからとやかく言うつもりはない。おそらく競馬でいえば単勝1.0倍で、ルーラーシップの2012年の有馬記念並みの大出遅れしたとしても勝ったのではないかと思う。ディープインパクトよりも堅い馬券だったであろう。で、結果は置いておいて、今回の都知事選はたくさん思うことがあった。

① びっくりするくらい話題に上がらなかった、気がする。これはメディアの操作なのかもしれないし、単勝1.0倍のレースをわざわざ盛り上げる必要もなかったのかもしれない。でも「投票率が低い、これは問題だ!」って騒ぐメディアが一番投票率を下げようとしてるのではないか、って思ってしまうんだよな。

なんでこんなにもまともな候補者がいないのか。政見放送でふざけまくる人、人種差別する人、財源もきちんと示さずにやりたいこと(ウケが良さそうなこと)を列挙するだけの人、餃子を使って公職選挙法違反ほぼアウトみたいなことをする野党トップ(個人的にはギャグだとしたらセンスあると思ったけど)。ふざけた候補者たちが多く、本当にまともな候補は2,3人くらい?それじゃあ4年間で掲げた公約を一つも達成しないような、権力とアピールがうまくても、施政力(思想を政治に移す力)が弱い現職が圧勝するのもある程度は理解できる。

投票率がいつものごとく低い、55%。もう慣れたけど。いや慣れちゃいけないんだけど。

で、今回はこの③の「投票率が低い」問題をちょっと考えてみたのです。

正午時点で投票率がとても低いというニュースを見ながら夕方に投票所からの帰り道を歩いていた自分は、「投票しない人にちゃんと投票しなよって呼び掛けても無駄だし、もうこんなの改善しないからあきらめたらいいじゃん」って思ってしまった。

以前、海外旅行での移動中に暇だったから、普段投票に行かない友人とちゃんと話してみようと思って、行かない理由とか聞いたり、メリットデメリットを一緒に比べてみたり、みたいな(個人的には)建設的な(つもりの)議論をしたが、その友人は気分を害したみたいで1時間だけ友人の雰囲気が険悪になったことがある。(笑)そんな経験もあるからもう投票しない人は「投票していないことにどこか背徳感や罪悪感は抱えつつ、でもどうせ自分が投票したところで変わらないっていう思いがあってそこを正論で突かれると気分を害してしまう」と理解しているから、呼びかけも無駄だと思うし、むしろマイナスにさえ作用すると思ってしまう。

まあでも冷静に諦めたらそこで試合終了、なので政治にどうすれば興味が沸くのか、投票にいってもらえるのかを考えてみたんだけど、やっぱり興味あるものは人にシェアしてなんぼという気がしていて、自分が興味のある柏レイソルも競馬も英語ディベートも、語り合う友達がいるから興味が続くわけで、やはり周囲にシェアするからこそ、興味が持続するのだと思う。別に対面でなくてもよくてSNSとかでもいい。むしろZ世代の我々はSNSを使用してコミュニケーションや自己表現をしている人の方が圧倒的に多い。(現にnoteを書くこともまさしくそうなのだ。)

ただ、なんでかわからないけど、SNSで政治の話するのって、すごくタブー化されていない?

これがある意味若者が政治に興味を持てない原因の一つであり、投票率が低い原因なのでは?と思う。 ”#検察庁法改正案へ抗議” みたいなのは一時期とってもムーヴになったけど、自分のTwitterの友達とつながってるアカウントで見る限り、1000人くらいフォローしてるのに友人や知り合いがやってるのをみたのは2,3人いるかどうか。なんでもかんでも時には不謹慎なものまでシェアしてしまうZ世代の若者でも、それくらい政治の話はしないのよ。でも不思議と政治の話をしたら、ちゃんと政治に興味持ってる人も少なくないし、ちゃんと意見持ってる友人は多いんだこれが。

ではなぜ政治の話はSNSでタブー化されているのか。政治というのは思想や個々の違いがモロに出る。なにを優先して考えて選ぶのかとか、どういう生活レベルかとか、どういう教育を受けてきたとか。だからSNSで政治の話をするとたびたび議論になる。この議論が嫌いな人が、無駄に、必要以上に、多いのではないかと思う。なんで?

ここで本当の問題は、無意識に「議論」と「言い合い」を混同して考えて、違いがままならない人の多さなんだと思う。「議論」というのは、ぶつかりあってそれが交わることで、より自分にとって深く考える機会となり、意見は洗練され、時には間違っていることに気づかされ、興味を深めるきっかけになるもののはず。「言い合い」はぶつかったあと交わらずに何も残らない、むしろマイナスの感情だけが残る。多くの人はこれを混同して必要以上に避けようとする。

自分は英語ディベートを大学時代に少しやっていた影響で議論の意義を理解しているつもり(あくまでもつもり)なので積極的に議論しよう派なのだが、会社でそのスタンスでいると、「あんまり上に噛みつくのはやめなよ」「主張が強いね」とか言われてしまうことも多い。

違うんだ、それは間違ってる、と思う。(もちろんここにも議論の余地がある。)主張が強いとかではなく、主流意見も主流ではない意見も全部貴重な思考や議論の材料になるのよ。それらがあるからまともな判断ができるようになる。

だからみんな、今こそ意識改革してほしいのだ。議論は「積極的にすべき交換」であって「争い」ではない。マイナスに作用するものではなくプラスの作用をもたらすものだ。そこをちゃんとお互い理解できてさえいれば、政治の話だってSNSでできるはず。シェアし合うことで興味も持てるようになる。興味が沸けば若者の投票率も改善するはず。

この記事を読んで、こいつのこの意見は間違ってるなあって思う人もいると思う。いいんだそれで。間違ってる可能性は大いにある。だからこそ議論すべきなのよ、間違っていることに気づかせてくれるのかもしれないのだから。


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