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馬とわたしは似ているかもしれない

なぜだか、馬に惹かれている。ピンとくるものがある。
乗馬はやったことがない。そもそも間近で見たことも触れたこともないのに。馬という生き物のことをもっと知りたい、心を通わせてみたい。

馬への興味のはじまりは、去年。
仕事旅行社というサイトで、ホースセラピーなるものを知ったとき。そして今。与那国島で馬と暮らす河田桟さんの存在を知って興味が再燃している。

著者は印象的な二つの言葉で馬を表す。一つは「可塑性」。「ウマは、いったんその刺激を受け止めると、それに合わせて自分のこころや行動を変化させていく“やわらかさ”ももっている」。それが粘土の質などを表す「可塑性」という言葉にぴったりだと著者は思う。相手によって変わっていける可能性を自分のなかにもつことは、それだけ「すきま」の領域をもっているということで、誰かと相対していても、その場に余白を築くことができるということなのだろう。
もう一つが「応答性」だ。「話かけるものがいたら『耳を傾けてみよう』とする、そういう気配を生まれつきもっている」。人間は、聞きたくない相手の声は、そもそもの初めから耳に入らないようにできていると常日頃感じる。しかし馬は、声のする方へ一旦は耳を傾けようとする生き物であると。そしてふと思う。可塑性や応答的なコミュニケーションとは、子育てや、看病、介護など、自分とは少し異なる身体感覚、時間感覚を生きている人との触れ合いにおいても、もっとも大切なことだと。そして子どもには、可塑性も応答性も備わっているということに気づいたとき、私たちはかつて皆それを持っていて、どこかで失ってしまったのだということさえ理解できる。
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/www.vogue.co.jp/change/article/vogue-book-club-hashikko-ni-uma-to-iru%3Famp%26usqp%3Dmq331AQRKAGYAYW31aun5_jW2wGwASA%253D

自分は馬や子どもに匹敵するほどではないにしろ、可塑性や応答性を持っている方な気がしている。
そういうところが、「子どもっぽい」と言われる所以だろうか。

馬は平和を好む。わたしもスリルや刺激よりは、穏やかな日常こそをだいじにしたい。

なんにせよとんだ勘違いかもしれないけど、馬とわたしは似てるんじゃないか、親和性が高いんじゃないか。いまはそんな気がしてならない。

今朝、ホースセラピーを取り入れたオルタナティブスクールの研修生募集を見つけた。関心のある馬と、子ども。すかさず説明会に申し込んだ。期間や開始時期はわからない。そもそも、これから新しくバイトを始めようってところなのに。
それでもとにかく、話を聞きたかった。


先のことはわからない。でも、楽しみになってきた。

枠に囚われず、理屈で考えようとしすぎず。心の赴くまま、シンプルな欲求に従って先のことを決めたっていいんじゃないかな。と、思ったりもする。
生活のこととか人生設計とか、雑音が多くて何がなんだかわからなくもなるけど。

昨日まで慎重に、慎重に、とか言ってたはずだけど、今日はずいぶん開放的なようで。笑

まあ、この多面性も自分だよね。

さあ、今日は存分に本を読むぞ。


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