見出し画像

シアスター・ゲイツとの奇跡的な協働──連載「山翠舎 時を重ねた古木をめぐる話」第1回

長野県を中心に「古木」の買取りから保管・販売、設計・施工をワンストップで手掛け、古民家を活用したサーキュラーエコノミーにも取り組んでいる山翠舎。古木のストックは日本最大規模を誇っています。
これからシリーズ「山翠舎 時を重ねた古木をめぐる話」(全9回予定)で、その仕事を紹介していきます。
写真は浦部裕紀による撮り下ろし。第三回ふげん社写真賞グランプリを受賞し、写真集『空き地は海に背を向けている』(ふげん社、2024年)が出版された新鋭の写真家です。
初回は、東京・六本木の森美術館で開催中の「シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝」(会期:2024年4月24日– 9月1日)を紹介します。山翠舎は制作協力として関わり、作品を支持する数々の巨大な什器をつくり上げました。

「貧乏徳利」が並ぶ《みんなで酒を飲もう》(2024年)。
オリジナルのイーゼルに掛けられた作品3点が並ぶ。手前から《屋根に覆われて》(2024年)の裏側、《丸利のためのタール・ペインティング》(2024年)、《抹茶酒》(2024年)。
《小出芳弘コレクション》(1941–2022年)ほか。
《ドリス様式神殿のためのブラック・ベッセル(黒い器)》(2022–2023年)ほか。

キュレーターとの偶然の出会い

なぜ、長野県を本拠地とする建築会社が現代美術の展覧会の制作協力をすることになったのか。その発端は偶然だった。
山翠舎代表の山上浩明氏は、この20年ほど、古民家が解体された際の木材の収集に努めてきた。第二次世界大戦以前に建てられた古民家の解体により出た柱・梁・桁・板を「古木」と定義し、商標登録もしている。残念ながら壊されてしまう古民家から、長い時間を経てきた貴重な材をせめて残し、その価値を上げること、後世に伝えていくことをミッションとしている。そのなかで、かねてより注目していたのが現代美術の世界だった。
2023年11月、山翠舎の​​山上氏とクリエイティブグループリーダーの星野裕恵氏は、麻布台ヒルズギャラリーの開館初日に訪れ、たまたま森美術館キュレーターの德山拓一氏と話をする機会を得た。德山氏は、準備中だった「シアスター・ゲイツ展」と山翠舎が保有する古木との相性の良さを感じ、作家との調整を行い、話はトントン拍子で進んでいった。キュレーターが山翠舎を知った時点で展覧会オープンまでわずか5カ月……。

シアスター・ゲイツ氏は、荒廃したシカゴ南部郊外の地域再生などの都市における社会的実践、宗教的空間を主題にした作品で知られている。イギリスの雑誌『ArtReview』による、最新版(2023年)の現代アート界で最も影響力をもつリスト「Power 100」では、第7位に位置付けられ、社会活動とアートマーケットとを統合していると評価されている。日本には特別な思い入れをもち、日本文化にも深い関心を寄せていた。かつて愛知県・常滑で数カ月陶芸を学んだ経験もある。
森美術館での展覧会タイトルは「アフロ民藝」だ。1950年代から60年代にかけてのアメリカにおける黒人の文化的・政治的運動「ブラック・イズ・ビューティフル」と、柳宗悦・河井寛次郎・濱田庄司らが先導した日本の民藝運動を掛け合わせてつくられた造語であり、ゲイツ氏の出自、出会ってきた様々な文化やコンテクストが混淆され、独自のニュアンスをもっている。
会場には、蒐集した約2万冊の書籍や雑誌が運び込まれ、アフリカン・アメリカンの歴史が表現され、他方で、常滑出身の陶芸家・小出芳弘による約2万点の陶芸作品が並ぶ《小出芳弘コレクション》(1941–2022年)や、かつて酒屋で少量買いをする客への貸し容器だった「貧乏徳利」が1,000本並ぶ《みんなで酒を飲もう》(2024年)では、ゲイツ氏による圧倒的な物量の差配がされている。異なる文脈をもった物が混じり合って並ぶ様は壮観だ。
山翠舎は、展覧会後半の「ブラックネス」と「アフロ民藝」のセクションにて、大量の物を格納し、展示するための什器の制作を担った。

驚異のスピード感

2024年2月22日、雪の降るなか、シアスター・ゲイツ氏は長野県の大町倉庫工場へ初めて足を踏み入れた。この時点で展覧会のオープンまで2カ月。
通常、大規模な展覧会は、数年間の準備を経てつくられていく。既に「アフロ民藝」の会場を目にした方なら、このタイミングでゲイツ氏が初めて山翠舎を訪れたこと、あの巨大な什器群の制作が2月も終わる頃から始まったという事実に驚くだろう。

材を目の前にして構想を描くゲイツ氏。写真提供:山翠舎
ゲイツ氏による什器のドローイング。写真提供:山翠舎
雪降る2月の長野県・大町。写真提供:山翠舎

常時5,000本以上の古木がストックされている工場にて、ゲイツ氏は沢山の木材に触れ、身振り手振りやドローイングを交えながら目指すものを伝えた。クリエイティブグループリーダーの星野氏は、それを受け、山翠舎ができることを図面にまとめていった。ドローイングだけでは什器はつくれない。イメージと制作の現場をつなぐのが図面だ。星野氏は、寸法や材の情報、接合のディテールなどを含んだ図面を描き、職人たちにその意図を伝え、職人たちも経験したことのない未知の仕事に取り組んだ。

大町倉庫工場で記念写真。写真提供:山翠舎

4月11日からは大町倉庫工場でつくった巨大な什器を分割して運び、森美術館での施工が始まった。普段から飲食店の小さな出入口や廊下から家具や部材を運び込むことに慣れていた山翠舎にとって、今回の大型トラックや巨大な荷物用エレベータを使っての搬入はお手の物だった。

異なる由来のマテリアル

山翠舎はこれまで500以上の飲食店の設計・施工を手掛けてきたが、ここでは通常とは異なる納まりや仕上げが求められた。例えば、天板の上面や側面は人が触れる部分なので普通ならばきれいに仕上げられるが、ゲイツ氏は荒いままを望んだ。異なる由来、個別性をもった材が集まってできていることが表れたつくりだ。
古木でつくられた什器について写真とともに詳説する。

《みんなで酒を飲もう》(2024年)の手前に置かれた通称「DJ&Barテーブル」。天板には、鴨居や桁などで使われていた材が用いられ、表面は無塗装かつ荒々しい仕上げで留めている。選び抜かれた深い色味の材が。別の作品《アフロ・ネオン》(2018/2024年)の赤い光を映す。
《みんなで酒を飲もう》(2024年)。
《みんなで酒を飲もう》(2024年)の什器(通称「Tokkuri棚」)の支柱は、建築の材料ではなく、稲刈り後に稲を干すために使われていたはぜ棒だ。棚板は足場板だったもの。
《屋根に覆われて》(2024年)の裏側。オリジナルのイーゼルには、「鉄砲梁」と呼ばれる、雪の重みによって根曲がりした材が使われている。豪雪地帯ならではの力強い生命力が反映されている。
《小出芳弘コレクション》(1941–2022年)の什器ディテール。天板は元々床材だったもの。照明の光源は直接見えないように隠されている。
作品の背景としてのボード。テーブルの天板としてつくられたものが変更された。右下の黒い皮袋は《プラダ仕覆》(2024年)。
「ブラックネス」セクション、多彩な陶芸作品による《ドリス様式神殿のためのブラック・ベッセル(黒い器)》(2022–2023)ほか。什器のローテーブルの天板は鴨居や桁材で、全面的に黒い塗装が施された。かつて建築に使われていたことを示すほぞ穴や加工の跡がいくつも見られる。当初は奥行4,500×長さ1,800mmのものが5脚計画されていたが、途中で向きと配置が変更され、1,800mmの奥行に対して、22,500mmもの長さになった。

現場管理統括を担当した山翠舎の岸航平氏は、制作を振り返り「芸術を引き立てる素材として古木の力が発揮された。アーティストならではの手腕によって、古木の新しい可能性が拓かれた」と言う。
また、星野氏は、プロジェクト初期に感じていた不安が徐々に自信に変わっていったと言う。それは4月12日(美術館での施工2日目)、ゲイツ氏が森美術館での現場でオリジナルのイーゼルの仕上がりを見て「Woo-hoo, yeah!」と喜びの雄叫びを上げた瞬間確信に変わった。「That’s so amazing. It’s so beautiful. Yes, exactly, that’s the work. ARIGATO!」と称賛の言葉が続いた。
そして展覧会オープン2日前。ゲイツ氏は会場でメディア対応に追われるなか、星野氏を見つけると、さっと歩み寄りフィスト・バンプを求めた。

もし、ゲイツ氏が山翠舎の古木に出会っていなかったら、もし、ゲイツ氏と山翠舎との意思疎通がうまくいかなかったら、もし、規格品による味気ない什器に作品が置かれていたら、どのような展覧会の姿になっていただろう。最後の2カ月で激変したプランを想像すると、本当に奇跡的な協働だったと思える。
山翠舎は小さな会社だが、ひとりひとりが複数の仕事を横断的にこなす多能工集団である。チームとしてプロジェクトに取り組み、メンバーが互いの領域を理解・共有することで、極めて迅速に物事を判断し、実行できる。彼らは世界的なアーティストとの協働によって、自信と誇りを再発見することになった。

新たな光を当て、称揚する

「ブラック・イズ・ビューティフル」は、人種差別に抗し、アフリカン・アメリカンのアイデンティティを高めようとするものだったし、民藝運動は、名も無きつくり手が生み出した日常的な家具、道具、器、衣服などを称えるものだった。どちらもその運動以前はマイナーであったものに新たな光を当て、美を見出し、その根源から称揚するという点で通底している。
古木も、既にこの世を去った職人たちが懸命につくり、長く人々の生活を支える建築に用いられ、その役割を一旦終えた美しいマテリアルだ。山翠舎はそれらが再び舞台に上がる準備を整え、ゲイツ氏の琴線に触れた。
「シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝」では、過去の、出会うはずのなかった無名の人々がそうして召喚され、彼、彼女らの賑やかな歌声が響き合っている。

文:富井雄太郎[millegraph]
写真(特記は除く):浦部裕紀
見出し写真提供:山翠舎
協力:森美術館

古木を使った建築・内装・展示デザインなどのご相談は、山翠舎のフォームからお気軽にどうぞ。

大町倉庫工場で出番を待つ常時5,000本以上のストック。撮影:富井雄太郎

自主ゼミ「社会変革としての建築に向けて」は、ゲスト講師やレポート執筆者へ対価をお支払いしています。サポートをいただけるとありがたいです。 メッセージも是非!