自己紹介をしよう2🦋現代人がほぼ経験しないようなショック体験から神経の病になる
こちらの記事のつづきです。
22歳の頃、とてつもなくこころ惹かれてしまう人と出会いました。そのような人との出逢いは初めてでした。
変な話なのですが、その人のことを知るや否や、とてつもなく懐かしい感覚に襲われたのです。
わたしたち会ったの、初めてじゃないですよね…?と思わず尋ねたくなるくらいでした。(結局、尋ねられず終いとなりました。)
恥ずかしい話なのですが、わたしはいつもその人に他の恋人ができてしまわないか、内心ソワソワしていました。
そのように誰かのことを思ったのは、初めてのことでした。このような人のことを、ソウルメイトと呼ぶのかもしれません。
SNSを通して知り合ったのですが、意を決してその人のもとへと会いに行きました。
表向き偏屈というか、じぶんがこうと決めたら、他者の言うことを全然聞かない頑固さをもった人だったのですが
屈託のないまっすぐな優しさも持ち合わせたとても純粋で素直な人でした。
出会えてよかったと感じていることを伝えたら、相手もそう返してくれて。お互い似ている部分もあり、とても仲良くなっていく予感がしていました。
しかし一緒に行った旅行先で、そのソウルメイトのような人がわたしの目の前で亡くなったのです。
わたしはその体験の衝撃から、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断の付く状態になりました。
PTSDになって辛かったことはたくさんあるのですが、、
一番に辛かったことは「心が動かない」ということでした。(これは時間が経つことで回復するということがなかったのです。)
感動できない、美しいとおもえない、愛おしいと感じない、心から笑えることがない…
たった今うつ病に苦しんでいる人の苦しみをないがしろにしたいわけではないのですが
わたしの経験したうつ状態での苦しみとPTSDのそれとは、一線を画していました。
たとえ生きづらく、苦しかったとしても、わたしは私というこの世界をこの肉体を通して感じていた、愛していた…ということに
からだと心と意識の繋がり(すなわち世界の美しさや、なにかへの愛おしさを感じる感受性)が失われてから、初めて気がついたのでした。
「味気ない、色のない世界で、一生を送るのかもしれない…」と思うと、生きる理由を失ってしまったかのように感じられていました。
治療も上手くいかず、様々なカウンセリングルームや精神科、ケアセンターを転々とし、少しの希望は失望へと、だんだんと影を濃くしていったのでした。
確実に自殺ができる方法を、調べ尽くしたこともありました。
でも、自分が納得できる方法はありませんでした。相当に身体を痛めつけることがなければ、人が死ぬということはないからです。
わたしの周りには臨死体験をした人が何人か居て、彼らは「死んで身体が朽ちても、意識は残り続ける。生きている人たちの思う、からだと意識が共に消滅する死はない」と言いました。
わたしには希死念慮というよりも、言葉そのままに自殺願望(自らを殺したい願望)がありました。
それは大切な人を助けられなかったから。自らの一番といっても過言ではない、切実な願いを叶えられなかったので
自分だけが生きて帰ってきた罪悪感と共に、自らの願いが叶えられなかった過去の自分へのゆるせなさ、という大きな自責の念があったのでした。
わたしは自分を消したかった、でもそれはわたしの意識そのもので、このからだではないと思っていました。
屁理屈だと感じられる方もいるかもしれませんが、実際にそうなのではないかとわたしは思っています。(断言はできませんが…)
そんな屁理屈をこねながら、そして死ぬことは自分にとっては間違ったことだとどこかでわかっていたので、自分への怒りに揺さぶられながら、なんとかじぶんをこの世に繋ぎ止めてきました。
長くなったので、続きはこちらの記事に。
よろしければ、続きも読んでください☺️
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