「自分がされて嫌なことを人にしない」を考える(3)〜白黒思考の弊害
今回のシリーズ(?)1本目に、総合診療科医のだのり@ニュージーランドさんから洞察の深いコメントをいただきました。ありがとうございます。
私のほうでもさらに深めていきたいと思います。
白黒思考の弊害
「選択肢は白か黒のどちらかしかない」
「白でなければ黒しかない」
のように白黒思考が強いと、生きづらいことが多いように感じています。
きっと無意識レベルではわかっているんですよね。
『白でも黒でもない選択肢がある』ってことを。
それなのに、「選択肢は白か黒のどちらかしかない」と思いこんでいるために、そのどちらかであろうとがんばったり、我慢したりするのが当たり前になって、自分に負担をかけ続けてしまう。
だから、白でも黒でもないグレーな状況に直面すると、反発や怒りを覚えて、さらにストレスがかかる。
「私がこんなにがんばっているのに、どうしてそんないい加減なことができるんの!?」
なんて、ね。
私自身、白黒思考の沼に長年はまりこんでいたので、実感しています。
感覚には個人差がある
>子供にとって親からの「過干渉」や「無干渉」もかなりユニバーサルに「されて嫌なこと」
同感です。
そして、親がどのくらい過干渉・無干渉でいるか、子どもがそれをどのくらい嫌だと感じ、どう行動するかにグラデーションがあることも、親子関係がこじれる原因になっていそうです。
たとえば、過干渉の傾向が強い親に対して、子どもがどう感じ、どう行動するか?
・過干渉?どこが?愛しているなら、このくらいやるでしょう
・親が子どもの世話を焼くのは当たり前じゃない?
・何も言ってもらえなかったら逆に不安
・私のことはほったらかしなのに、きょうだいを可愛がりすぎ
・手出し口出しが嫌だけれど、親に言っても通じないので我慢する
・嫌すぎるから無視してる
・耐えきれないから家を出る
対する親は、
・このくらい当たり前
・これくらいしないと子どもに愛が伝わらない
・自分が親からしてもらったことは返さなきゃ
・子どもから反応が返ってこないから、もっとやらなきゃ
などなど、感じ方・認知の仕方・行動に、いろんなパターンがありそうです。
精神性にも個人差がある
そして、こうした感覚には、
・親が子どもにどのくらいストレスをかけてきたか
・親と子どもの感覚の違いにどれほど開きがあるか
・親子の間にどんな力関係があるか
・子どもが自分の身を守るために「思考停止」「感覚麻痺」に陥っていないか
・「人は人、自分は自分」といった高い精神性を子どもがもっているか
・親が子どもを自分とは別人格な存在として尊重できているか
といったことも、大きく影響しているでしょう。
また、自身が子ども時代に親からされたことを、どう認知し、どう子育てに反映するかについても、個人差がありそうです。
(同じようにしたい、反対のことをしたい、まったく気にしない、無意識に同じことをする/しない、など)
自分が大切に思うことと、相手が大切に思うことは、違って当たり前
この前提があれば、「親である自分がどうしたいか」よりも「子どもが何を望んでいるか」に真剣に向き合えるように思います。
自分にとって「よかれ」と思うことが、子どもの賛同を得られないのはよくあること。
子どもは親の想像を遥かに超える、無限の可能性のかたまり。
親としては、子どもが才能が花開くように、その子にあったサポートをしたいですよね。
そのためには、「自分が何を大切に思うか」と同じくらい、「子どもが何を大切に思うか」に最大限の配慮をしたいもの。
そして、
「自分が嫌なものは、相手も嫌に決まっている」
「私がいいと思うものは、相手にとってもいいものだ」
といった思いこみに気づいて、自分を制限しているものから自由になれるといいなと願っています。
私自身は、日々幸せを感じています。
子どもは親を育てるために生まれてきてくれたんですもの♪
**「(4)対話の大切さ」に続きます**
子どもを愛するあなたに、そして、親を愛しているあなたに、一連の記事が、何か参考になりましたら幸いです。
「私が私である」ことの確信へ導く魔法使い
御影石 千夏
▼プロフィール
▼親子ともども幸せになる秘訣を綴った電子書籍
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