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実家に帰って痛感〜朝のひとときの幸せを知らなかった私

私は長年、
「行ってらっしゃーい」
と子どもを笑顔で見送る幸せを知りませんでした。

保育園時代 は子どもたちと一緒に出かけていましたし、小学校時代は私が先に家を出ていたからです。

バタバタを準備をして、
「朝ごはん食べたら、キッチンに運んでおいてねー!」
「鍵、閉めておいてねー!」
大きな声をあげながら家を飛び出していく毎日。

トゲトゲした自分の声にうんざりするのに、自分の感情の昂りを抑えられなかったことを覚えています。

授業参観がある朝などは子どもたちを見送っていたはずですが、当時は、そうした〈朝のひとときを一緒に過ごす〉という幸せに気づく余裕がありませんでした。

見送られるって、嬉しいものなんだ


そんな私が、
「朝、子どもを笑顔で見送りたい!」
と思うようになったのは、実家の母のおかげです。

息子が中学2年生、娘が6年生の夏、私は子どもたちをおいて実家に帰っていたことがあります。

仕事でも家庭でもうまくいかず、ネガティブ・ループに入っていたときに、家族でお世話になっていたカウンセラーさんのアドバイスに従ってのことでした。

その間、母が家の前まで出てきて、私が角を曲がるまでずっと手を振ってくれました。

最初は私、母がずっと見送ってくれていることに気がつきませんでした。

「行ってきます」
と母に手を振った後は、自分の進行方向しか見ていなかったからです。

ある朝、ふと視野が広がって母のほうを振り返ると、手を振ってくれていました。

母を見た瞬間、胸がギューッとなりました。
ありがたいなーって感謝があふれてきたんです。

同時に、ショックも受けました。

〔見送られるのがこんなに嬉しいものだってこと、すっかり忘れてた!
 こんなに嬉しいことを私、ずーっと子どもたちにしてこなかったんだ!〕

って。

子どもたちを最優先にしよう


家を出て6ヶ月目から、週に1泊だけ、子どもたちと過ごせるようになりました。

私はフレックス勤務をフル活用して、子どもたちとの時間を最優先。

いつもより早く帰って食事の準備をし、翌日は遅出にしてもらって、子どもたちを見送ることにしたんです。

「行ってらっしゃーい」
玄関先で子どもの肩や背中に軽く手を添えて送り出し、息子や娘が廊下を歩いてエレベーターホールに消えるまで、ずーっと手を振っていました。

思春期まっただ中、両親の不和をよく思っていない子どもたちのことです。

息子は「行ってきます」とは言いませんでしたし、いつもは言ってくれる娘が何も言わず、振り返りもせずにエレベーターに乗りこむこともありました。

でもね。
〔子どもを見送れるだけで幸せだなあ〕
って私は思っていました。

だって、母に手を振られたのが嬉して、
〔私もやりたい!〕
という思いでやっていたことでしたから。

挨拶が返ってこない寂しさよりも、
〔私をお母さんにしてくれてありがとう〕
という気持ちのほうが大きかったんです。

もちろん、娘がエレベーターホールの前で振り返って、私に手を振り返してくれたりすると、それはそれは嬉しかったです。

親子の距離感が変化しても大丈夫


昨日の記事↓は、娘が中学3年生になったころのエピソードです。

いつの間にか、娘から私に
「行ってきます」
と、言ってくれるようになっていました。

ありがたいことです。

高校生になってしばらくすると、黙って出ていくようになりました。

それでも、私が雰囲気を察して玄関にかけつけ、
「行ってらっしゃーい」
と手を振っていると、娘はエレベーターホールの前で必ず手を振りかえしてくれます。

大学寮で暮らすようになった息子も、帰ってきたときには、挨拶を返してくれます。

挨拶ひとつにも、
「お母さんにしてくれてありがとう」
と感じられるのも、いろいろあったからこそ、だったりします。

私の成長を見守ってくれた子どもたちに感謝です。


あなたのドリームサポーター
御影石 千夏


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