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「自分がされて嫌なことを人にしない」を考える(2)〜放任主義の親

「自分がされて嫌なことを人にしない」
という信念(≒ルール)について、親子関係の事例から考える後編です。

▼前編はこちら




ケース2:「放任主義の親が嫌」だったので、我が子を「手をかけて育てた」Bさん


◉Bさんの親がしたこと
・宿題を手伝ってほしいと頼まれると、「自分でやってみなさい」と答える
・子ども(Bさん)が熱中していることを見守る(賛成も反対もしない)
・進路の相談をされると、「あなたの好きにすればいい」と答える

◉Bさんの認知
・放任主義の親が嫌だ
・自分は親に大切にされていない

◉子どもの感情
・悲しみ、寂しさ
・落胆
・怒り、恨み

*親になったBさんに対し、子どもは何を願うのか?

◉Bさんが子どもにしたこと
・我が子が失敗しないように、先まわりして解決する
・我が子が困っていないか気を配り、宿題や習い事などをサポートする
・褒めて育てる

◉子どもの認知
・親(Bさん)が手を出しすぎるので、自分がやりたいことに集中できない
・親は自分のことがわかっていない(褒めるポイントがズレている)
・自分は親に愛されていない

◉子どもの感情
・悲しみ、寂しさ
・落胆
・怒り、恨み

◉子どもの行動
・親(Bさん)と口論する
・親に手や口を出されたくなくて、家を出る

*ケース2の背景

Bさんの親は「自由奔放な子育て」をよしとして、なるべく手を出さない方針でした。
これに対してBさんは、幼いころから友達の家に遊びに行ってはうらやましく思っていました。
友達の親が、あれやこれやと世話を焼く様子を目の当たりにしたからです。
「あんなことも、こんなこともしてもらいたかった」
という欠落感があったBさんは、放任主義(に見える)親を反面教師に。
『できうることはすべてやる』という信念で、子育てに邁進してきました。

*ケース2の解釈

『手をかけ、目をかけ、心をかけて子育てしたい』というBさんに対し、自由奔放に生きたいお子さんは『手や口を出してほしくない』と願っています。
目配り・気配りさえあれば「愛されている」と感じられるお子さんにとって、Bさんの口出しや手出しは、わずらわしくてなりませんでした。

つまり、Bさんにとって「嫌だった過干渉」は、お子さんにとっては「やってほしい自由奔放な子育て」だったのです。
ゆえに、Bさんが「自分がされて嫌だったことを子どもにしない」という信念を貫こうとすればするほど、親子関係がこじれてしまいます。

「嫌なこと」の基準は、自分?相手?

こうした事例から考えたいのは、「自分が嫌なこと」を自身の行動基準にするリスクです。

というのも、自分とまったく同じ価値基準を持った人は、自分しかいないからです。

・「自分がされて嫌なこと」を嫌だと思わない人がいる
・「自分が望んでいること」を嫌だと思う人がいる
のが当たり前。

となると、信念の表現を変えたほうがしっくりきます。

「自分がされて嫌なことを人にしない」
 ↓
「相手がされて嫌なことを相手にしない」

ちょっとした表現の違いなのですが、言葉は認知に大きな影響を及ぼすので、最大限に注意を払う必要があります。

「自分が嫌なこと」と表現していると、「自分とは違う基準を持つ相手が嫌だと思うこと」に目が向かなくなってしまうからです。

人間関係を円滑にするコツ

もしもあなたが、
「どうしてこの人は、私が嫌なことをするんだろう?」
と不思議に思ったり、悲しくなったり、憤りを感じたりしたときには、こんなふうに考えてみましょう。

「私と違ってこの人は、コレをなんとも思っていないのかもしれない」
「私と違ってこの人は、コレの逆のことが嫌なので、こう言っているのかもしれない」

私は私を生きていく。
大切なあなたと共に。

自分が大切に思うことと、相手が大切に思うことは、違って当たり前。

それを前提としてもっていると、人間関係は円滑に進むと感じています。

よかったら、お試しくださいね♪

**なぜ親子で行き違いが起こるのか?(3)に続きます**


「私が私である」ことの確信へ導く魔法使い
御影石 千夏

▼プロフィール

▼親と子ども、どちらもが幸せになる秘訣を綴っています

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